古代の大宰府客館跡と、般若寺跡と、石造七重塔と ~福岡県太宰府市の史跡・石塔 | 九州下町おやじの珍道中

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20191月5日の二日市・太宰府歴史散策の続き。

 

 

龍明橋」を渡り、「旧大宰府朱雀大路」を見学し、「多々良橋」を渡った後もまた、二日市・太宰府散策を続けました。

 

 

龍明橋・旧大宰府朱雀大路・多々良橋のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12450601966.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42292301.html

 

 

西鉄電車の線路に沿って、かなり広い空き地が広がっているんですよね。

 

 

その一角に案内板があって、フェンスに「古代の客館跡」と掲示してあります。

 

 

その案内板は「大宰府客館跡周辺の文化財」。この場所は「大宰府客館跡」で、奈良時代に大陸からの使節をもてなした客館跡で、大型建物跡や貴重な遺物が出土しています。

 

 

この周辺には、いろいろあるんですね~これを参考に回ってみようっと(^^)

 

 

フェンスに張られた「古代の客館跡」の看板の裏側は、由緒書きになっていました。これは効率がよか♪

 

まずは、「古代都市・大宰府条坊」。大宰府の整備は、664年の水城築造、665年の大野城・基肄城(きいじょう)の築城に始まります。それから25年程経ち、碁盤目に区画された古代都市「大宰府条坊」が整備されています。

 

 

都が平城京へ遷った710年代後半になると、政庁・観世音寺で整備が進められ、水城大野城でも門等がリニューアルされました。

政庁への正式な道である朱雀大路(南北大路)も、都の朱雀大路の幅の約半分の36mと、国内2位の広さを誇りました。

ここは、「大宰府条坊」のほぼ中央に位置し、朱雀大路の東側にあり、周辺には菅原道真公が住んだ「府の南館跡榎社)」、古代寺院「般若寺跡」等、古代遺跡が多くあります。

 

へぇ~この場所が大宰府の碁盤目の中央辺りになるのか~

その名残は、現在はほぼなしですが…(^^;

 

 

水城跡観世音寺は、以前、レポしていますよね。

 

水城跡のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/33416395.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/33416420.html

 

 

観世音寺のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/33306625.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/40764504.html

 

 

その隣には「外国使節をむかえる」。古代において、外国使節を迎える正式な窓口は大宰府でした。「筑紫館(つくしのむろつみ)」は、「大宰鴻臚館(こうろかん)(現在の福岡市・平和台球場跡)」と呼ばれ、使節団の最初の寄港地です。

 

 

大宰府が使節の来訪を都に知らせると、使者が使わされ使節を調べ、都に入ることが決まると、使節は「難波館(なにわのむろつみ)(大阪)」を経て、京内の客館・鴻臚館に入り、宮殿で外交儀礼やもてなしの宴を受けました。

 

 

福岡市の平和台球場跡大宰鴻臚館跡は、以前、レポしているんですよね。

 

鴻臚館跡展示場のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/12728443.html

 

 

その横には、「高級品の数々」。金属できた光り輝く器、釉薬をかけた陶磁器、漆器等は、古代日本では高級品で、その中でも最高級とされるものが、この一帯の遺跡から次々と出土しています。

 

 

新羅時代の高級青銅器(佐波理)の椀・皿・さじ・加盤、唐時代の白磁の椀、青磁の盤・托・香炉・唾壺(だこ)、奈良三彩の壺・漆の朱塗り皿、等々…。

国際色豊かというだけでなく、それぞれ国を代表する超高級品が揃っていますので、この地が、大宰府を訪れた海外の使節団を泊め、もてなし、交易を行う場所「客館跡」と考えられるようになりました。

 

 

そして「最大級の大型建物」。この場所からは、条坊内最大級となる古代の建物跡も見つかりました。奈良時代のもので、南北に長い2棟の建物が一列に並んでいます。

 

 

その建物は、北棟:長さ29.5m(100尺)、幅8.8m(30尺弱)、南棟:長さ23.6m(80尺)、幅8.6m(30尺弱)。

いずれも格式の高い建物で、施設の中心的な建物とみられ、揃って西を向いており、その大きさや配置など、大宰府政庁の建物に似た立派なものです。

東北地方の多賀城跡でも、中央南北大路沿いに城下最大級の大型建物群(いずれも南北に長い)が並ぶ一角があり、多賀城蝦夷と呼ばれた辺境の人々を迎えており、大宰府とよく似ていますので、これらの建物は、同じような役割を担った施設と考えられています。

 

 

最後に「客館で行われたこと」。詳しいことは分かっていませんが、大宰府鴻臚館遣唐副使小野篁が唐の人・沈道古(ちんどうこ)と詩を唱和したという記録があります。

 

 

遣唐使客館鴻臚館を利用しました。承和4年(837)の遣唐使は、平安京鴻臚館を発ち、大宰府に向かっています。

大宰府でも、承和3年(836)・11年(839)に遣唐使を「府館」「客館」に安置したとする記録が残っています。

 

 

これらの説明書きがある場所の、道路を挟んだ向かい側にも広い空き地がありまして、整備の為でしょうか、重機が入って、何やら作業していました。

 

 

