2016年2月上旬の泉岳寺参拝レポの続き。
そして、この方!「大石内蔵助良雄」。
「大石内蔵助良雄」の墓石に近づいて…。
大石内蔵助良雄の墓石の隣には、右から、吉田忠左衛門兼亮、原惣右衛門元辰、片岡源五右衛門高房。
右から4番目が間瀬久太夫正明、その左が小野寺十内秀和…。
中央が間喜兵衛光延、左が磯貝十郎左衛門正久。
右から、堀部弥兵衛金丸、近松勘六行重、富森助右衛門正因。
右から、村松喜兵衛秀直、杉野十平次次房、勝田新左衛門武堯、前原伊助宗房、小野寺幸右衛門秀富。
そして、「大石主税良金」。
大石主税の隣には、右から、堀部安兵衛武庸、中村勘助正辰、菅谷半之丞政利。
右から、不破教右衛門正種、木村岡右衛門貞行、千馬三郎兵衛光忠。
右から、岡野金右衛門包秀、貝賀弥左衛門友信、大高源五忠雄、萱野三平重實。
それから、大石主税の墓石の横にある十三回忌碑。
十三回忌碑の後ろ側には、大きな石碑、記念碑のようなものがあって…。
大きな石碑の隣にも、石碑が…。
大きな石仏もいらして…。
松村定吉翁供養塔なる石碑もありました。
「浅野長矩及び赤穂義士墓所」のお参りを終えて、山門まで戻ると…。
おお~やっぱり歴史を感じさせますね~。
上階に上がる階段もあって…。一度は上に上がってみたいな。
山門の横には、戦没者慰霊碑も…。
山門の横には、記念碑もありました。
「大石内蔵助良雄」の墓石に近づいて…。
大石内蔵助良雄の墓石の隣には、右から、吉田忠左衛門兼亮、原惣右衛門元辰、片岡源五右衛門高房。
右から4番目が間瀬久太夫正明、その左が小野寺十内秀和…。
中央が間喜兵衛光延、左が磯貝十郎左衛門正久。
右から、堀部弥兵衛金丸、近松勘六行重、富森助右衛門正因。
右から、村松喜兵衛秀直、杉野十平次次房、勝田新左衛門武堯、前原伊助宗房、小野寺幸右衛門秀富。
そして、「大石主税良金」。
大石主税の隣には、右から、堀部安兵衛武庸、中村勘助正辰、菅谷半之丞政利。
右から、不破教右衛門正種、木村岡右衛門貞行、千馬三郎兵衛光忠。
右から、岡野金右衛門包秀、貝賀弥左衛門友信、大高源五忠雄、萱野三平重實。
それから、大石主税の墓石の横にある十三回忌碑。
十三回忌碑の後ろ側には、大きな石碑、記念碑のようなものがあって…。
大きな石碑の隣にも、石碑が…。
大きな石仏もいらして…。
松村定吉翁供養塔なる石碑もありました。
「浅野長矩及び赤穂義士墓所」のお参りを終えて、山門まで戻ると…。
おお~やっぱり歴史を感じさせますね~。
上階に上がる階段もあって…。一度は上に上がってみたいな。
山門の横には、戦没者慰霊碑も…。
山門の横には、記念碑もありました。
港区高輪にある「泉岳寺」。
慶長17年(1612)に開山した寺院で、徳川家康公が今川義元公を弔う為に建立されました。
赤穂浅野家ゆかりの寺院でもあり、忠臣蔵・赤穂浪士の墓所で、とっても有名なお寺ですよね。
この日も、かなりの参拝客で、「浅野長矩及び赤穂義士墓所」もゆっくりとはお参りすることができませんでした(^^; まぁ、仕方ないですよね。
慶長17年(1612)に開山した寺院で、徳川家康公が今川義元公を弔う為に建立されました。
赤穂浅野家ゆかりの寺院でもあり、忠臣蔵・赤穂浪士の墓所で、とっても有名なお寺ですよね。
この日も、かなりの参拝客で、「浅野長矩及び赤穂義士墓所」もゆっくりとはお参りすることができませんでした(^^; まぁ、仕方ないですよね。
このレポを作成していて、墓石を全員分撮影していないことに気づいて…。
全部撮ったつもりでいましたが…。残念です…。
忘れてしまったのは、岡嶋八十右衛門常樹、吉田沢右衛門兼貞、武林唯七隆重、倉橋伝助武幸、間新六光風の5名。何とも…(涙)。
全部撮ったつもりでいましたが…。残念です…。
忘れてしまったのは、岡嶋八十右衛門常樹、吉田沢右衛門兼貞、武林唯七隆重、倉橋伝助武幸、間新六光風の5名。何とも…(涙)。
やっとお参りできた「泉岳寺」と「赤穂義士墓所」でした!
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