2018年5月上旬GWの市ヶ谷・四ッ谷散策の続き。
「比丘尼坂」を通った後は、本塩町から四谷坂町の路地裏を通って、「新宿歴史博物館」に向かいました。
比丘尼坂のレポ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42109163.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12390810349.html
本塩町から四谷坂町の狭い路地をくねくねと歩いて行くと、立派な建物が見えて来ます。
こちらが「新宿区立新宿歴史博物館」。新宿区の歴史がいっぱい詰まった歴史博物館です!
入口脇には、派手な手摺のようなものが置かれているんですよね。それも、結構古そうな感じ…。
こちらは「四谷見附橋 高欄」。国道20号線・甲州街道(新宿通り)の四ッ谷駅に架かる橋ですが、その欄干になるんですね!
大正2年(1913)に開通した四谷見附橋の欄干の一部です。
この橋は架かるまで四谷見附は、江戸城防備の為、甲州街道の要衝として築かれたコの字状の枡形の名残をとどめ、麹町方面には直進することができませんでした。
そこで東京市は甲州街道を直行する橋を計画し、明治44年(1911)に着工、大正2年に完成しました。
橋のデザインは、近くの赤坂離宮(現在の迎賓館)の外観と調和させたネオ・バロック様式となっています。
橋は、平成3年(1991)に道路拡幅のため架け替え、再使用できない部材の一部が当館に寄贈され、架け替え前の四谷見附橋の姿は、八王子市南大沢の長池公園に復元されていて、長池見附橋と名付けられています。
入館料300円を支払って、中に入ります。内部は「撮影スポット」以外、撮影禁止ですので、「撮影スポット」のみ、写真をアップしますね。
展示物は、新宿区の歴史、石器文化から縄文、弥生、中世、江戸時代、はたまた、明治・大正・昭和と続く展示物で、なかなか興味深いものがありますよ♪
最初の撮影スポットは、こちら。「内藤新宿の復元模型」。
おお~かなりの大きさ、広い範囲が復元されていますね。
案内板「内藤新宿のすがた」。内藤新宿は、江戸四宿の一つで、日本橋を起点とした甲州街道の最初の宿場。はじめは、下高井戸・上高井戸が最初の宿場でしたが、日本橋から四里(約15km)と遠い為、元禄11年(1698)江戸浅草阿部川町の名主喜兵衛(のち喜六)らが、茅野原だったこの辺りを開発しました。
町の一部が内藤家の屋敷地でしたので、内藤新宿と言われました
「江戸四宿図」もあって…。東海道は品川、奥州・日光街道は千住、中山道・川越街道は板橋、となるんですね。
「模型の見方」も掲示してありました。現在の新宿通りに沿った形で約1,200m続いていました。この模型は、資料に基づいて120分の1の縮尺で推定復原したものです。
但し、宿場全体の姿そのままではなく、江戸寄りの四谷大木戸、中央部の高札場、問屋場近辺、甲州街道と青梅街道の分岐点・追分周辺の3つの部分が作られています。
「現在の地形との対比図」現在の新宿御苑が高遠藩内藤家の屋敷だった訳ですが、その北側が内藤新宿に当たります。
「内藤新宿の復元模型」を甲州街道に沿って眺めて見て…。なかなか立派ですね~♪
おお!昔の建物もあるんですね!
この建物は「荒井谷(野口家)」。江戸時代の商家を復元したもののようで、平面配置推定図も掲示してありました。
建物の中には、帳場を再現していて…。豪商って感じがしますね。
その奥には、控えの間も再現されていて…。
次の撮影スポットは、こちら!おお~都電だ!安全地帯まで、再現していますね~♪
「新宿駅前のにぎわい」その昔は、東京市電でしたね(^^;
昭和5年に半鋼製の大型ボギー車5000形が走り始めたのですね♪
5000形の車体組立図も掲示してあって…。昭和6年度製の銘があります。
5000形の横に回って…。
運転席。歴史を感じますね(^^)
「その2」に続く。
新宿区立新宿歴史博物館
東京都新宿区三栄町22
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/
下町おやじのYahoo!ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42128535.html