2019年8月12日の山口県周南市・徳山の歴史散策の続き。
「第三スター」で徳山ラーメンを満喫した後は、徳山の街中を散策しました。
第三スター 中華そばのレポ
「第三スター」から前の通りを北に進んで行くと、お寺が見えて来ます。
こちらは「八正寺」。江戸時代初期の創建で、開山は心誉智廓です。藩政期はこの周辺は寺町と呼ばれていましたが、明治20年には火災により、昭和20年には空襲により被災。戦災復興により街並は一新されましたが、この寺院はおおむね往時の位置にあります。
当寺に伝わる銅造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に造られた善光寺式三尊の阿弥陀如来像で、創建に当たり本尊されたものです。周南市の文化財(彫刻)に指定されています。
門の所から本堂を…。境内には、徳山中央保育園が併設されています。
「八正寺」の所で右折し、東に進んで行くと、民家の軒先に祠がありました。
中には、「法輪寺」と刻まれた石祠が納められています。
更に東に進むと、橋が見えて来て…
この橋は、「岐陽橋」。欄干が句碑になっていますね。面白い!
「岐陽橋」の反対側の欄干も…
「岐陽橋」の架かる川は、東川というそうです。
「岐陽橋」を渡らず、東川に沿って北に進むと、石碑が見えて来ます。
石碑には、「明治の国際人 浅田栄次博士」と刻まれていて…
シカゴ大学初の博士号を受け、日本英語教育の先駆者として活躍した浅田博士誕生の地は、西へ約70mの辺りです。
台石にも由緒書きがありました。慶応元年(1865)徳山に生まれ、長じて帝国大学に進み、在学中、志を立て渡米しました。
明治26年(1893)セム系語学、文学の研究により、シカゴ大学初の博士号を受け、帰国後、東京外国語学校が創設されるに際し、英語科主任教授に任命されました。
我が国英語教育近代化の一翼を担うとともに、幾多の秀逸な人材を育て、大正3年(1914)同行図書館において急逝しました。
浅田栄次博士の誕生地は、どこかよく分かりませんでしたが、この辺りになるようです。
東川沿いには、「東川緑地公園」として遊歩道・緑地が整備されているんですよね、
東川沿いに更に進んで、橋を渡ります。
橋を渡ると、記念碑があって…。
再び、東川に沿って歩きます。
途中、石段があって、川面に近づくことができるようになっているんですよね。川面は澄んでいて、小魚も見ることができました♪
水面に、空や雲が移り込んで、キレイだったな~♪
東川から外れて、東の方に路地を進んで行くと、突き当たりにお寺が見えて来ます。
こちらは「大成寺」。
境内に入り、左手の鐘楼を眺めて…。背が高くて、印象的ですね~この鐘楼は。
その隣には、鳥居と社がありました。扁額には「祇園社」とあります。
「大成寺」の本堂。
水子地蔵尊。
石仏に五輪塔、石碑も並んでいて…
「大成寺」の由緒書き。「だいじょうじ」と読むんですね。
寛文10年(1670)富田村にあった「観音寺」を移したもので、徳山藩初代毛利就隆公が延宝2年(1674)に京都妙心寺の塔頭竜華院の竺印和尚を招き、中興開山として、菩提寺としました。
「徳山毛利家墓所」は、「大成寺」の東側丘陵上に位置し、歴代徳山藩主(徳山毛利家当主)及びその妻子の墓96基が祀られていますが、かつては土塀が回っていたと考えられ、現在もその一部が残存しています。
この由緒書きの右に向かうと、「徳山毛利家墓所」があるんですね!この後、行ってみましょう!
「徳山毛利家墓所」に向かう途中、「大成寺」の本堂を横の方から…
「八正寺」「東川緑地公園」「大成寺」と回った後は、「徳山藩毛利家墓所」に向かいました。
その様子は、また後日。
八正寺
山口県周南市平和通1-31
大成寺
山口県周南市舞車町4-2
あらかわ家 (5人姉妹弟+父の音楽一家ユニット)
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