2017年4月2日の岩国レポの続き。
「吉川家墓所」の続き。
吉川家墓所(その6)のレポ。
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12323821913.html
吉川家墓所(その7)のレポ。
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12323834666.html
11代藩主吉川経章公の長女の安姫の墓石の隣には五輪塔があります。
こちらは、7代藩主吉川経倫公の実母の永珠院の墓石。
その隣にも五輪塔があって…。
こちらは、11代藩主吉川経章公の側室の清操院のもの。
清操院の墓石がこちら側の最後のものになるようなので、歩いてきた小道を戻ります。
12代藩主吉川経幹公の墓石を通り過ぎると、左手に石段が見えて来て、石段脇には、「岩国藩初代藩主 吉川広家」の案内板が!
石段を上ると、立派な門があって…。
門をくぐります。
すぐ右手には、何やら、彫刻のされた手水鉢のようなものがあって…。
由緒書き『「みみずく」の手水鉢』。広島藩家老で茶人の上田宗箇から、桜の返礼として寛永2年(1625)に、吉川広家公に贈られたもの、とあります。
吉川広家公と上田宗箇はともに千利休に師事し交友がありました。
手水鉢が今津に着いた時、吉川広家公は亡くなった後だったので、浄念寺に置かれ、明治40年(1907)に現在地に移されました。
更に進むと、立派な墓石があります。五輪塔ではないのですね。
こちらが、初代藩主吉川広家公の墓石になります。
墓石の横には、大正14年の銘が入った記念碑があって…。この年に、従三位を贈られた。ということでしょうか…。
吉川広家公の門を出て石段を下ると、左手の石垣の上に、墓石が見えてきます。
その墓石に近づいて…。
こちらは、森脇作右衛門長清入道竹隠の墓石。吉川広家公に殉死した人物のお墓になるのですね…。主君の近くで永眠されている…。
更に坂道を下って行くと、3基の墓石があります。由緒書きがなかったので、どなたのかは、分かりませんでした…。
「岩国城」の山の麓、城下に置かれている「吉川家墓所」。
岩国を治めていた吉川家の墓所でありますので、どれも立派な御墓でした。
当主は勿論のこと、正室・側室・早世した子ども達の墓石まであって、荘厳でした。
一通り、お参りすることができて、良かったです。
「吉川家墓所」をお参りした後は、ロープウェイに乗って「岩国城」に向かいました。
その様子は、また後日。
吉川家墓所
山口県岩国市横山1-10
http://kankou.iwakuni-city.net/bosho.html(岩国市HP)
下町おやじのYahoo!ブログ
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