先日7月下旬の東京の旧東海道の歴史散策の続き。
「ボラちゃん橋」を見た後は、福岡に帰る為に、羽田空港に向かいましたが、
旧東海道散策は、時系列的には遡って、レポしたいと思います。
今日は、京急立会川駅から品川方面に一駅戻った「鮫洲(さめず)駅」の史跡をご紹介しましょう。
旧東海道散策は、時系列的には遡って、レポしたいと思います。
今日は、京急立会川駅から品川方面に一駅戻った「鮫洲(さめず)駅」の史跡をご紹介しましょう。
ボラちゃん橋の様子は、「こちら」。
各駅しか止まらない鮫洲(さめず)駅で降り、第一京浜・国道15号線を陸橋で渡ると、向こうにこんもりした緑が見えて来ます。目的地はその緑の中にあるんですよね。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/bd/0a/j/o0330024714473311848.jpg?caw=800)
鮫洲というと運転免許試験場を思い出しますが…。
こんもりした緑は、大井公園。都会の中のオアシスという公園です。
公園の入口に案内板があります。「山内豊信(容堂)墓(品川区指定史跡)」とあります。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/3f/e3/j/o0286020814473311851.jpg?caw=800)
山内容堂公と言えば、土佐藩主。坂本龍馬さんのお殿様ですよね。こんな場所にお墓があるんですね!
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/bd/0a/j/o0330024714473311848.jpg?caw=800)
鮫洲というと運転免許試験場を思い出しますが…。
こんもりした緑は、大井公園。都会の中のオアシスという公園です。
公園の入口に案内板があります。「山内豊信(容堂)墓(品川区指定史跡)」とあります。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/3f/e3/j/o0286020814473311851.jpg?caw=800)
山内容堂公と言えば、土佐藩主。坂本龍馬さんのお殿様ですよね。こんな場所にお墓があるんですね!
案内板の矢印の方向に進むと、門が見えて来ます。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/7b/8c/j/o0330024714473311853.jpg?caw=800)
ここが「山内豊信(容堂)墓」の入口のようです。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/a2/45/j/o0330024214473311857.jpg?caw=800)
階段を上ります。しかし、踏面が歪んでいるんですね…(汗)。この歪みが堪りませんけど♪
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/d8/dc/j/o0247033014473311859.jpg?caw=800)
階段を上ると、擁壁があるんですが、中の鉄筋が露出しちゃっていますが…。大丈夫でしょうか…(汗)。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/9a/60/j/o0330024714473311861.jpg?caw=800)
更に坂道と階段を上ると、見えて来ました。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/ef/99/j/o0330024714473311869.jpg?caw=800)
墓所に入ってすぐ手前には「嶋津常候之墓」と書かれた墓石があります。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/22/74/j/o0247033014473311873.jpg?caw=800)
裏面には「従四位下山内豊熈朝臣室 明治十三年十一月十六日逝」とあります。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/3c/83/j/o0247033014473311876.jpg?caw=800)
これは、第13代土佐藩主山内豊熈公の正室・候姫(こうひめ)の墓石。
候姫は、薩摩藩主島津斉興公の娘だから、「嶋津常候之墓」とあるんですね。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/7b/8c/j/o0330024714473311853.jpg?caw=800)
ここが「山内豊信(容堂)墓」の入口のようです。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/a2/45/j/o0330024214473311857.jpg?caw=800)
階段を上ります。しかし、踏面が歪んでいるんですね…(汗)。この歪みが堪りませんけど♪
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/d8/dc/j/o0247033014473311859.jpg?caw=800)
階段を上ると、擁壁があるんですが、中の鉄筋が露出しちゃっていますが…。大丈夫でしょうか…(汗)。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/9a/60/j/o0330024714473311861.jpg?caw=800)
更に坂道と階段を上ると、見えて来ました。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/ef/99/j/o0330024714473311869.jpg?caw=800)
墓所に入ってすぐ手前には「嶋津常候之墓」と書かれた墓石があります。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/22/74/j/o0247033014473311873.jpg?caw=800)
裏面には「従四位下山内豊熈朝臣室 明治十三年十一月十六日逝」とあります。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/3c/83/j/o0247033014473311876.jpg?caw=800)
