Thanksgiving。
私にとっては今まで、ただただ良いイメージだった。
宗教などに関係なく、アメリカに住む人であれば、
皆が家族とそしてその友人達と集って、
今年の収穫、そしていろいろなことに感謝する機会。
自分達がいつも当たり前と思っているようなことを改めて
感謝し、忙しい日々から休息を取る。
ユダヤ教だろうが、キリスト教だろうが、ヒンズー教だろうが、
仏教だろうが、イスラム教だろうが、それは関係ない。。。。。
確かに表面的にはそうだった。
でも、今年のTHANKSGIVINGで別の面に気がついた。
皆いろいろな偏見があって、THANKSGIVINGだからって
それを置いては来られないって事がよくわかった。
今回参加したメンバーは22名でその構成は
従兄家族(インド人夫婦とアメリカで育った13歳と16歳の娘達)
私達 (インド人、日本人、その2人のアメリカで生まれた2歳半の娘)
従兄のはとこと彼女のご主人 (インド人、アメリカ在住20年)
従兄の奥さんの妹さん (インド人、医師、アメリカ南部滞在)
従兄の奥さんの従妹 (インド系アメリカ人)
その友達(中国系アメリカ人)
近所の家族(インド系)4名(13歳と8歳の娘)
近所の家族 (白人)4名 (17歳の娘、13歳?の息子)
子供達が小さかったときにいつも世話をしてくれていた女性(白人)
そのご主人(アフリカのニジェール人)
こんなにいろんな人がいると、
会話の中に時々偏見が顔を出すことがある。
現在のアメリカでは会話の中に普通人種のことを言わないのがマナー。
アメリカ人=白人ではないし、
なにじんということで頭が良いとか、
お金があるとか地位が高いとかいう考え方は
良くないとされていると言っていいだろう。
しかし、残念ながら、だからといって皆が
それに徹しているわけでは決してないようだ。
(1)白人の偏見
(主人がその現場にいたので、100%明確ではないが)
ホスト(従兄)の上の娘(SP)は来年大学受験なので、
どこの大学に彼女が行きたいとかいう話を白人のS氏としていたらしい。
S氏(近所の家族の主)が、ふと良いつもりで、SPは本当に頭がいいし、白人でないとは感じたことがないというようなことを言い出したらしい。
彼は、「SPもSPの両親もとても成功しているし、
すごく頭がいいし。英語も上手いし。」と続けた。
SPは「でも私はインド系アメリカ人で自分の両親もインド人だ
ということに変わりはない」と言ったらしいが、
S氏の中では白人が一番というのがあったらしいのだ。
S氏は自分の息子の反感を駆ったらしく、
息子は父親にたてついたらしい。