「圓通寺」をお参りした後は、東京スカイツリーの目の前を通り過ぎ、本所地区に向かいました。
円通寺のレポ
押上駅の近くに来たら、やっぱりここに行かないと!東京スカイツリーとスペーシアが見られる踏切に♪
スペーシアが、停まっていてくれて、ラッキー♪
スカイツリーを真下から見上げて…。迫力あるな~♪
スカイツリーから南に進み、浅草通りに出ると、お寺があります。こちらは「春慶寺」。
「春慶寺」の由緒書き。「鬼平情景」ということは、鬼平犯科帳にゆかりのある寺院なんです。
「春慶寺」は、元和元年(1615)真如院日理上人によって浅草森田町に創建され、寛文7年(1667)本所押上村に移転、江戸時代より押上の普賢様と親しまれて来ました。
鬼平犯科帳では、長谷川平蔵の剣友・岸井左馬之助の寄宿先として、多くの先品に登場します。その左馬之助を何度も演じた俳優・江守徹さんの揮毫による石碑が平成15年に建てられています。
「春慶寺」の門前には、「鶴屋南北之墓」と刻まれた石碑があります。
その後ろには、ケースに入った石碑もあるんですが…。反射しちゃってキレイに撮れません…(^^;
その横には由緒書き「四世鶴屋南北の墓」があります。
鶴屋南北は「大南北」と尊称された江戸時代の狂言作家。宝暦5年(1755)江戸日本橋の紺屋形付職人伊三郎の子として生まれ、幼名は勝次郎(または伊之助)でした。
安政5年(1776)狂言作家初代桜田治助の門に入り、翌年には中村座の「将門冠初雪(まさかどかむりのはつゆき)」という作品に桜田兵蔵の名で作者の一人として、初めてその名を連ねました。
文化8年(1811)四世鶴屋南北を襲名、次々に傑作を世に送り、人々から圧倒的な支持を得て、文政12年(1829)75歳で没しました。
記録によると、墓石には正面に「南無妙法蓮華経」の題目が刻まれ、側面には墓誌名の記載もありましたが、震災・戦災による被災の為、かなり損傷しました。
昭和58年(1983)新しい墓石が作られたとあります。
ということは、ケースに入ったものが、元々の墓石になるのですね。
『「鬼平犯科帳」中 岸井左馬之助寄宿之寺 江守徹』と刻まれた石碑が、入口脇にありました。
「関東俳優之碑」と刻まれた石碑もあって…。
春慶寺の並びに、「開運普賢菩薩」と書かれた提灯が下げられたお堂があります。
「本所押上 普賢堂」とありますので、先程の由緒書きにあった普賢菩薩は、こちらに安置されているのですね。
こんな由緒書きも。「見返りの白象さま縁起」。
「普賢堂」の中の様子。
墨田区押上の浅草通り沿いにある「春慶寺」。
この辺りは、子どもの頃からよく知っている場所で、お寺があるのも知っていましたが、鬼平犯科帳ゆかりの地であることは知りませんでした…本を読んでいませんでしたからね(^^;
そうそう、このすぐ近くが、王貞治さんの実家の中華料理店があった場所になるんですよね。
鬼平ゆかりの「春慶寺」。お参りできて、良かった(^^)
「春慶寺」をお参りした後は、「押上天祖神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
東京都墨田区業平2-14-9
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