山内豊信(容堂)墓 ~旧東海道 歴史散策(その7)~東京都品川区の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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先日7月下旬の東京の旧東海道の歴史散策の続き。

ボラちゃん橋」を見た後は、福岡に帰る為に、羽田空港に向かいましたが、
旧東海道散策は、時系列的には遡って、レポしたいと思います。
今日は、京急立会川駅から品川方面に一駅戻った「鮫洲(さめず)駅」の史跡をご紹介しましょう。

ボラちゃん橋の様子は、「こちら」

各駅しか止まらない鮫洲(さめず)駅で降り、第一京浜・国道15号線を陸橋で渡ると、向こうにこんもりした緑が見えて来ます。目的地はその緑の中にあるんですよね。
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鮫洲というと運転免許試験場を思い出しますが…。
こんもりした緑は、大井公園。都会の中のオアシスという公園です。
公園の入口に案内板があります。「山内豊信(容堂)墓(品川区指定史跡)」とあります。
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山内容堂公と言えば、土佐藩主。坂本龍馬さんのお殿様ですよね。こんな場所にお墓があるんですね!

案内板の矢印の方向に進むと、門が見えて来ます。
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ここが「山内豊信(容堂)墓」の入口のようです。
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階段を上ります。しかし、踏面が歪んでいるんですね…(汗)。この歪みが堪りませんけど♪
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階段を上ると、擁壁があるんですが、中の鉄筋が露出しちゃっていますが…。大丈夫でしょうか…(汗)。
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更に坂道と階段を上ると、見えて来ました。
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墓所に入ってすぐ手前には「嶋津常候之墓」と書かれた墓石があります。
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裏面には「従四位下山内豊熈朝臣室 明治十三年十一月十六日逝」とあります。
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これは、第13代土佐藩主山内豊熈公の正室・候姫(こうひめ)の墓石。
候姫は、薩摩藩主島津斉興公の娘だから、「嶋津常候之墓」とあるんですね。

その隣には、ありました!山内容堂公のお墓。
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墓石には「贈従一位山内豊信公之墓」とありますね。
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裏には「明治五年六月二十一日薨」とありました。
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由緒書き。幕末の英雄の一人。幕末の動乱期を語るに欠かすことの出来ない人物・山内豊信公。
この東大井の地に眠っているとは…。知りませんでした(汗)。
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容堂公の奥にももう1基、墓石があります。
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墓石には「侯爵山内豊範妻栄子之墓」とあります。 山内豊範公は第16代藩主で、土佐藩最後の藩主で当たります。
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その脇には更に1基。墓石には「山内家合祀之墓」とあります。
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最後に、墓所を内側から眺めて…。
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旧東海道の「品川宿」を出てすぐの鮫洲駅近くの小高い丘に、「山内豊信(容堂)墓」はあります。
この辺りに土佐藩下屋敷があったからでしょうか、この地に土佐藩主・山内容堂公が眠っておられて…。
この地を気に入ったからでしょうね、土佐ではなく、この地に葬られたのは…。

鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と自ら称する程の大の酒好き。
それでも幕末の動乱期に名を馳せた人物。分家の出身でありながら、第15代土佐藩主を継いだのも、
運命だったのかも知れませんね。

ここ品川の地に、山内豊信公と、坂本龍馬さんがいらっしゃるとは…。
なかなか興味深い歴史散策となりました♪

山内豊信(容堂)墓」を参拝した後は、京急立会川駅に向かいましたが、旧東海道散策は、またまた時系列的には遡って、レポしたいと思います。
次回からは、旧東海道北品川駅から立会川駅方面に、散策したレポをお送りしますね。
その様子はまた後日。



山内豊信(容堂)墓
東京都品川区東大井4-8 大井公園内・立会小学校隣



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これまでの旧東海道 歴史散策レポ

京浜急行「立会川」駅前の坂本龍馬像の様子は、「こちら」
浜川橋涙橋)の様子は、「こちら」
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仲町稲荷神社の様子は、「こちら」