Indream
最近、久しぶりに女性の友人と連絡を取った。
その友人とはかなり長い付き合いで、昔いろいろな相談を聞いていた。
あの時、すごく勇気付けられたよ~なんて事を話ながら、
ふと過去の自分がやってきた事から、
ひとつの答えが浮かんできた。
自分には昔、色んな人が恋愛の相談に来たり、悲しい事があったら
連絡をくれたりという事が沢山あった。
それに対して、ただ何とかしてやりたいと夢中でその事に
接していた。
自分が夢中になれる事。それは、この事なのかもしれない。
心が病んでる人達を少しでも癒す事に全力を尽くす。
これなのかな。と思いました。
そこで、これから心を癒す事について、勉強していきます!!
そして、最終的には誰かの癒しを提供できるようになれればと思います。
やる気が無い人をやる気にさせるには、どうしたらいいだろう?
僕の目の前にいる、後輩。
前から、上司に呆れられて、放置状態になっている。
一番の原因が会話にならない事。
話し手が求めた回答が返ってくる事はまず無い。
それが災いして、最近では仕事も回ってこなくなっている。
昨日、僕は彼に話し掛けてみた。
「最近どうなの?注意された事改善されているのかい?」
グサッと来るような口調ではなく、
やんわりコーチ口調で。
すると、
「改善されています!!」
気合が入った声が返ってきた。
お?気持ち入れなおしたのかな?
と思い、次の質問。
「どんな対策を立てて、どういう効果が出たんだい?」
すると、
全く違う答えが返ってきた。。。
「結局、何も変わってないじゃん?」
彼は、顔を真っ赤にして、
「何も変わってなくは無いですよ!!」
と怒鳴りながら今度は違う対策を実施していたんだと
主張してきた・・・
まぁ、聞く前から対策が実施されていない事は殆ど
解っていたんだけれど、やっぱりなーと納得した瞬間だった。
こういう人が見捨てられていくのを何度も見てきた。
ただ、僕は上司が自分を見捨てずに育ててくれた分、
こういう人を見捨てたくない。
さて、どういう角度から攻めていこうかな・・・
自分の変化と環境の適正
人に変わって欲しいなぁと思った人いませんか?
僕も、思ってました。
でも、違うんですね。
人に変化を求めてばかりでは、何も変わらない。
自分から何かを変えなければ、それに反応してくれない。
今を変えたいと思うのは、今の自分に満足していないから
であり、自分の何かを変えなければいけないのだ。
と思うべきなんですね。
ただ、自分をどう変えても、どうにもならない時があります。
鳥が魚のマネをしても、結局は鳥な訳です。
という時は、水から地上へと自分から上がるという事を
しないといけないのですね。
周りは変わってくれない。
自分から適した環境を探し、自分を変化させていかないと
いけないですね。
旦那の稼ぎは旦那の物?
この間、英会話の説明を聞きにある英会話教室を訪ね、
担当の方とお話をしている時の事。
担当者「英会話に通う事を奥様は了承済みなんですか?」
僕「いや、まだなんですよ。」
担当者「奥様は専業主婦でいらっしゃいますか?」
僕「そうです。」
担当者「でしたら、お金は旦那様が稼いだものなんだから、
大丈夫ですね。」
僕「いや、そうはいかないですよ。稼いだお金は自分一人の
物ではないし。」
担当者「そういう考えの方、少ないみたいですよ。」
そうかなぁ・・・
その数日後、妻と夫婦喧嘩をしてしまった時の事。
妻「あんたはお金を稼いできているからって、偉そうにしないでよ!!」
僕「そうじゃないよ。別に偉いとか無いって。」
仲直りしてから聞いてみると、
やっぱり、お金を稼いできてくれてる旦那には、
悪いなって思ったり、気を使ってしまって、
旦那の悪い所も我慢してしまい、息詰まる時があるんだとか。
結構、そういう方って多いんですかね?
