新町遺跡展示館・新町支石墓群 ~福岡県糸島市の遺跡・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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201756日の糸島散策レポの続き。

 

九州筑後ラーメン山小屋 前原店」でランチを食べた後は、筑前前原駅に戻りました。

 
 

九州筑後ラーメン山小屋 前原店のレポ

 

 

筑前前原駅からは、昭和バスの芥屋行きに乗り、新町バス停で下車。

次の目的地はこちら。「新町遺跡展示館」。

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この展示館の周りは、ハッキリ言って、何もないんです…。農地と民家の向こうに、糸島のシンボル可也山が見えているだけで…。

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実は、バス停を降りた際、一緒に降りられたおばあさんに、どこに行くのか尋ねられ、「新町遺跡展示館」に行くと答えたら、途中まで、道案内をして頂けました(^^;

ちょっと分かり難い場所にありますからね…。

 

 

展示館の前にある由緒書き「国史跡 新町支石墓群」糸島半島の中央にそびえる「糸島富士」こと可也山の西側、引津湾に面した海岸砂丘上に位置しています。

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昭和57年度の第1次調査以来、数回に渡り発掘調査が行われました。

1次調査では、57基以上の弥生時代早・前期(約2,400年前)の支石墓を主体とする墓域が明らかとなり、加えて全国でも例の少ない縄文~弥生時代移行期の埋葬人骨が出土、大きな注目を浴びました。

支石墓とは、通称「ドルメン」とも呼ばれ、大きな上石を数個の石(支石)でテーブル状に支える形態をなした墓のことで、我が国の支石墓は朝鮮半島南部に起源のある「基盤形」と呼ばれるタイプで、西北九州の稲作開始期の遺跡だけに分布が限られる希少なものです。

新町支石墓群」からの出土人骨は、低顔・低身長で風習的抜歯痕があり、特徴は縄文人に共通することから、「弥生文化=渡来人の文化」というイメージが覆され、弥生文化は、渡来系の先進文化と縄文時代の在地的要素の融合によって成立したという新たな見方がなされるようになったのです。

磨製石鏃が刺さった状態で埋葬された男性人骨も発見され、弥生時代初期から戦闘があったことも分かりました。

 

 

由緒書きの左側には、「新町支石墓群」の示す写真と、支石墓13号墓)、24号墓の人骨出土状況の写真が掲示されていて…。

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右側には、発掘調査時の写真、子どもの埋葬に使われたと思われる甕棺墓、出土した古代中国銭の写真もありました。

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新町遺跡展示館」の中に入ります。入館は無料です♪

おお~発掘調査の様子がそのまま保存されているんですね!

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館内にはいろいろな説明書きが掲示されていて…。

 

まずは「新町遺跡とその周辺」この一帯は古代の対外交渉の重要な場所であったのですね!

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御床松原遺跡」は「新町遺跡展示館」のすぐ南側にあり、弥生時代から古墳時代の集落跡で100軒以上もの住居跡が発見されていて、錘や釣針等の遺物が出土、この地域に住んでいた人々は漁をして生活していたことが分かります。

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また中国で使われていたお金「貨泉」「半両銭」が出土していて、大陸との交流が盛んであったことを窺わせてくれます。

 

 

新町遺跡が語るもの

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24号墓の人骨」左足の太ももに磨製石鏃が刺さったままの成人男性の人骨が発見されました。またこの骨の下には人頭大の穴があり、そこから少年男子の歯だけが出土しています。

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このような異常な人骨の出土状況は、部族間の戦争があって、24号墓の主が戦死したことの報復に、相手部族の幼い少年の首を切って、この墓に一緒に納めたものと推測されているのですね…。

 

 

足元には、歯が出土した人頭大の穴が残されていました…。

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展示館は、遺跡の周りを一回りできるようになっていて…。

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発掘調査時の様子が、ホント、そのまま展示されているのですね。

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この白い大きなものは…?

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支石墓の説明書き。ということは、支石墓の上部の石になるのですね!

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支石墓とは、死亡した人を木棺や甕棺に納め、埋葬した上に小さい支えの石を置き、更にその上に大きな石を置くお墓のことを言います。

新町遺跡支石墓は縄文時代から弥生時代に移り変わる頃のもので、稲作の伝来・開始の謎に深い関係がある為、注目されています。

 

 

墓域復原図57基以上と言いますから、かなりの数のお墓が発見され、復原保存されているのですね。

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人骨にかくされた謎新町遺跡からは14体の人骨が発見されましたが、詳しく調査してみると、渡来人ではなく縄文人の特徴が強いことが分かりました。意外な感じがしますね…。

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発掘調査の風景」砂地にある為、遺構を掘っても傍を歩いただけで崩れてしまいますので、板を四方に敷き、その上に板を渡して発掘調査を進めたのですね。

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その様子を再現したもの。発掘時の苦労さが分かりますね(^^;

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人類の財産 ―遺物と遺構―

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古代の志摩」という年表も掲示されていました。

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最後に今一度、「新町遺跡展示館」の館内を…。

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糸島半島に西側、引津湾に面した志摩新町地区にある「新町遺跡展示館」。

周囲は農地と民家しかないのですが、この地に、このような支石墓群があるとは、本当に驚きました。

伊都国があったとされる糸島半島ですし、大陸・朝鮮半島にも近い場所にありますので、いち早く大陸の文化が渡り、吸収されていったことでしょうから、このような支石墓群があるのは当たり前なのかも知れませんね(^^;

 

素晴らしい遺跡展示館でした!立ち寄って見て、良かった(^^)

 

 

新町遺跡展示館」を見学した後は、「明光寺」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

新町遺跡展示館

福岡県糸島市志摩新町71

http://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/060/shinmachi-tennjikan.html(糸島市HP

http://www.itoshima-kanko.net/cat/%E6%96%B0%E7%94%BA%E9%81%BA%E8%B7%A1%E5%B1%95%E7%A4%BA%E9%A4%A8/(糸島市観光協会HP

 

 

 

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