太宰府市のマンホール蓋。こちらも、梅を図案化したものなんですね♪

 

 

古代の大宰府客館跡」から西鉄二日市駅方面に進んで、西鉄太宰府線の線路を渡り、左手の坂道を上って行きます。

 

すると石段がありますので、上り切った所で、振り返って…。おお~!かなり高い場所なので、眺めがいい~♪それだけ急な石段なんですが(^^;

 

 

眼下に見える線路際の空地が「古代の大宰府客館跡」になります。

 

 

石段を上り真っすぐに進むと、下る石段があるんですがそこでは下りずに(笑)、次の丁字路を右折。少し進むと、左手に一段高くなった場所に公園のようなスペースがあって、由緒書きもあるんですよね。

 

 

こちらは「般若寺跡」。筑紫大宰帥蘇我日向(そがのひむか)が「甲寅年」(白雉5年・654年)に、孝徳天皇の病気が治るように祈願し建立したのが始まりと言われています(「上宮聖徳法王帝説」裏書)。

 

 

この上宮聖徳法王帝説裏書にある「般若寺」は、出土する瓦や塔心礎から「塔原廃寺(とうのはるはいじ)」(筑紫野市塔原)と推定され、その後、大宰府郭内が整備される過程で移転したものが、現在の「般若寺跡」で、9世紀代までは存続したものと推測されます。

この付近一帯は、以前から地名や伝承などによって、古代の寺院跡であったことが知られていて、発掘調査により一辺が11.9mの正方形の瓦積基壇が確認されています。

基壇は深さ約50cm程の掘り込みを行った後、版築という土を突き固める工法で積み上げられています。

現在、基壇上に残る塔の心礎は、本来の位置ではなく、わずかに動かされていることが分かっています。

この塔の心礎は直径約180cm、厚さ約80cmの花崗岩製で、中央部に心柱を建てる為の直径73cm、深さ15cmの円形のホゾ穴が彫り込まれています。

その他、塔跡の周囲では、塔より古い時期の大型の掘立柱建物跡柵列も検出され、塔跡の西側からは礎石も2基見つかっていますが、伽藍の全容解明には至っていません。

また、ここから東100mの所には、鎌倉時代建立と考えられる石造の七重塔が建っています。

 

 

へぇ~「古代の大宰府客館跡」の由緒書きにあった「般若寺跡」がこの地にあったのか~♪

深い歴史ある寺院なんですね!興味深いな♪

 

 

階段があるので、上って見ると、いくつか大きな石が置かれていて…。

 

 

真ん中にある石に近付いて…。おお!丸い穴がありますね!これが先程の由緒書きにあった塔の心礎になる訳か~♪

 

 

しかし、礎石の真ん中に、楔が打ち込まれているのが気になるな…。

廃寺となった後、だれかが割ろうとしたのでしょうか…?(^^;

 

 

この場所が「般若寺」の基壇となるんですね♪「般若寺跡」を奥の方からパチリ。

ちょっとしたスペースがあるだけですが、何とも言えない雰囲気で…。隆盛を誇った当時に思いを馳せて…。

 

 

般若寺跡」から東に進むと突き当たりますので、そこを左折。鍵形の変形の四つ角を左折すると、右側に大きな石塔が見えて来ます。

 

 

こちらが、「般若寺跡」の由緒書きあった「石造七重塔」。この場所も「般若寺跡」になるそうです。

 

 

般若寺跡」の由緒書き。大化5年(649)筑紫大宰帥に任じられた蘇我日向が、孝徳天皇の病気平癒の為に建立したと伝えられるが、出土する瓦から8世紀の奈良朝の建立と言われています。

 

 

いずれの時代に亡びたかは不明であるが、この地が「般若寺跡」と伝えられ、塔の心礎と国の重要文化財、石造七重塔が残っています。

この七重塔は鎌倉時代の作で、石材は御影石。塔の四面にある各一文字は四方仏を表す梵字で、鎌倉時代の優秀な遺物であると言われています。

 

 

般若寺跡 石造七重塔」をじっくりと…。

 

 

正面からも…。

 

 

国の重要文化財「石造七重塔」。見事な石塔でした(^^)

 

 

古代の大宰府客館跡」に「般若寺跡」と、古代大宰府の史跡を目の当たりにして、往時の様子を思い浮かべて、気分がかなり盛り上がって来ました♪(^^)

ただ、当時の名残がほぼ残っていないのが、ちょいと残念で…仕方がないですね、それだけ古いのですから…(^^;

 

 

古代の大宰府客館跡」「般若寺跡」「石造七重塔」と見学した後は、「高橋紹運首塚」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

大宰府客館跡

福岡県太宰府市朱雀3-13

https://www.dazaifu-japan-heritage.jp/bunkazai/detail.php?cId=346(太宰府市日本遺産活性化協議会HP)

 

 

般若寺跡

福岡県太宰府市朱雀2-18-21付近

https://www.dazaifu-japan-heritage.jp/bunkazai/detail.php?cId=334(太宰府市日本遺産活性化協議会HP)

 

 

石造七重塔(般若寺跡)

福岡県太宰府市朱雀2-16-18付近

https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/d-map/kaisetu14.html(九州国立博物館HP)

 

 

 

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