僕は、ある本で家族というのは会社と同じなんだと
書いてあり、そのコトバに凄く共感しました。
旦那は事業(仕事)をして売上(給料)を上げる。
営業とか経営者ですね。
妻(専業主婦の場合)は、時には総務や経理(家事)をし、時には
旦那のメンターとなり、その会社を内から支える。
※この逆のパターンも当然あります。
つまり、妻も家事をする事により、売上に貢献しているわけで、
旦那の稼ぎが、すべて旦那のものだというのは間違いで、
家族全員のものなんです。
旦那一人の稼ぎではないです。
ただ、家事というのは形に見える成果が無いので、どうしても
自分の行動の成果を認知してもらえているか不安になるのだろうなと
思いました。
そこは、旦那が上手く人事評価制度を考えなければいけない
のですね。
生理的欲求
人が、生きていく上で一番先に満たされないといけないのは、この生理的欲求。
食べ物を食べたい!!(食欲)
女の子と●●●したい!!(性欲)
8時間寝たい!!(睡眠欲)
などなど。
最近結構残業が多くて、妻と会えない、
ご飯はUFO(焼きそば)だけ、
睡眠時間は3時間という日々が続いているのですが、
その時に、自分が何を欲していたのかを考えると、やっぱり、
お寿司が食べたい。
5時間くらい寝たい。
妻と一緒にいる時間が欲しい。
とか、強く思っていました。
ここが、不安定になると、すべてが不安定になっていくので、
やはり、うまく時間を使って、体が欲求不満にならないようにバランスを取る事が
大事ですね。
そのためには、少しの時間だったとしても、オフとオンをはっきりさせる事が大事
なんですね。
こっからは、バリバリ仕事。
こっからは、ガッチリ寝る。
ここからは、妻と甘い一時を。
仕事が忙しくなると、なかなか仕事の事が気になってしょうがなくなるんですが、
一度忘れて基本的な欲求を満たす。そこから、さらに頑張る意欲も湧いてくるので
はないでしょうか。
よし!!明日は~
仕事か。
┐(´д`)┌
ガンバロ!!!
経験という魔物
仕事をしていて結構あるのが、
この経験が原因の失敗。
前はこうだったから、多分こうなるだろう。
これが実は、ミスを招く。
打合せをしたはずが、お互いそれぞれの感覚で
認識しており、それが後になって、
「あれ、こうじゃなかったの?」ってなる。
仕事では、個人的な認識は排除されるように
工夫が必要ですね。
特に、ベテランさんには多いと思います。
1つ言えば、10理解できる。
それはどう理解したのか。は非常に問題。
今回、僕はそれで凄く失敗しました。
タイトなスケジュールでのプロジェクトは、
打合せがどうしても簡略化されがちで、
お互いの認識が絶対にずれない状態まで話し合う事は、
結構難しい。
それを効果的に行うには、メモを取るしかないんですね。
誰が、いつ、何を、どう話して、どう決まったか。
非常に基本的な事なんですが、非常に重要です。。。
過去を振り返る。
最近、自分の過去を振り返ってみました。
小学生の頃、どんな事に没頭していたかな~。
とか、
中学の頃は、どんな自分だったのかな~。
なんて。
すると、一つの発見が。
自分は小学生の頃、絵を描くのが大好きでした。
小学生の頃は、常に廊下に貼られていたくらいのレベルです。
(軽い自慢・・・)
その事に気づくと同時に、「最近絵を描いてないなぁ」って
思いました。
そこで、「は!!!そうかこれかも。」という気づき。
絵を描いてる時の自分ってどんな自分だろう。
体が勝手に動く。脳が勝手に創造する。
凄く魅力的な自分。
自分ってこんなに夢中になる事ができたんだ。
今ってそうなれてるかな。
そうなろうって力み過ぎてないかな。
一生懸命やってダメならいいじゃん。
でも、考えるだけで一生懸命やらずに辞めたってなんの価値もない。
一生懸命やってごらん。
そこに、夢中になっている自分がいる事に気づくから。
好きなものは探すのではなく、好きになる事なんだ。
悪い事は長く続かない
僕の母が、僕に言った言葉。
悪い事を断ち切るには、二つの方法があると思う。
一つは、悪い事が起きなくする事。
悪い事が起きるのは、運命か。それとも、神様のいたずらなのか。
そうではなく、
