学力テストは何のため? | 学校を変えよう 〜幸せな生き方の見つけ方〜

学校を変えよう 〜幸せな生き方の見つけ方〜

元教員が、学校を子供、保護者、教員それぞれの視点から、これからの学校、教育に求められるものを考察していきます。
また、さらに、自分軸で考えてそれぞれが幸せに生きる方法を自分で選べるためのヒントを一緒に考えていきましょう。

こんにちは。春名佑紀です。
 

昨日中3と小6の子どもたちを対象に一斉学力テストが行われました。
 


中学で初めて英語が導入されたということでNEWになっていましたが、
これも毎年やるたびに物議を醸しています。

 

以前は、都道府県別で順位を出して問題になりました。

ある地域では、学力テストの成績を上げるために、
児童への答えの誘導がありました。

問題の傾向もかなり分析されていて、
学力テスト対策を行うという事態まであります。

 

そもそも、この学力テストは何のために、
そして、その後どうするために行うのでしょうか?

 

 

そもそも、

 

義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から,全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し,教育施策の成果と課題を検証し,その改善を図るとともに,学校における児童生徒への教育指導の充実や学習状況の改善等に役立てる。さらに,そのような取組を通じて,教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。」

 

(文部科学省 HPより抜粋  赤字は執筆者)

 

という目的をもっている。

 

ここで分かるのは、赤字にしたが、

義務教育は、全国で同じ水準で行われていること前提としている

ということと、

 

この結果は、今後の教育活動に役に立てる

 

ということだ。

 

 

1つ目だが、
いったい何をもって、

全国で同じ水準の教育を維持していると考えているかだ。

確かに、日本の教育は世界から見てもトップクラスだと言われている。
その一番優れている部分は、どの地域にいても学習内容が変わらず、
同じ教育が受けられるという点だ。

 

確かに、どの地域でも、九九は小学校2年生で行うし、
小学校で1006文字の漢字を習う。
どの地域でも同じような学習を行えるのは、世界的に見れば画期的だ。

しかし、ここでいう「水準」とは、何を指すのだろうか?

 

当然だが、教科書を使って授業を進めるのだから、
同じ範囲を行っていることは「間違いないはず」だ。

何もテストをする必要はない。

 

でも、わざわざ、テストをするということは、

 

全国どこでも同じ授業(内容)を行っているのに、学力テストに差が出るのはなぜか?

という議論に当然なる。

 

その議論によって、

先生の指導法に問題がある

学級の人数に差がある

都道府県ごとの教員受験倍率に差がある
地域の学力格差がある

都市部の塾通学率の違いがある

 

などまだまだ要因は考えられるかもしれないが、
例えそれがわかったとして、
いったい何を改善できるのか?

そして、今まで一体何を改善してきたのか?

 

甚だ疑問だ。

 

もう、2つ目の方にも言及してしまったが、
テストをやったところで、あまり教育現場に還元されていないのが現状だ。

 

さらに、

来年度から施行される

アクティブラーニング的授業だ

英語だ

プログラミングだ

と新しいことを始めて、結局テストの結果をどうするのだ

とツッコミたくなる。

 

 

うがった見方をすれば、

出てくる問題からは目を逸らし、
新しいことを導入してうやむやにしてしまおうとすら思えるのです。

 

学力テストには、もう一ついい面ばかりを強調していますが、

実際に「基礎基本の定着」を声高に言っていますが、
確実にそこから漏れて、定着を図られないまま中学を卒業している子どもの存在を無視しています。

 

 

この学力テスト

1日使って行うわけですが、
結構手間なんですよ。

 

テスト時間も一律だし、

問題用紙も回収だし、

解答用紙の送付もいろいろ手間だし、

成績が返ってきたら、その返却とかいろいろ配慮がいるし。

 

結局は現場の教員が行うわけで、

単年的には、その結果があったからといって成績に反映するわけでもなし、
授業の内容を変えるわけでもなし。

 

結局は文科省の都合です。

 

さてさて、皆さんはどう考えますか?

こういうことを1つ1つなくしていくことが
教員の働き方改革につながるような気がするんですけどね。

 

 

 

こちらもどうぞ

 

明日は明日の風が吹く

 

 

今日もあなたの人生を応援しています。