旅行から帰ってきて、


私は夢中でピアノを弾いた。



私にとってピアノとは


心のリハビリみたいな存在。



幼い頃から習い始め、


友だちと遊ぶよりもなによりも


鍵盤に向かう時間のほうが好きだった。



もしかするとあの時、


彼は私のことや自分たちの関係を守るために


危険を回避したのかもしれない。



勝手な想像は心を消費するだけだから、


やめることにした。



前の記事で貼った、


ショパンの〈幻想即興曲〉



私が初めてこの曲の譜読みを終えたとき、


意外と簡単だと思っていた。



先生からは、



この曲は弾くことよりも、

完成させることのほうが難しい。



と言われた。



当時の私は、


拍の中にうまく収められれば、


それらしく聴こえると考えていた。



でも、本当に難しいのは、


拍を感じさせないほど自然に


音楽が流れること。



思っていた以上に奥が深い曲だった。



右手が4連符、左手が3連符を刻む、


数学的には一致しないリズムだけれど、


演奏になると、


一つの音楽として流れていく。



私は感情や心のつながりを求め、


彼は現実や責任、立場を重視する。



生きるリズムが違う。



幻想を完全に否定するのではない。


幻想を経験したからこそ、


現実の重さも知ることができた。



彼は彼の人生を背負い、


私は私の人生を背負っている。



一つの生活を共有する関係ではなく、


それぞれの人生を歩きながら、


ときどき時間が交わる。



だから完全に一致することはない。



幻想即興曲の異なるリズムは


一人の演奏者によって統合される。



けれど現実の二人には、


それぞれ独立した意思がある。



異なるリズムのまま調和し続けるには、


互いを聴き、


歩み寄ろうとする努力が必要になる。



たとえ私たちの音楽が、


誰かに聴かせるものではなくても、



それでも今日も、


ポリリズムのまま音を奏でている。