大山道道標 ~三軒茶屋 | 九州下町おやじの珍道中

九州下町おやじの珍道中

下町おやじが、愉快に美味しく楽しく過ごす九州。
よかとこやね~九州は♪大好きバイ(^^)

~東京都世田谷区三軒茶屋の史跡・道標


イメージ 1



2018年5月下旬、仕事で、三軒茶屋に出掛けた際に見かけたものをアップしますね。

東急田園都市線「三軒茶屋駅」の世田谷通り口を出ると、そのすぐ脇に、石碑があるんですよね。「大山道」と刻まれ、上部には仏像がいらっしゃいますね。

イメージ 2

由緒書き「道標」。こちらは昔の道標なのですね!

イメージ 3

刻まれている文字は…。

正面 「左相州通 大山道

左側面「右富士 世田谷道 登戸道

背面 「天下太平国土安穏 寛延二年己巳年(後略)」

右側面「此方 二子通

建立は寛延2年(1749)。文化9年(1812)に再建されました。

大山道」は「矢倉沢往還」の俗称で、この道標は、「旧大山道(代官屋敷前経由)」と、文化・文政期頃に開通したと言われる「新大山道(桜新町経由)」との分かれ道にあった石橋楼三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていました。

大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍を始め多くの人々に尊崇されました。

特に文化文政期以降は江戸町民などの大山詣りが盛んになり、その案内の為に、大山道沿道には多くの道標が建てられました。

この道標は、玉川電車の開通や東京オリンピックの道路拡張などにより転々と移されましたが、昭和58年に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして、元に位置近くに復されました。

この道標は、本来は渋谷方向に向いて建てられていましたので、現在とは約90度、向きが右側が向いていたのですね。

また、相州通二子通はほぼ現在の玉川通り、富士世田谷道登戸道はほぼ現在の世田谷通りになるそうです。

道標の右側面を拝見。「右富士 世田谷道 登戸道」と読めますね。

イメージ 4

背面と左側面を…。おお~これだけハッキリ文字が見えるのは、スゴいな~♪

イメージ 5

そして、正面。

イメージ 6

道場の上部の石仏も…。不動明王のようですね。

イメージ 7

==================================

大山道の歴史

大山道は、江戸の赤坂を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋、用賀を経て、二子の渡しで多摩川を渡り、溝口、長津田、厚木、そして伊勢原(大山)へと至り、さらには秦野、松田を経て、矢倉沢関所に続く脇街道です。今の国道246号線とほぼ同じルートです。

大山は、世田谷からも関東平野の先に望むことができ、生活に深く関わってきました。

江戸時代中期以降、江戸庶民の間で大山詣が一大ブームになると、夏山の季節、大山へ向かう街道は、大山詣の人々でにぎわい、大山までの経路は、大山を中心に放射状にのび、「大山道」「大山街道」の名で呼ばれました。このため、「大山道」と呼ばれる道は他にもあり、世田谷を通る道は「矢倉沢往還」のことをいいます。(後略)(世田谷区HP)

==================================

http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/149/641/644/d00027143.html

そうそう、「大山道」と言えば、当ブログで、板橋の志村坂上にある「大山道道標」をレポしていましたね。

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/41608223.html

三軒茶屋」の地名の由来は、やっぱり、「茶屋」が「三軒」あったから、なんですね(笑)

すっかり都会となってしまった三軒茶屋に、このような昔の道標が残っているとは!

驚きましたが、いいものを拝見しました(^^)

大山道 道標

東京都世田谷区三軒茶屋2-13(三軒茶屋駅世田谷通り口傍)

http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/149/641/644/d00017944.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42236858.html



大山道の道標