これは、第13代土佐藩主山内豊熈公の正室・候姫(こうひめ)の墓石。
候姫は、薩摩藩主島津斉興公の娘だから、「嶋津常候之墓」とあるんですね。
その隣には、ありました!山内容堂公のお墓。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/a7/ec/j/o0330024714473311881.jpg?caw=800)
墓石には「贈従一位山内豊信公之墓」とありますね。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/db/d9/j/o0247033014473311882.jpg?caw=800)
裏には「明治五年六月二十一日薨」とありました。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/bd/7b/j/o0247033014473311885.jpg?caw=800)
由緒書き。幕末の英雄の一人。幕末の動乱期を語るに欠かすことの出来ない人物・山内豊信公。
この東大井の地に眠っているとは…。知りませんでした(汗)。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/9e/c3/j/o0486027514473311891.jpg?caw=800)
容堂公の奥にももう1基、墓石があります。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/d4/b1/j/o0330024714473311896.jpg?caw=800)
墓石には「侯爵山内豊範妻栄子之墓」とあります。 山内豊範公は第16代藩主で、土佐藩最後の藩主で当たります。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/16/44/j/o0247033014473311900.jpg?caw=800)
その脇には更に1基。墓石には「山内家合祀之墓」とあります。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/da/45/j/o0330024714473311902.jpg?caw=800)
最後に、墓所を内側から眺めて…。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/a8/0f/j/o0330024714473311904.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/a7/ec/j/o0330024714473311881.jpg?caw=800)
墓石には「贈従一位山内豊信公之墓」とありますね。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/db/d9/j/o0247033014473311882.jpg?caw=800)
裏には「明治五年六月二十一日薨」とありました。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/bd/7b/j/o0247033014473311885.jpg?caw=800)
由緒書き。幕末の英雄の一人。幕末の動乱期を語るに欠かすことの出来ない人物・山内豊信公。
この東大井の地に眠っているとは…。知りませんでした(汗)。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/9e/c3/j/o0486027514473311891.jpg?caw=800)
容堂公の奥にももう1基、墓石があります。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/d4/b1/j/o0330024714473311896.jpg?caw=800)
墓石には「侯爵山内豊範妻栄子之墓」とあります。 山内豊範公は第16代藩主で、土佐藩最後の藩主で当たります。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/16/44/j/o0247033014473311900.jpg?caw=800)
その脇には更に1基。墓石には「山内家合祀之墓」とあります。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/da/45/j/o0330024714473311902.jpg?caw=800)
最後に、墓所を内側から眺めて…。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/01/indyaki12/a8/0f/j/o0330024714473311904.jpg?caw=800)
旧東海道の「品川宿」を出てすぐの鮫洲駅近くの小高い丘に、「山内豊信(容堂)墓」はあります。
この辺りに土佐藩下屋敷があったからでしょうか、この地に土佐藩主・山内容堂公が眠っておられて…。
この地を気に入ったからでしょうね、土佐ではなく、この地に葬られたのは…。
この辺りに土佐藩下屋敷があったからでしょうか、この地に土佐藩主・山内容堂公が眠っておられて…。
この地を気に入ったからでしょうね、土佐ではなく、この地に葬られたのは…。
「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と自ら称する程の大の酒好き。
それでも幕末の動乱期に名を馳せた人物。分家の出身でありながら、第15代土佐藩主を継いだのも、
運命だったのかも知れませんね。
それでも幕末の動乱期に名を馳せた人物。分家の出身でありながら、第15代土佐藩主を継いだのも、
運命だったのかも知れませんね。
ここ品川の地に、山内豊信公と、坂本龍馬さんがいらっしゃるとは…。
なかなか興味深い歴史散策となりました♪
なかなか興味深い歴史散策となりました♪
「山内豊信(容堂)墓」を参拝した後は、京急立会川駅に向かいましたが、旧東海道散策は、またまた時系列的には遡って、レポしたいと思います。
次回からは、旧東海道を北品川駅から立会川駅方面に、散策したレポをお送りしますね。
その様子はまた後日。
次回からは、旧東海道を北品川駅から立会川駅方面に、散策したレポをお送りしますね。
その様子はまた後日。
山内豊信(容堂)墓
東京都品川区東大井4-8 大井公園内・立会小学校隣
東京都品川区東大井4-8 大井公園内・立会小学校隣