自分が蒔いた種が芽を出しただけの事なのである。
しかしそれは不幸の芽ではなく、成功への芽ばえだ。
悪い事、つまり失敗は自分の思いと現実とのギャップで
あり、修正点の発見でもある。
それを二度と起こさないよう対策を考え、
実行する事で、自分の思いに一歩近づく事ができるし、
それを怠れば、またその失敗が発生し、
ずっと繰り返される。
もう一つは、
悪い事を悪いと思わない事。
これは結構難しいが、物は考えようだという事ですね。
どんな物事も多面体であり、
一つの面から見ると悪い事だが、ある角度から見ると
とても自分にとってプラスな事だったりする。
なぜこうなったかを考える事も重要だが、
なぜこう考えてしまうのかも重要だと思う。
ただ、失敗を失敗だと認識する事は非常に大事なのですが・・・
礼儀
でも何か久しぶりで、少し新鮮な感じがするな~^^
ブログ更新も久しぶりですね。
読者の皆様、すみません。
今日は、礼儀について書いてみたいと思います。
僕は昔、今もか(^^;)
よく礼儀を知らないなーなんて言われていました。
今になって、礼儀って何だろうって真剣に考えています。
なぜなら、お客様との接し方、上司との接し方のみならず
人との接し方について、考えているからです。
礼とは、敬う事であり、
儀とは、作法である。
つまり、礼儀とは、相手を敬う作法の事を言う。
では、敬うとはどういう事だろうか。
敬うとは、
相手を尊いと思う事。
尊いとは、高価であるという意味であり、
敬うとは、
相手の人格を高価であると認めて、それを受け入れる事であると
言えます。
うーむ、相手を高価であると認めるってよくわからないですよね。
相手は、自分にはない価値がある重要な人物だという事を理解
するって事ですね。
この事からも言えるように、ただ礼儀作法を知っていても、
それは礼儀を知っているとは言えない訳ですね。
(※礼儀作法を知る事は大事です。)
本当の礼儀とはまず相手を敬う事であり、その表現方法として、
礼儀作法があるという事なんですね。
この両方ができて初めて礼儀を知っていると言えるのでは
ないでしょうか。
プライドの捨て方
読者の皆様どうすみませんでした。
そして、Tak様、にこにこ様、MaoAkayou様、温かいコメント
ありがとうございます。
少しでも僕の書くブログを心待ちにしてくれている方がいるなんて、
本当に僕は幸せ者です。
嬉しすぎます!!
これから、もっと皆様に価値のあるブログを書いていきたいと
思います。
っていうと、ガチガチになって書けなくなるので、
楽~な感じでいきますので、これからもどうぞ宜しく
お願い致します。
さてさて、
プライドの捨て方について。
プライドとは、「誇り」。
僕が思うに、自分が自分である事に誇りを持つ事が、
本当のプライドを持つという事なのかなと思います。
失敗したり、馬鹿にされたりして格好悪いのも自分。
成功したり、誉められたりして格好良いのも自分。
すべてを受け入れる。
これが今の自分なんだって。
最近、僕はそうしてます。すごく辛いです。はっきり言って。
すごく衝撃的です。
今までそれだけ格好悪い自分を否定してきた証拠なんですね。
でも、負けずに自分自身に意識を向けてます。
そうすると、自然と変なプライドはなくなったんです。
結局、今までは自分のいい部分ばかりで塗り固めた「イメージ」に
誇りを持っていたんですね。
イメージばかりに意識が行ってたんです。
これが、「変なプライドを持っている」という事なんだと思います。
イメージはあくまでもイメージであり、自分ではない。
多分、現実の自分は格好悪い部分を持っていて、
イメージと現実のギャップに自分が傷つくのが怖いからだったんです
よね。
しかしネットを見ていて、ある言葉で目覚めました。
「人は、傷つかずには生きれない。」
そうだ。そうなんだって思いました。
傷つく事から逃げてたら一生前には進めない。って。
逃げてたってしょうがないですよね。
ちゃんと自分と向き合わないと。
本当の自分と出会って、本当の自分と約束できるようにならないと、
いつまで経っても、自分を信じれないのかなと思います。
プライドの捨て方=自分と向き合うって事なんだなと思いました。
