たまに「肩書ってなんっすか?」って聞かれます。
説明するのが面倒なのと、肩書なんてどうでもイイと思ってるんで、
「いろいろヤッってるんで、ちょっと何って言えないっス」って答えると、
ちょっと怪訝そうな顔でこっちを見る人が居ます。
「あーっ」と思って、少し説明し始めると
相手は若干面倒臭さそうに「う~ん、よく判らんっすねぇ」って帰ってきたりするんですが、「いやいや、そこはアナタが頑張ってコミュケーションするところじゃん?」って思ってしまいます。
「お後がよろしいようで」
日常の会話なんかで、
例えば、ギャグを言ったあとに「おあとがよろしいようで」付けるのを聞きます。
察するに「オチが付いたから面白い話はここでおしまいだってばよ」ってことなんだろうと。
たしかに、落語などの話の大半は最後にオチが来るので、
「お後がよろしいようで」という言葉を使うときはオチで終わることがほとんどです。
だから一般的には「お後がよろしいようで=オチ」という認識になってもおかしくない。
本来「お後」はあとに控える出演者のこと。
「よろしい」がスタンバイOK。
合わせると、次の出演者の準備が整ったから、自分は引っ込みますよって意。
例えば、出番予定の出演者がまだ来てないとか、到着したけど着替えが間に合ってないとか。
なんらかの理由で演者がスタンバイ出来ていない時は、高座(舞台とか)に上がる出演者が間繋ぎとか時間調整して、準備が整えば「お後がよろしいようで」となります。
寄席だと時間調整で適当なところで話を切るので、オチがつかなくても「お後がよろしいようで」となることもあったと。
ツイッターでの用例を見ると
「ギャグをつぶやいた人が、ウケに自信がないので自虐として入れておく」という使い方のようで。
ただこれは、見方を変えれば、使い方が間違っているというより、
「私より面白い人がいますからこの程度で許してちょ」と。
むしろ、本来の用法に近いのかもしれないけど。
「毎度バカバカしいお話を」も含め、
今や実際に使われているところは聞いたことが無いので、死語になってる可能性もアリですけど。