学校を変えよう 〜幸せな生き方の見つけ方〜 -8ページ目

学校を変えよう 〜幸せな生き方の見つけ方〜

元教員が、学校を子供、保護者、教員それぞれの視点から、これからの学校、教育に求められるものを考察していきます。
また、さらに、自分軸で考えてそれぞれが幸せに生きる方法を自分で選べるためのヒントを一緒に考えていきましょう。

こんにちは。

 

お久しぶりです。

前回の記事の続きが一週間も先になってしまいました。

しかも今日は別の話。

 

 

給食指導。

 

 

あなたにとって、給食の時間は、楽しみな時間でしたか?苦痛の時間でしたか?

 

最近、びっくりな記事を読みました。

 

給食で不登校!?

 

私にとって、給食の時間は、闘いではありましたが、楽しい時間でもありましたので、

嫌だと思ったことはありませんが、

その給食が原因で不登校になってしまうとは・・・。

 

 

そもそも、給食とは?

 

 

 

給食は、まだ戦後間もないころ、満足に食事がとれなかったり、栄養失調などの子供たちに向けて、

それが原因で学校に来られないということがないようにということで始められたものです。

学校給食法という法律に基づいて運用されています。

 

現在では、食育を前面に出して、学級活動などで様々な取り組みが行われています。

 

 

まあ、若干時代とそぐわないのかなという点は否めませんね。

 

例えば、好き嫌いをせず食べるとか、

作ってくれた人に感謝をするとか

 

学校でいきなり始めたところで、身に付くものでありません。

 

正直、家庭による指導もないと、学校だけでこれらを身に付けるのはかなり無謀とも言えます。

 

家庭で、嫌い食べ物を少しでも食べさせるという指導(しつけ?)があれば、

子供は、

 

「うちでも言われたし、学校でも言われた。」

 

と半ば観念することがあるでしょう。

 

 

でも、今まで家庭では一切言われていないのに、

学校で急に、

 

「嫌いなものも少しでも食べよう」

 

と言われて、

食べないと、いつまでたっても給食が終わらないなんてなったら、

不登校にもなりますよね。

 

「嫌いなものを食べなければならない」

 

という考えそのものがないのですから。

苦痛以外の何物でもありません。

 

 

一方で、朝ご飯を学校で食べようという試みが広島県で実施されているようですが、

これも、考え方によってはかなり乱暴な気がします。

こちらは、また、家庭の複雑な問題が絡んでくるので、

現在試験的に行っていたとしても、

全国レベルに広げていくのは難しいと思います。

 

(今は、食品メーカーが無償で食材を提供しているそうですが、

 明らかに、プロモーションの意味が込められていますから、

長続きしないでしょう)

 

食事に関することは、やはり家庭の力がどうしても必要です。

 

それが、時代の流れとともに難しいから学校でというのも、

ちょっと安易かなと思います。

 

 

働くお母さんたちのために、行政が支援をするというのは必要なことだと思いますが、

それはあくまで「行政」や「地域社会」であって、

「学校」ではありません。

ましては、「先生」の仕事ではありません。

 

 

ちなみに、私が教員のときは、給食での指導は2つ。

 

①嫌いなものは減らしていいが、全く食べないはだめ。ただし、減らしたらおかわりはできない。

 

②おかわりをするときは、希望者に回るように等分する。

 

この2点だけは徹底させました。

おかわりの等分については、その日の量によってできないこともありましたが、食べる量が早く食べられる子にに集中しないようにしました。

 

減らすことについては、正直私は、食べられない子の気持ちが全くわからないので、

少しは挑戦するという気持ちをもってもらうことはやりましたが、

どうしてもだめなら、無理やりというのはしませんでした。

 

また、給食時間の延長は5分とし、いつまでも食べていることはさせませんでした。

片付けが伸びるのは、調理員さんにとっても迷惑でしたからね。

 

それは、一部の保護者んにとってはあまりいい指導ではなかったかもしれません。

 

でも、無理やり食べて吐き出したり、学校が嫌になるくらいなら、

食べなくてもいいのかなって。

 

 

正直、ぜいたくな悩みです。

 

明日食べるものがなくて、飢えて死ぬ子供がまだ地球上には存在します。

 

でも、それは子供たちにとっては、実感の湧かないことでしょう。

伝える努力は必要ですが、無理やり食べさせるのは、もはや体罰にあたるかもしれませね。

 

 

一つ、こんな話をして最後にします。

 

東日本大震災が起こったとき。

 

 

流通がマヒしてしまい、食材が揃わなくなり残りの10日ほどお弁当になりました。

 

しかし、震災直後の週明け月曜日。もうすでに注文済みの食材があったため、

その日は、届かなかった食材をなんとかかき集めて最後の給食という日がありました。

 

普段は少食であまり食べられない児童がいました。

給食というといつも渋い顔をして、減らした給食を最後に残すという日が多くありました。

 

でも、子供たちにその日の給食がどのように作られたか説明して食べた最後の給食。

 

その児童は、半分泣きながらでしたが、初めて給食を完食しました。

その子なりに、その給食の意味を理解したようでした。

 

 

嫌いなものを食べるというのは、児童にとってこれほどの事態になって初めて考えさせられるものなのです。

 

別に、食べ物のありがたみがわからないわけではなくて、

それを感じる機会がないのだと思います。

 

 

 

給食指導の在り方を見直す時期に来ているのかもしれませんね。

 

 

 

 教師セルフブランディング塾

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