東京タワーと、芝公園・芝丸山古墳(丸山貝塚)と ~東京都港区の公園・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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20186月上旬、仕事で、東京タワー方面に出掛けるよう用事があったので、少し散策して来ちゃいましたよ♪

 

 

地下鉄大江戸線赤羽橋駅で下車して、赤羽橋交差点に…。

 

 

赤羽橋交差点からは、東京タワーがバッチリ見えますよね♪

 

 

東京タワー方面には行かず、環状3号線を芝公園駅方向に進みます。すると、ザ・プリンスパークタワー東京があります。

 

 

更に進むと、左手に公園が見えて来て…。

 

 

こちらは「芝公園」。案内図がありました。おお!?「芝丸山古墳」という古墳があるのか~行ってみましょう♪

 

 

芝公園」には、小川のせせらぎ…のような石組みがあって…。水は流れていませんが(笑)

 

 

石段もあって…。「芝公園」は高台もあるんですよね。

 

 

ん?高台ということは、も、もしかして!?

 

 

石段を上って行くと、虎でしょうか?獣の像があって…。

 

 

台座には、俳句が刻まれていました。こちらが「大野伴睦句碑」。

鐘がなる 春のあけぼのヽ 増上寺」と刻まれているそうです。

 

 

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大野伴睦句碑/芝公園

下高輪町に在住し、自由民主党副総裁も勤めた政治家。丸山西頂部にある句碑は昭和386月調理師法施工5周年にあたって、伴睦が長年調理師会の名誉会長として尽力した労に謝するため贈呈されたものである。碑には「鐘がなる春のあけぼのヽ増上寺」と刻まれている。(港区観光協会HP

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https://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/places/391

 

 

大野伴睦って、どんな人?

 

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大野 伴睦(おおの ばんぼく、本名:大野 伴睦(おおの ともちか)、1890年(明治23年)920 - 1964年(昭和39年)529日)は、日本の政治家。

東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、国務大臣北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁を務めた。没後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。

典型的な党人政治家として知られ、「伴ちゃん」の愛称で親しまれた。また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」等の名言を残した。

タカ派の政策集団・青嵐会を結成し、後に農林水産大臣・科学技術庁長官などを務めた中川一郎の政界での師匠として知られる。(ウィキペディア「大野伴睦」)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E4%BC%B4%E7%9D%A6

 

 

おお!「選挙に落ちればただの人」という名言を残した人だったのか~!知らなかった…(^^;

 

 

勇ましいお顔!迫力がありますね。

 

 

高台を更に進んで…。

 

 

大きな石碑が見えて来ました。「伊能忠敬測地遺功表」の文字と、日本列島が刻まれています。こちらが案内図にあった「伊能忠敬記念碑」になるですね!

 

 

左側には、碑文が刻まれていて…。

 

 

伊能忠敬先生は、延享2年(1745)上総国で生れ、下総国佐原の伊能家を継ぎましたが、50歳の時に江戸に出て、高橋至時の下で天文暦教の学を究めました。

先生の測地測量は1800年の蝦夷地奥州街道の実測を始め、全国津々浦々にまで及び文政元年(1818)江戸八丁堀で、74歳で没するまで、不屈の精神と不断の努力とによって続けられ、我が国の全輪郭と骨格とが初めて明らかにされました。

その偉業は引きつがれて、1821年に大中小の大日本沿海輿地全図が完成し、その精度の高さは世界を驚嘆せしめた程で、参謀本部測量局の20万分の一地図は、この伊能図を骨子としたものになります。

東京地学協会は、その功績を顕彰して1889年に贈正四位伊能忠敬先生測地遺功表を建設しましたが、第二次大戦中に失われたので、この碑を1965年に再建したとあります。

 

https://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/places/719(港区観光協会HP)

 

 

別の階段を下って行って…。

 

 

下りて来て、高台を見上げると…。何段にも石積みがありました。

 

 

芝公園」は、広い芝生の広場があって…。この日は、何かのイベントの準備中のようでした。

 

 

芝生広場の方には行かず、高台の斜面に沿って歩いてみると…。石積みがあるんですが、崩れている感じがして、何とも不安定な感じで…。この石積みも、いつ積まれたものなのかは、由緒書き等がないので、よく分かりませんでした…。

 

 

すると、由緒書きを発見!「丸山貝塚」とあるようですが…。文字がかすれていて、読み辛い…(^^;

 

 

芝公園内の「丸山」と呼ばれる丘陵の東南斜面に、貝層が残存していますが、正式な学術調査は行われておらず、古くから著名である割には、その内容が明らかではありません。

表面的な観察によると、ハイガイ・ハマグリ等の海水産の貝殻からなるものと思われますが、従来文化遺物があまり採集されておらず、わずかに安行式土器片が発見された事実から、縄文時代後期の貝塚と考えられるにとどまっています。

丸山の丘上には大形の「丸山古墳」が造られているので、破壊されている所もありますが、斜面に残る部分は都内の貝塚研究に貴重なものとなります。

 

 

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芝公園発見!歴史とロマン01 丸山古墳と丸山貝塚

全長112メートル、都内最大の前方後円墳が区内に現存しています。ビルの谷間からいにしえの時代へと私たちをいざなう貴重な遺跡です。

場所は芝公園の南端。丸山古墳と呼ばれています。樹木に覆われ、外観からはその姿をイメージできませんが、後円部頂上には今も丸い形が残ります。

丸山古墳が造られたのは5世紀ころ。この規模になると相当な政治経済力が必要で、海上交通や流通をつかさどった有力者のものと考えられています。周囲には7世紀ころの円墳群も発掘されていて、金環などの副葬品が出土しています。

丸山古墳の東南斜面にはさらに歴史が古い丸山貝塚が。縄文時代中期の終わり、あるいは後期のものと推定されています。今から35004000年もの昔、周辺に集落があったことを示しています。

こうした遺跡から、縄文人の自然に対する豊かな知識や古墳時代の人々の土木技術の高さを知ることができます。(港区HP

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https://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/kuse/koho/shibakouen/shibakouen01.html

 

 

先程まで歩いていた高台は、古墳であり、貝塚でもあるんですね!スゴい!

 

 

港区にも、古墳があるとは…ビックリです!

 

 

東京タワー」を横目に、「芝公園」で、「芝丸山古墳」「丸山貝塚」を見学した後は、同じく芝公園内にある「芝東照宮」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

芝公園

東京都港区芝公園4-8

http://www.shiba-italia-park.jp/shiba/

 

 

 

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