正地稲荷神社・栄町龍王神 ~長崎県島原市の神社 | 九州下町おやじの珍道中

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2017年5月1日の島原出撃レポの続き。

 

島原鉄道「島原外港駅」の横を抜けて、レンタサイクルで島原市内を巡りました。

 

 

島原鉄道 島原外港駅のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12331209153.html

 

 

島原外港駅」から北に進路を取り、暫く進むと、左手に大きな鳥居が見えて来ます。

 

 

鳥居脇のお稲荷さんと、石灯籠。「正地稲荷神社」との銘がありますね。

 

 

鳥居の奥に見える路地を入って行くと、大きな朱の鳥居が!これは立派だこと!

 

 

朱の鳥居をくぐり、更に路地を進むと、右手に「正地稲荷神社」の参道入口が見えて来ます。右手には「栄町龍王神」とあります。

 

 

門をくぐります。

 

 

緩やかな石段を上ると、正面にお社があって…。

 

 

社の中の様子。祭壇には、龍の像が安置されていました。

 

 

お社の側面にある由緒書き。こちらが「栄町龍王神」なのですね!

 

昔、稲荷山の下で一匹の蛇が子ども達にもてあそばれていた処、高田洞庵という若い町医者が通りかかり、その蛇を助けてやりました。

ある雨の碑、雨宿りを求め絶世の美女が洞庵宅の戸をたたきました。その美女は洞庵といつしか気心が解け合い二人は夫婦となり、子どももできて楽しい暮らしが続きました。

ある日、洞庵は妻の姿が見えないので、裏の納屋を覗いてみると、大蛇がとぐろを巻いて赤ん坊に乳を飲ませていた…。その大蛇は、以前助けてもらったことを告げ、大事な子どもの為にと、くりぬいた目玉を渡して、雷鳴とどろく夕闇の中へ消え去って行きました。

その後、子どもはすくすくと育ちましたが、領主が不思議な玉のことを聞きつけて取り上げてしまうと、その日から洞庵の子は泣き続け、痩せ細って行きました…。

雷鳴がともに大蛇が現れ、もう一つの目玉を差し出して去って行きましたが、またもや領主がその玉を奪ってしまった為、突如として大轟音とともに眉山が崩壊し、有明の海は大津波を起こし大惨事「島原大変」となった…。

洞庵の子は、蛇体の母親の温情を後世に伝える為に、龍眼様の祠を稲荷山に建立した…。

 

なかなか興味深い言い伝えですね。

 

 

栄町龍王神」の祠の右手に朱の鳥居が立ち並ぶ石段があります。

 

 

その横にある由緒書き「稲荷信仰と正地稲荷の由来」。

 

正地稲荷神社」は、片山家の先々代・片山ヤスさんが、古き時代この山の中腹に祠があったので、そこに拝殿を造り正地稲荷の信仰を始めたことがはじまり、とあります。

大正12年には、桑教管長より捕訓導を給わり、行政においても「稲荷山」と指名したともありますね。

 

 

石段を上ると、小さなお堂があって…。

 

 

その中には、お地蔵様がいらっしゃいました。子育て地蔵尊とのことです。

 

 

社殿が見えて来ました。

 

 

拝殿に近づいて…。

 

 

境内には、大きな石碑もあって…。「老松白雪」と刻まれているのでしょうか。

 

 

石祠もいくつも並んでいて、人々の信仰心の篤さをたくさん感じました(^^)

 

 

正地稲荷神社」をお参りした後もまた、レンタサイクルで島原散策を続けました。

その様子は、また後日。

 

 

 

正地稲荷神社

長崎県島原市栄町8678

 

 

 

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