2018年9月中旬の大宮散策の続き。
「氷川神社」を参拝した後は、「東光寺」に向かいました。
氷川神社(その2)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12585389202.html
「氷川神社」の二の鳥居から西に、大宮駅方面にまっすぐに進むと、お寺が見えて来ます。
こちらが「東光寺」。涅槃像のイラストが可愛らしいですね♪
昔の墓石を集めた無縁仏供養塔。
祠の中にはお地蔵様がいらっしゃって…。「金富貴地蔵尊」とあります。
金富貴地蔵尊。
こちらにもお地蔵様が…
「東光寺」の本堂。立派です!
本堂に近づいて…。扁額には山号の「大宮山」とあります。大宮にあって「大宮山」という山号なのか~スゴい!
本堂の中の様子。
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大宮山東光寺は大治3年(1128)頃、紀伊国(現和歌山県)熊野那智山の天台宗の寺院・青岸渡寺光明坊の僧侶・宥慶阿闍梨(ゆうけいあじゃり)が関東へ下った際、足立原に宿泊し、大宮黒塚(氷川神社の東側、現・産業道路脇)において旅人の肉を食う悪鬼が住んでいることを聞き、法力によってその悪鬼を退治し、その側に坊舎(庵)を建立し、東光坊と号して庶民救済のために開いたのが草創です。
したがって、草創当時は天台宗であり、「熊野の光明が東国に輝いた」ということから東光防の名がつけられました。
その後、永享年間(1429〜1440)に梁室元棟和尚が曹洞宗に改宗して開山となりました。
(後略)(東光寺HP)
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http://xn----d8ta6sza9441cowp24u.com/history/
「東光殿」。
山門。あら?また横から境内に入ってしまったようです…(^^;
山門には、だるま堂があって、中には、達磨さんの木像が!
反対側には、しゃか堂があり、お釈迦様がいらっしゃいました。
山門をくぐり、境内の外に出て、振り返って…
「東光寺」の山門からまた西に進むと、通りに出ます。この通りは、旧中山道。
旧中山道を南下します。Google mapによると、この辺りが「大宮宿」の「山崎喜左衛門本陣跡」だったそうなのですが…。案内板もなく、詳細は分からず…。
さらに南下すると、アーケード付きの商店街・一番街があって…。
大宮駅前の大通り。正面に大宮駅の駅ビルが見えます。
旧中山道沿いは、ビルばかりなのですが、古そうな御宅もあったり…
第四銀行大宮支店のビルの左側の路地を入った所に、「旧跡 涙橋」という石碑があります。
その横には、「涙橋」の由緒書きがありました。大宮宿には、中仙道を横切って溝川の流れがあり、「中の橋」と呼ばれる橋が架かっていました。
当時、吉敷町の外れ、高台橋に罪人の処刑場があって、その親類縁者が「中の橋」で、この世の別れを惜しみ涙を流したことで、いつしか「涙橋」と呼ばれるようになったと言われています。
この碑は、昭和42年3月、第四銀行大宮支店がこの地に開業するに当たり、敷地造成の折、国道に架けられた橋桁の枠石が発見されたのを機に、遺跡として顕彰したものです。
処刑場に向かう途中の橋は、「涙橋」と呼ばれるようになるんですね…
旧中山道を更に南下します。
「東光寺」を参拝し、旧中山道大宮宿を歩いた後は、「塩地蔵・子育地蔵」に向かいました。
その様子は、また後日。
東光寺
埼玉県さいたま市大宮区宮町3-6
http://xn----d8ta6sza9441cowp24u.com/
旧跡 涙橋の碑
埼玉県さいたま市大宮区下町2-29(第四銀行大宮支店)
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