さてさて、前回パート1を書いてからSHIBA INU コインが1週間でなんと93.68%上昇。

昨年8月に3400ドル分のSHIBA INUコインを買った人がいたらしいのですが、現時点で15.5億ドル(1600億円あまり)に残高が値上がりしているとして、誰が購入したのか、と仮想通貨界隈では騒然となっています。


金色のチケット

私の好きな映画に「チャーリーとチョコレート工場」があります。

超貧乏多世帯住宅に住む少年チャーリーは

ある日拾ったお札でチョコレートを買い、ウィリー・ウォンカの魔法の工場見学に行ける金色のチケットを手に入れます。

ただ、チケットを売ってお金にすれば少し生活の足しになる、と戸惑うチャーリー。

彼に対して、しかしジョージお爺さんはこういいます。


お金はどこにでもある。毎日刷られてる。だけど、このチケットは世界に5枚しかない。それで全部だ。世にありふれてる金と引き換えるヤツは、マヌケだ。おまえはマヌケか?」

このセリフ、今見るとなんとも意味深いですね。


ニクソン・ショックとフィアット化

前回パート1で書きましたが、第二次大戦後、各国の生産拠点が破壊された中で、アメリカは経済大国(世界経済の35%を担う)となりましま。

ブレトンウッズ協定により米ドルは1オンス=35ドルという金(きん)の価値に裏付けられた形で、他国通貨に対して固定した為替レートを持つ基軸通貨となり、多くの国に自国で生産したモノを輸出していました。


しかし、50-60年になると西欧・日本が急激に生産性を回復させていき、戦後わずか10年で日本は戦前レベルの経済に戻ります。

一方、ソビエト連邦との冷戦が長引き、ベトナム戦争に突入してしまったアメリカは、60年代後半には輸入額が輸出額を上回るという貿易赤字に追い込まれ、かつ軍資金のためにFRBが米ドルを多く貸付のために発行しまくった結果、高インフレとなり、保有する米ドルの価値が下がっていました。

輸出入で米ドルを沢山保有する国々としては、自国通貨に戻すと損しちゃうことに。

そんな中、1971年にイギリス、フランスが遂にアメリカに「金(きん)に交換せよ!」と30億ドル分を、保有してる筈の金に戻すよう要求。

これはアメリカの懐事情をわかっててやったのでしょうけど、イギリス・フランスはまあまあ意地悪な感じですね。


ただ、予想外だったのは、当時のニクソン大統領がいきなり「私たち、では、金(きん)とドル紙幣の兌換を一時的にやめまーす」と世界に宣言したこと。

世界にニクソン・ショックが走りますが、ポイントは基軸通貨という立場は維持しながら、ドルをいくらでも刷れるようにしてしまったこと。


アメリカは明らかに手元にある金(きん)保有を超える貸付をしていたとしか思えないのですが、これにより米ドルは商品によるなんの裏付けも持たない、フィアット通貨になってしまった上に、それに連動する各国の通貨もすべて、ドルを基軸とした運命共同体のフィアット通貨になってしまったのです。


これにより日本円も1ドル360円という適当な固定レートだったのが、円切り上げとなり、変動相場に移行していきます。


80年代円高ドル安誘導、トランプ不動産王が誕生

1980年代レーガン大統領になると、ハイパーインフレを抑えるためにアメリカは金利を20%にもあげます(今からは想像できないですね、、)。お陰でインフレは収まり、その後の金融緩和で設備投資が増え、好景気となります。

若かりしトランプも当時、不動産王としてマンハッタンの寵児となっていきます。

が、ここでやたら製造業に強かった日本は例によってアメリカにMade in Japan製品を大量輸出し、アメリカは景気が良いので輸入しまくった結果、貿易赤字・財政赤字という双子の赤字を抱え、ドル相場が不安定に。


グローバル企業が躍進する中、貿易安定を名目に円高ドル安路線で誘導しようと、イギリス、フランス、西ドイツ、アメリカの財務長官と、日本の竹下登蔵相がNYのプラザホテルに集まり合意されたのが、1985年プラザ合意です。


ここから円は1ドル250円程度から一気に150円に切り上がりました。

この後、円高ドル安の上にバブルでわいた日本企業は、アメリカ企業や不動産を買収しまくり、三菱地所が有名なロックフェラー・センターを買収したのは有名です。(その後95年に管理会社が破綻すると手放し、なんとトランプ大統領が入手します。)


