
神と自分が出会う時、出会う場所・・・。それは、「荒れ野」であると、私の大好きなシスターは教えてくださいました。荒れ野でなければ、神様の言葉は、人の心に響きません。荒れ野に行かなければ、自分が、罪人だと悟る事ができません。罪人だと分らなければ、クリスチャンには、なれません。実は、私が、キリスト教に惹かれてしまった一つのきっかけに、この「罪人」という言葉との出会いがあります。この言葉に出会った時、私は、心より癒されたのです。「ああ、そうか。私は罪人でいいのだ」と思えたら、本当に心が楽になったのです。この言葉に甘んじて、最初から罪を犯すような態度はいけませんが、おごるごとなく、自分の小ささをわきまえつつ生きる事は大切だと思います。「共に励みましょう。弱さと限界の中で。」という言葉を下さったのもあのシスターでした。「弱さと限界の中で」・・・。この言葉も「罪人」と同じくらい好きな言葉です。
マグダラのマリア・・・罪のどん底の中で、彼女は、イエスに出会いました。「赦されることの少ない者は、愛することも少ない(ルカによる福音書7:46)」。遠藤周作が最も聖書で美しい言葉の一つであると、何かの本で讃えていたと思います。この逆説的ともいえる真理の神髄を身を以て教えてくれた女性が、マグダラのマリアなのでしょう。この絵は、本当に美しく、神と人間が出会う場面を、時を、切に表してくれていると思います。罪を多く知った者だからこそ、神の前にひざまづくことができたのでしょう。そして、そんなマリアをイエスは、100%まるごと受け入れられた。それが、神の本当の姿です。
主よ、罪深い私は、あなたに出会っているとき、罪のどん底にいる時、あなたの本当のお姿が見えずに苦しんでいます。どうか、そんな時、この美しい一枚の絵を思い出させてください。あなたとたった二人きりで、静かな日だまりのなかで、私は、あなたの膝元にふせ、ただ助けを請いたいのです。あなたは、白く、私は赤い。罪深い私を、優しくあなたの白い光で、どうかどうか大らかに包んでください。アーメン。