照國神社の島津斉彬公の銅像と、探勝園の島津久光公・島津忠義公の銅像と(その2) ~鹿児島市照国町 | 九州下町おやじの珍道中

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先日、鹿児島出撃の続き。

照國神社の境内には斉彬公の、その隣の探勝園には久光公、忠義公の銅像が
あるというので、行ってみました。


鹿児島出撃の速報レポは、「こちら」
別格官幣社 照國神社末社保食神社の様子は、「こちら」


照國神社の授与所の裏側、神社の東側に広場があるので、そちらに向かうと見えて来ました。
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照國大明神、薩摩藩主島津家二十八代島津齊彬 (なりあきら)公の銅像。
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由緒書き。
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アップで。
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明治維新の礎を築いた斉彬公。存在感がありますね!

斉彬公の隣には、「戊辰之役戦士顕彰碑」の石塔が。
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石塔の手前には、由緒書きがありました。
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(前略)
薩摩から八千余名の人々が参戦し、六百名をこえる戦没者と多くの戦傷者を出しました。
(後略)
戊辰戦争は激戦に次ぐ激戦。薩摩戦士も多くの戦没者を・・・(涙)。合掌・・・。

斉彬公の銅像の前は、広場になっているんですよね。

その奥に社が見えましたので、行ってみました。
なかなか立派です。
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鹿児島縣護国神社頓宮の拝殿でした。
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「頓宮(とんぐう)」とは、「仮の宮殿。行宮(あんぐう)。」(Yahoo!辞書:大辞泉)のこと。

護国神社頓宮の本殿を横から。なかなか渋いですね。
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護国神社頓宮の拝殿から参道を進み、振り返ると・・・。
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な、何だか、建物が参道のギリギリの所に建っていますね(汗)。

護国神社頓宮の参道を進むと、「幼年学校趾」と書かれた石碑がありました。
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その石碑の脇には由緒書きがありました。
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'''幼年学校(賞典学校)跡''' (照国町照国神社境内)
 明治7(1874)年6月、西郷隆盛はこのあたり一帯に士官養成のための幼年学校をつくりました。この学校は、西郷隆盛。桐野利秋・大山綱良らの明治維新の功績に対する賞典禄10万石をもとにつくられたので、賞典学校とも呼ばれました。
(後略)
幼年学校」とは、「陸軍幼年学校の略。」(Yahoo!辞書:大辞泉)。
「陸軍幼年学校」とは、「旧日本陸軍で、士官を志願する少年を教育した学校。明治3年(1870)設置の兵学寮幼年学舎を前身とし、同5年改称して独立。修業期間は3年間で、卒業生は陸軍士官学校に進学した。」(Yahoo!辞書:大辞泉)。

この場所に、幼年学校があったんですね。

幼年学校趾」の碑を過ぎて、更に東に進むと、探勝園という公園があります。
探勝園照國神社の境内に隣接しています。

探勝園の池の奥には、島津久光公の銅像が建っています、
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島津久光公は、島津氏第二十七代当主島津斉興の五男で、斉彬公の異母弟に当たります。
斉彬公が亡くなると、家督は久光公の息子の忠義公が継ぎましたが、久光公が薩摩藩の事実上の最高権力者となったそうです。

アップで。
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久光公と言えば、生麦事件の、イギリス人が乱入した行列の殿様。
薩英戦争にまで発展しましたね。

以前の、生麦事件の碑のレポは、「こちら」

探勝園の敷地内の小山には、太平洋戦争戦士之墓の石碑がありました。
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奥には、久光公が見守っています・・・。合掌・・・。

久光公の前には、息子で第二十九代当主の忠義公の銅像が・・・。
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アップで。忠義公は洋装。軍服なんですね。
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探勝園の入口部分には、由緒書きがありました。
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探勝園(たんしょうえん)と島津三銅像
 電信が駆けた庭園
(前略)
 積極的に西洋文化を吸収しようとしていた島津家第28代藩主斉彬は、日本で初めてモールス信号による交信に成功、この探勝園と鶴丸城の間(600m)で、交信を実現してみせたのです。
 探勝園という庭園は、現在公園になっていますが、当時は鶴丸城二の丸の名園で、山すそを利用し、滝石組を設け、その下に池泉を設け、今もその面影をとどめる見事な石橋がかけられていました。
 1917年(大正6)園内とこれに隣接した照国神社境内に島津斉彬とその弟久光、第29代藩主忠義の三公の銅像が建立されました。
時代の最先端を行っていたんですね、薩摩藩は!すごか~!!

三公は皆、新しいものに興味を抱き、どんどん取り入れて、日本を明治維新に導きました。
ただ、新しい西洋文明だけではなく、古き良き日本を忘れてはいなかったようですね。


幕末の薩摩を支え、現在の日本の礎を築いた島津の三公が静かに鹿児島を見守っています・・・。

斉彬公、久光公、忠義公の銅像が見た後は、鶴丸城址に向かいました。
その様子は、また後日。



別格官幣社 照國神社
鹿児島市照国町19-35


探勝園
鹿児島市照国町19(照国神社隣)