90年代日本バブル崩壊、スタグフレーション

その後日本では90年代、インフレを抑制するつもりで日本の中央銀行である日銀が嬉しそうに金利をあげたことで、銀行の貸し渋りが起き、不動産が売れなくなりバブル価格が急落。そこから起因した銀行の不良債権によりさらに証券が暴落し、バブル崩壊。

どこかで聞いたような状況ですが、

マネーサプライはたいして減らなかったのに大手銀行も合併・精算され、皆んなが不安でお金を溜め込む中、投資がないため経済成長も鈍化し、デフレと賃金上昇しないというスタグフレーションに悩まされながらのリストラや、派遣パート社員の増加、ユニクロのフリースが流行るなど冴えない時代に突入していったのは皆さんの記憶にもあるところかと思います。


一方、今度は中国が元を固定レートで低く抑えることで、圧倒的な低コストを武器に、世界の生産を支える工場となっていきます。


グリーンスパンの低金利水準

アメリカは90年代後半からネット企業やITベンチャーが次々と誕生しますが、ドットコム・バブルとなり、また2000年にバブル崩壊。

2001年9月11日世界同時多発テロが起き、アメリカ株価が大暴落すると、当時のグリーンスパンFRB議長は株価回復のために、かつてない低金利水準を維持し、市場にドルがより一層溢れるようになりましす。


また、テクノロジーの発達により金融商品がどんどん複雑化し、カネ余りで不動産投資が急加熱しはじめます。ストリッパーから低賃金労働者まで、与信の低い人々がサブプライムで低金利ローンを借りまくり、複数の不動産物件を買い漁りました。


そしてきたる2007年、アメリカの住宅バブルが遂に崩壊。サブプライム住宅ローンの債務不履行が多発し、それを混ぜていた派生金融資産の価格が大暴落。2008年に超大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻し、未曾有の金融危機が世界を襲います。


リーマンショックとビットコイン誕生

ここで皆さんもお気づきのように、もともとFRBないし中央銀行は恐慌局面で流動性を安定させるために誕生したはずだったのに、リーマン・ブラザーズを肝心の時に救わず、一部の金融機関だけを救済して、市場に大混乱を巻き起こしました。

また、手段がいつの間にか目的化して、金利を上げ下げし、バブル崩壊を悪化させたり、その後株価回復のためにお金を発行しまくってカネ余りをまたおこし、株価と実経済の乖離を発生させています。

加えて、最近では中央銀行が自分で発行した金で株式を買っており、株価は永遠に下がらないのでは?という大高騰を見せ、一部の株式を保有する人たちの資産がふくれあがり、格差を広げています。


下手したら、中央銀行は市場・経済不安や格差を招いている張本人なのでは?

とすらみえてきます。


ここで非常に興味深いのは、2008年9月リーマンショックの前月、8月18日に、bitcoin.org がネットのドメインに登録されたこと。

同年10月サトシ・ナカモトたる人物からビットコインの仕組みについての論文が発表され、2009年1月にはビットコインの運用が始まります。


リーマンショックより前に、既にバブル崩壊を経験していた日本人の名前を使って、中央銀行を否定する仕組みを作った謎の人物は誰なのか?


未だにわかっていませんが、仮想通貨は一つの機関が出回る通貨量を操作できないため、「国内で最も誠実(honest)な市場である」とPayPal創業者で投資家のピーター・ティールも評価しています。

そんなビットコインの誕生が、リーマン危機のタイミングと重なっているのは、偶然ではないとしか思えません。


本当の価値への回帰

さてさて、ここまで米ドルの壮大に長い歴史を追ってきましたが、結局のところ、見えて来たのは「真の金色のチケットは今も、これからも世界に5枚しかない」

という点です。

このベースを見失ったときに、見せかけだけの価格高騰やバブル・インフレが起きて、人々が財産や魂を失うということなのだと思います。


どんなに一見権威のある中央銀行がお金を発行しても、もはやそこに価値があるとヒトが思わなくなれば、いつかはポンジ・スキームは崩壊する、ということです。


今後は、「本当の生産性・価値とはなんなのか」という本質的な問題に、人類が立ち戻るタイミングがきているのかもしれません。


ビットコインを含む仮想通貨はこのパラダイム・シフトを支える仕組みとなっていくのか?今後も注目していきたいと思います。