南高橋と、亀島川水門と、徳船稲荷神社と、江戸湊の碑と ~東京都中央区の橋・歴史的建造物・水門 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年7月中旬の日本橋・八丁堀・佃島散策の続き。

 

鐵砲洲稲荷神社」をお参りした後は、「南高橋」に向かいました。

 

 

鐵砲洲稲荷神社(その2)のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12550595674.html 

 

 

鐵砲洲稲荷神社」から鉄砲洲通りを少し戻り、湊1丁目交差点を右折すると、鉄橋が見えてきます。

 

 

こちらは、「南高橋(みなみたかばし)」。この橋は、亀島川の河口に位置し、関東大震災の復興事業の一つとして、昭和7年(1932)に架けられました。

橋の主要部は、明治37年(1904)に架けられた旧両国橋の材料を利用して造られたもので、都内に現存する鉄橋のうち道路橋としては、最も古い橋です。

 

 

構造上の特徴は、トラスの一部材の端に丸い環のついた「アンバー」が用いられていて、全体はピントラス橋とも呼ばれています。

このため、明治期の技術を今に伝える貴重なものとして、中央区民文化財に登録され、平成28年(2016)に土木学会選奨土木遺産として認定されました。

 

 

 

また別の由緒書きもありました。「南高橋」は、創架年代は、昭和6年(1931)に起工、昭和7年3月に竣工しました。

現在の「南高橋」の位置には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流の「高橋(たかばし)」があるのみでした。

 

 

大正12年(1923)関東大震災の後、街路の大規模な区画整理が行われた時に、当時の本湊町と対岸の越前堀一丁目との間の亀島川に新しく橋を架けることになりました。

東京市は、多くの橋を開架したため、予算も乏しくなり、明治37年(1904)に開架され大震災で損害を受けた隅田川の両国橋三連トラスの中央部分を補強し、橋幅を狭めて「南高橋」として架設しました。

 

都内に残る鋼鉄トラス橋としては、江東区に移転した「八幡橋旧弾正橋)」についで2番目に古く、車両通行可能な鋼鉄トラス橋としては、全国で6番目に古い橋梁になります。

 

 

へぇ~旧両国橋三連トラスを再利用して架けられた橋なのか~!スゴい!

 

 

八幡橋旧弾正橋)」は、当ブログでもレポしましたよね。

都内では、その次に古い鋼鉄トラス橋になるんですね♪

 

 

八幡橋旧弾正橋)のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12460470877.html

 

 

 

トラス部分を見上げて…。なるほど!明治期に製造されたものだけあって、美しいな~♪

 

 

 

トラスに近づいて…。リベットがいいな~♪

 

 

 

下を流れる亀島川には、水門があるんですね。水門のある場所が、河口になる訳か~

 

 

 

水門の脇の護岸には、クレーンが見えますね。

 

 

 

しばらく水門を眺めていると、ボートがやってきて…。

 

 

 

南高橋」を渡り、親柱。

 

 

 

水門の説明書き。「水害のない町に 亀島川水門」。昭和44年(1969)に完成した鋼製単葉ローラーゲート式の水門で、亀島川隅田川と合流する地点に位置し、周辺流域を高潮の侵入から守るための防潮水門です。

 

 

台風などによる高潮や津波が発生し河川の水位が上昇した時に、水門を閉鎖して水害を防ぐのですね!

 

 

 

先程のクレーンがある施設は、東京都江東治水事務所の亀島川排水機場。排水ポンプなどの設備があるようです。

 

 

 

亀島川排水機場の道路を挟んだ向かいの歩道には、「天壌無窮」と刻まれた石碑があって…。

 

 

 

南高橋」の袂には、鳥居があるんですよね。扁額には「徳船稲荷神社」とあります。

 

 

 

徳船稲荷神社」のお社。

 

 

 

徳船稲荷神社」の由緒書き。徳川期、この地新川は、越前松平家の下屋敷が三方堀割に囲われ、広大に構えていて、旧町名「越前堀」はこのことに由来しますが、その中に小さな稲荷が祀られていたといいます。

ご神体は、徳川家の遊船の舳を切って彫られたものと伝えられています。

 

 

明暦3年の振袖火事は、この地にも及びましたが、ご神体は類焼の寸前難を免れ、大正11年まで「恵比須稲荷」に安置されました。

関東大震災でも再度救出され、昭和6年に隅田川畔(現中央大橋北詰辺り)に社を復活し町の守護神として鎮座されましたが、戦災で全焼。

昭和29年に同所に再現の後、平成3年の中央大橋架橋工事のため、この地に遷座されました。

 

 

 

亀島川の上流方向を眺めて…。

 

 

 

歴史的建造物である「南高橋」を、今一度…。

 

 

 

南高橋」を渡り、リバー通りを右折、ビルの裏手に回ると、案内マップがあります。

 

 

 

案内マップの下には、八丁堀の歴史に、亀島川水門徳船稲荷神社の説明書きがあって…。

 

 

 

案内マップの近くには、船の錨のモニュメントがあります。こちらは「江戸湊の碑」。

 

 

 

台座部分には、由緒書きが記されていました。慶長年間、江戸幕府がこの地に「江戸湊」を築港してから、水運の中心地として江戸の経済を支えていました。

昭和11年まで、伊豆七島などの諸国への航路の出発点として、賑わっていました。

 

 

 

亀島川に沿って、護岸が遊歩道として整備されているんですよね。佃島のタワーマンションがよく見えました。

 

 

 

亀島川水門も、今一度…。

 

 

 

水門脇の護岸が、何とも言えない良い形をしているな~♪

 

 

 

遊歩道を歩いて…。

 

 

 

南高橋」を渡り、「亀島川水門」を見学し、「徳船稲荷神社」にお参り、「江戸湊の碑」を見学した後は、「佃島」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

南高橋

https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/kohokotyo/koho/h23/230521/bunka/index.html(東京都中央区HP)

https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/04_isan/h28/h28_4.html(土木学会関東支部HP)

 

 

亀島川水門

東京都中央区新川2-31-22

 

 

 

 

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