2016年7月中旬の旧唐津街道 姪浜宿散策の続き。
「光明院跡記念碑」「庚申塔」と見学した後は、「水町天満宮」に向かいました。
光明院跡記念碑・庚申塔のレポ
「篠崎服装学院」という看板の建物の角を右折すると、神社が見えて来ました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/ee/83/j/o0480036014473384805.jpg?caw=800)
こちらは「水町天満宮」。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/31/60/j/o0480036014473384807.jpg?caw=800)
鳥居の扁額。「天満宮」とあるようですが…。達筆過ぎて読めない…(涙)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/da/8a/j/o0480036014473384809.jpg?caw=800)
由緒書き「水町天満宮の由来」。読み難いですね…(^^;
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/e5/8f/j/o0632045314473384812.jpg?caw=800)
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此処 水町天満宮は福岡城内に祭祀してあった太宰府天満宮の分霊を明治十五年十月(今を去る百十二年前)福岡城解体の折、町民協議して当地に移築されたものと伝えられています。
御神体は、学問の神様菅原道真公をお祀してあり、町内の氏神様、また学問の神様として参詣する人も多く、五十年位前迄は毎年一月七日の夜には鬼すべ行事が行われ、網屋町(今の姪の浜三丁目)の海岸迄お汐井取りに行っていました。大勢の人が鬼を中心に競い合い、狭い路地を廻るので仲々難しく、姪の浜の名物行事の一つに数えられており夜店も出て賑やかでした。ここ数年は、この行事も廃れています。
永い年月の間に社殿も古くなり、昨年の長雨と台風のため神殿の屋根瓦が落ち、ビニールでおおい、雨露を凌いでおりました。
このたび図らずも地元有志の方々の発議に依り、町内会とも相携えて新築することにご賛同を得、完成の運びと相成りました。茲に、その由来を記し感謝の意を捧げます。
平成六年十月吉日
(後略)
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へぇ~。福岡城内にあった天神様を、この地に移築したのか~。スゴい!
社殿に近付いて…。この日は、地元の方々でしょうか、何やら、手入れをされていました。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/dc/45/j/o0480036014473384815.jpg?caw=800)
ですから、社殿には、余り近付けず…。残念…(涙)。
社殿脇の石祠。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/0f/c7/j/o0480036014473384818.jpg?caw=800)
社殿を横の方から…。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/d5/ff/j/o0480036014473384821.jpg?caw=800)
社殿の横には、大木があって…。保存樹に指定されていました。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/77/4a/j/o0360048014473384824.jpg?caw=800)
最後に、鳥居脇の石灯籠。立派でした(^^)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/03/indyaki12/df/3f/j/o0360048014473384827.jpg?caw=800)
「水町天満宮」をお参りした後は、「光福寺」に向かいました。
その様子は、また後日。
水町天満宮
福岡市西区姪の浜6-8-3
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