2017東京インターナショナル・オーディオショウ | オーディオの楽しみ

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一音楽ファンの目から見たオーディオのページです。いい音で音楽を聴けるのは至上の喜びです。

 

今年のオーディオショウは、9月29日から10月1日までで、私は初日の29日に行った。
どのブースも音の入口の主役は完全にファイル再生へと移っている。このあたりは海外の動きが反映されているだろう。

 

最近の話題の中心、MQA(Mater Quality Authenticated)は、開発者のメリディアンが伝統的にこのショウには出ていないので、話が出ることは期待していなかった。しかし、MQA対応製品をいち早く出した今井商事のマイテックのブースで、麻倉怜士さんの非常に有益な講演があった。
この講演では、同一音源のPCMハイレゾ・ファイル(ビットレートは様々)と、MQAのファイルの1対1の聴き比べをし、最後にはSACDとMAQ-CDとの聴き比べをした(SACDを除いてハードウェアの条件は全く同じ)。

MQAの音の特徴は、巷間言われている通りだ。前後左右に自然に音場は広がり、高音は柔らかくなり、中低音はゆったりとバランスよく膨らむ。演奏者は実体感、空気感、佇まいの雰囲気感が増し、歌手は口の動きがよく分かるようになり、よりリアルになる。どんなビットレートのハイレゾと比べてもこの差は同じで、さらにSACDと比べても同じだ。MQAの音には派手さや驚きはないが、感動がある。昔のレコードの音が、1枚ベールをはがして戻ってきたような懐かしさと新しさがある。演奏会場(スタジオ?)に居合わせているような臨場感があるのだ。
私はこれらのデモを聴きながら、MQAがCDの発明以来の、デジタル・オーディオ技術の最大の技術革新であることを確信した。それと同時に、私がこれまで聴いてきた音は何だったのかというほどの思いを持った。

温泉劇場でマイクを手にした地場歌手の声が、安物の小型のスピーカーからリアル・タイムで出てくるその音が、なぜあんなに生気に満ちているのか。どんな立派なデジタル録音でも敵わない、たとえ音自体はひどくとも、何も失われていない音だけが持つ生気がある。それは周波数の問題ではない、というのが私の印象だった。MQAには、その生気がある。

MQAは、ハイレゾ技術の上に立った低コストの高規格ファイルの技術であり、優位性は成果とともにはっきりしている。MQAは、モノラル録音から最新録音まで、既存のすべての音源をより良い音に変える。イヤホンからラジカセ、高級ステレオに至るまでメリットが全ての機器に及ぶ。その自然な音の佇まいは女性にも受け入れられそうで、お茶の間に音楽が戻ってくるかもしれない。MQAは、音声のデジタル化の一般的な技術革新であるから、もし標準化が進めば、これからテレビ・ラジオをはじめとして、ほとんどすべての音声分野に影響を与えていくだろう。

メリディアンは、MQAの普及のための会社を立ち上げているが、知的所有権がどのように扱われるのかや権利料の水準などが当面の関心事だろう。これだけの技術だから、各方面からの思惑がらみで正常進化の動きがゆがめられないことを願うばかりだ。

 

あとは例年通り、スピーカーを中心に聴いた。

太陽インターナショナルのブースでは、アヴァロンのIndra DiamondとSagaがデモされていて、どちらも非常に良かった。プレーヤー、アンプ類については、Indra Diamondを動かしていたdCSのVivaldi OneやJeff Rowlandの組み合わせが強烈だった。

アッカのYG Acousticsは、大、中のスピーカーを鳴らしていたが、大音量にもびくともしない安定感が印象的。つくづく、価格が難点と思う。

日本のメーカーも活躍している。TADのReference MK2は、全ての帯域で安定した音色を出し、なんでもこなしそうだ。劇場とかでは活躍するだろう。家庭でこれを使える人は幸せだ。フォステクスのスピーカーも、音場表現に優れているところは印象的だった。アキュフェーズのアンプ類で鳴らしていたが、今の日本でこれが最高の音です、というほどのものだった。

 

今年はMQAを最初に聴いてしまったものだから、それ以後、高音が無機的になりがちで、音場が平坦な、感情表現に劣る非MQAファイルを聴くのは、正直しんどかった。素晴らしい音で聴けたところも、これがMQAだったらどんな鳴り方をするのか、つい考えてしまった。帰宅して家のステレオを聴いても、これがMQAならこう鳴っているはずだとか思ってしまう。

来年は、ぜひ全てのブースでMQAが普通に聴かれるようになって欲しいと思う。