高野長英の居住地跡と、大和田建樹詩碑と、蒸気機関車模型と、~愛媛県宇和島市の史跡・石碑 | 九州下町おやじの珍道中

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2019年11月26日の愛媛県宇和島市・高知県四万十市中村の歴史散策の続き。

 

 

現存天守の一つ「宇和島城」を見学した後は、JR宇和島駅に向かいました。

 

 

宇和島城(その3)のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12601059912.html

 

 

 

宇和島城」から東に進むと、アーケード付きの商店街があります。立派な商店街ですね~でもまだ朝9時過ぎだったので、人通りはほとんどありませんでした…(^^;

 

 

 

商店街を抜け、JR宇和島駅に向かう途中に、史跡があるんですよね。

 

 

 

この史跡は「高野長英の居住地跡」。

 

 

 

宇和島市の史跡に指定されています。

 

 

 

高野長英の居住地跡」の敷地内に進んで…。

 

 

 

由緒書き「高野長英の隠れ家」。幕末の宇和島藩の筆頭家老桜田佐渡の別邸に、江戸日本橋小伝馬町の牢屋敷を脱獄し宇和島藩に匿われていた蘭学者高野長英が潜んでいた、という、吉村昭の「史実を歩く」の抜粋が書かれていますね。

 

 

 

その由緒書きの下には、「市指定記念物(史跡) 高野長英の居住地跡」の由緒書きがありました。高野長英の号は瑞犀。幕末の蘭学者で、陸奥水沢(現在の岩手県)の人。

 

 

長崎に赴き、シーボルトに医学・蘭学を学び、後に江戸に開業。そこで渡辺崋山らと知り合いました。

幕府の対外政策を批判する「夢物語」を発表した為、蛮社の獄で投獄されましたが、出火に乗じて逃亡しました。

嘉永元年(1848)宇和島藩伊達宗城は彼の才能を惜しみ、密かに宇和島に呼び寄せ、家老桜田佐渡の別邸(現在地)に居住させました。

長英はここを五岳堂と名付け、選抜された数名の青年藩士に蘭学を教授し、藩の為に蘭書の翻訳に努め、城辺愛南町)の久良砲台の設計築造にも従事。

しかし、所在を幕吏に知られ翌年宇和島を去り、卯之町へ逃れた後、江戸に潜入。嘉永3年(1850)幕府の捕手に囲まれ自刃しました。

長英に学び宇和島の青年藩士が西洋学問の解明に励んだ学塾の跡に、同郷の後輩後藤新平の筆になる碑が建てられています。

この建物は、明治以降に建てられたもので、礎石は江戸時代のものをそのまま使用し、平成23年に明治の建築様式で復元修復したものです。

 

 

へぇ~この地に、高野長英が住んでいたんですね!

 

 

 

明治になって建築された建物に近づいて…。「高野長英の隠れ家」という由緒書きが掲示されていました。

 

 

 

上から3枚目の写真、「高野長英の居住地跡」に建立された石碑の裏面には、碑文が刻まれていて…

 

 

 

高野長英の居住地跡」の近くに架かる橋を渡ります。

 

 

 

その橋の上家から、「高野長英の居住地跡」の方を眺めて…。ちなみに、左手に見える手前から2つ目の黒っぽい建屋が、「高野長英の居住地跡」になります。

 

 

 

この橋は「大橋」。

 

 

 

大橋から北上すると、駅前の大通り国道320号線に出るんですが、その通りの並木は、南国イメージの背の高いヤシの木のような樹木が植えられていますよ。

 

 

 

結構たくさん植えられていました。

 

 

 

JR宇和島駅に近づくと、「大和田建樹詩碑」と刻まれた大きな立方体のモニュメントが見えて来ます。

 

 

 

側面には、「鉄道唱歌」が刻まれているようです。汽笛一声新橋を…。鉄道唱歌を作詞した人物なんですね!

 

 

 

この面には、大和田建樹の由緒書きが刻まれています。安政4年(1857)宇和島の丸之内藩士の家に生まれ、少年時代は藩校に入って国学漢学を学び、広島に遊学して英学を修め、14歳にして既に藩公の前で四書の進講をしました。

 

 

22歳のとき上京して、東京大学講師高等師範学校教授の職を勤め、中年以降は著作に携わって、謡曲通解日本大辞典等幾多の名著を出し、中央文壇に名声を博しました。

鉄道唱歌、散歩唱歌、故郷の空などを作詞、広く歌われて今なお、民大衆に親しまれています。

明治43年(1910)53歳で没しました。

 

 

 

大和田建樹詩碑」。ユニークな形の詩碑ですね。

 

 

 

大和田建樹詩碑」の近くには、川が流れていて、橋が架けられています。この川は、畑枝川。橋の名は畑枝川橋だそうです。

 

 

 

こちらにも、橋が架けられていて…。

 

 

 

畑枝川橋を渡ると、な、なんと!SL、蒸気機関車があるではないですか!!!

 

 

 

SLの前には、「宇和島城築城400年祭記念 鉄道唱歌(大和田建樹・作詞)誕生100周辺記念事業」という由緒書きがありました。

このSLの模型は、宇和島で最初に走った機関車「コッペル社製9.66t 形式ケ220」を資料に基づき、極力復元に努めたものです。

 

 

本物はドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で造られ、大正3年5月に最初の試運転が行われました。

 

宇和島鉄道は、レール幅が狭く車両も小さい軽便鉄道でした。

大正3年10月18日、私設宇和島鉄道が宇和島~近永間17.3kmで開業、大正12年には近永~吉野間が開通。その後、昭和8年8月に政府による買収が実現し、私設宇和島鉄道は18年の使命を終えました。

 

この由緒書きの横の方にスイッチがあって、「実録の機関車走行音」と「鉄道唱歌メロディー」が流れますよ♪

 

 

 

復元された蒸気機関車を別角度から…。いいですね~復原とは思えない感じで♪

 

 

 

宇和島闘牛」という、牛のモニュメントも!宇和島の闘牛、有名ですよね~一度この目で見てみたいな♪

 

 

 

宇和島闘牛」と、蒸気機関車模型と…。

 

 

 

これらのモニュメントがある場所は、もうJR宇和島駅になるんですよね。

 

 

 

高野長英の居住地跡」「大和田建樹詩碑」「コッペル社製機関車模型」「宇和島闘牛モニュメント」を見学した後は、JR宇和島駅からJR予土線に乗って、四万十川に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

高野長英の居住地跡

愛媛県宇和島市新町2-3-4

https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/sizen-bunka/115choei.html(宇和島市HP)

 

 

大和田建樹詩碑・コッペル社製機関車模型・宇和島闘牛モニュメント

愛媛県宇和島市錦町10(JR宇和島駅前)

 

 

 

 

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