両親に「ガクチカが全然思い浮かばない」と相談すると、

 

「ガクチカ????」

 

(え、、ガクチカって言葉は最近のものなの・・・?)

 

ガクチカって要は

「学(ガク)生時代に力(チカラ)を入れてきたこと」

の略語なんですよ。

 

自分は大学2年になってから、コロナ禍に入って、なんとか1年生のころまではその影響を被ることはなかったのですが、、

 

いろいろ書いてES出して思ったのが、ガクチカのエピソード自体の優劣を企業側が問うているのではなくて、

数多ある(就活生の)ガクチカの中で

「自分はここならだれにも負けない」

「この経験が自分の人生にとってこう変わるきっかけになった」

「私の〇〇といった強みや△△といった就活の軸が貴社の□□の社風と一致する」

 

みたいな

 

それは良いところも悪いところも全てひっくるめてね。

 

それが会社と一致するかどうか、

そのような経験を自分の糧にでき、強みにできているか

このような観点から書類審査は行われているように思う。

 

そう考えると、何気ない1日1日の日常生活って捨てられたもんじゃないなあと思う。

 

いろんな自己啓発本や成功者の自伝を読んでいると、必ず一つの結論にたどり着くと思う。

 

大したことではない、でも結構大事。自分は気にしいではある。だからこそもっと意識していきたいと思う。

 

それは、、、

「常日頃、自分に起こる事象に対し、アンテナを張っておくこと」

 

何も無駄な経験などなくて、1日1日に何か生活がより便利になりそうか考え、人々のニーズを捉え、自分はこうして社会貢献していきたいといった思考を頭の中で巡らせること。

 

その精度は一旦置いといて、それを意識する人としない人では、会社勤めでも起業であろうとも成功する確率は一目瞭然ではないか。

 

「天才」とか「天性」とか昔は信じてたけど、

いろいろ知識を吸収していくうちにそんなの幻想だと思った。

そのための際限なき努力とか、とやかく言われてもめげないタフな精神とかそれができるか否かの違いのみであって、もとは凡人

成功する人は一握りというけど、そもそも握ろうともしない人生を送るなら、

その手を構成する1細胞からでも、握れるようになるまでの人生を送ることを自分は選択したい。

 

ダサいけど、目標くらいカッコつけさせてよ。
あ、敬愛するローランド様風の思考回路になってきた。

「天才」に一歩近づいたかな。

あ、「天才」って「先天的な」ものって意味ではなくて、「努力の先にある叶えたい夢」のことね。

言ってみれば、「天才」って上り詰めるものだと思う。

 

 

結論

「ガクチカ」ってきれいごと並べる必要ない。

かっこつけずに書こう。

いつかこのブログ自体が「ガクチカ」として誇らしく思えるように。

 

 

(参考文献)

 

 

↑割と賛否両論あるけど、私は水野敬也さんの著書好きです。

「アンテナを張っておく」は数多くあるゾウの教えの中の1つです。

物語と自己啓発が融合した独特なジャンルのシリーズ本ですのでよかったらぜひ!

 

最後までご覧いただきありがとうございました。