2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。
「大宝寺」をお参りした後は、「朝日八幡神社」に向かいました。
大宝寺(その2)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12577217015.html
「大宝寺」と「朝日八幡神社」の分岐点まで戻ると、鳥居が見えて来ます。
「朝日八幡神社」の鳥居をくぐり、石段を上って…。
石段の途中右側に、祠と朱の鳥居があるんですよね。
朱の鳥居の正面に回って…。扁額には「稲荷社」とあります。
石段の途中左側には、社務所があって…。
更に石段を上ります。
「朝日八幡神社」の由緒書き。松山の八社八幡の六番社で、祭神は、品陀和気命(応神天皇)、帯中津彦命(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、市杵島比売命、多紀理比売命、多岐津比売命(宗像三神)。
社伝によると、持統天皇の代に仲哀天皇神功皇后の行宮後に足頬地主神を祀り、沼戸明神と称えたことに始まるといい、後に山城山崎八幡神(現離宮八幡宮)を勧請し山崎八幡と改称しました。
貞和年間(1345~1349)に兵火に会い、延文6年(1361)伊予守護河野通尭の命によって、平範有が今の朝日谷の地に社殿を再築し、応永19年(1412)河野通成が社殿を増築しました。
慶長8年(1603)初代松山城主加藤嘉明が松山城の固めとして近郷の八社八幡の一つとして武運長久の祈願所となりました。
明治3年(1870)「朝日八幡神社」を改称されました。
石段を上り切り、神門。
神門をくぐり、社殿。
破風も立派!
鬼瓦もスゴいな~♪
相当立派な社殿ですね♪
拝殿の中の様子。
拝殿には、古い奉納絵馬が掲げられていて…。
こちらの額も、歴史がありそう!
境内には、末社があって…。
皇太子殿下御成婚記念碑も…。これも古そう…。
拝殿を横の方から…。
拝殿に向かって右手に回り、本殿を…。
本殿の脇にある石段を下ります。
石段下にある鳥居をくぐり、振り返って…。
石段は更に続いていますので、下ってまた振り返ります。
道なりに沿って、坂道を下って行くと、左側に石碑を発見。
その石碑は、供養と刻まれ、弘化2年(1845)の銘がありました。供養塔のようですね。
「朝日八幡神社」をお参りした後は、「松山城」に向かいました。
その様子は、また後日。
朝日八幡神社
愛媛県松山市南江戸5-12-1
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