東松山駅の東方一帯に広がる吉見町

比較的狭い範囲に、延喜式内社が3社もひしめく史跡の街

 

ほぼ3km四方の狭い範囲に、延喜式内社が3社(比定社も入れると4社)すっぽり入ります。

恐るべし吉見町!!

だいたいの位置としては、JR高崎線 鴻巣駅と東武東上線 東松山駅の間。

 

延喜式内社とは、927年に編纂された延喜式神明帳に記載された、当時の全国の官社一覧であり、一種の社格です。要はその時代に、既に名のある神社として認知されていたってことですね。

 

 ◆伊波比神社: 伊波比神社(吉見町黒岩)

 ◆横見神社: 横見神社(吉見町御所) / 横見神社(吉見町久保田)

 ◆高負比古根神社: 高負彦根神社(吉見町田甲)

 

吉見町にある延喜式内社のうち、今回は吉見町久保田の横見神社を除く、3社を紹介させて頂きます。

(久保田の横見神社は紙面の都合上、続編へ)

バスはほとんど期待できないので、主力は足ashi

天気もいいし、ウォーキングコースが整備されているので、快適なウォーキングになりました。

 

 

神社 伊波比神社(いわい)

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創  建 : 708-714年(伝承)

御祭神 : 天穗日尊、誉田別尊

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住所: 埼玉県比企郡吉見町黒岩347

交通: 東武東上線 東松山駅から徒歩1時間程度。

     「久保田」バス停から徒歩約30分。

公式ホームページ: なし

 

神社そのものも諸説がありますが、ご祭神についても諸説あり、「誉田別天皇・天太玉命」説、「大己貴尊、天穂日命」説と、記載されている古文書によっても異なっているようです。

当社は八幡台から遷座されたので、地名そのままの八幡様(誉田別尊(応神天皇))と関係があったんでしょうね。摂社岩崎神社も関係するのでしょうか。

 

う~ん、でもやっぱり印象はどう見ても出雲系。

すぐ近くにある横見神社のご祭神がスサノオ様なので、ペア的な意味からも出雲系。

悩ましいところです(笑)

 

埼玉県にはこのイワイ系神社が数多くありますが、イワイ神社と名のつく神社は、ほぼ出雲系ですね。

毛呂にある出雲伊波比神社、入間市にある出雲祝神社、寄居にある出雲乃伊波比神社、板井にある出雲乃伊波比神社・・・

出雲系は他に、氷川神社系、久伊豆神社系が有名です。こちらも神社数が半端ないです。

埼玉県全域が出雲大社埼玉分祀でいいのかもしれません(笑)

 

神社入口

八丁湖入口から道路を5分ほど下った山沿いにあります。

車も走っている道路沿いで、割と見つけやすい位置にあります。

このあたりは古墳や遺跡が多い上、松山城、古戦場など歴史的にもにぎやかなアウト地域ですね。

古いけど立派な両部鳥居。奥に強くぐいっと引き込まれるような感じです。

まっすぐな気の通り道。まさに神様の通り道キラハートですね。

神様が上から見つめる先は、ここから300mほど先の平地にある横見神社なのでしょうか。

 

参道

やはりこの参道がとても重要な気がしています。

古代の深い息吹の中に、ひっそり隠された意図を感じるというか。

重く陰湿なのではなく、ひたすら深いもくもくのです。

 

社殿

失礼ながら、たったこれだけなのに森の中で輝いてキラハートいます。自然やこの土地との一体感。

もとは西方の八幡台にあり、1394年頃当地へ遷されたそうですが、この場所にピッタリとマッチしていらっしゃるご様子。

やっと落ち着けた~~~行くそんなお声も聞こえてきそうです(笑)

 

参拝者を拒むわけではないのですが、特に幅広く募集(笑)してらっしゃる雰囲気でもなさそう。

決して気難しいのではなく、ただ縁のある人を穏やかに待ち続けている、受け身のご様子でしょうか。

とりたててアピールはされていませんが、縁ある方々が全国から自然に集まっていそうです。

 

同じ吉見町でも、当社のある東側の区域と山向こうの西側の区域とが、分かれているような気配もありますね。

当社のちょうど西側には、古刹である吉見観音(安楽寺)があり、東南方向には「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院があります。息障院が遷る前の地なのかは不明ですが、吉見観音と息障院合わせて、かつては一つの大寺院だったようです。

 

当社がこちらの地に遷ったのは、もしかしたら戦乱の影響や戦乱を予期されていたのかもしれません。

そのせいかどうかわかりませんが、東側の気はかなりクリアキラハートです。

まあ、荒川の氾濫で全て流され、ある意味浄化されただけかもしれませんが冷

 

当社の強い参道を通って流れる先は、横見神社だけではなさそう。横見神社だけを見つめているわけではないような気がしました。何のために建立、遷座された神社なのでしょうか。気になるところです。

 

社殿そのものは実にシンプルです。右手に摂社の岩崎神社の鳥居が見えます。

 

摂社 岩崎神社

小さな石祠だけの岩崎神社。

江戸時代は「岩崎大明神」「岩井神社」「岩井八幡」と称していたそう。.

 

駅から徒歩1時間!と聞いて、どれだけ秘境なんだと恐々臨んだのですが、自然に恵まれているのに高低差はほとんどなく視界も広いコースでしたので、安心してウォーキング晴れに取り組めましたよ。

 

 

神社 横見神社(よこみ) / 吉見町御所

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創  建 : 708-715年(和銅年間)

御祭神 : 建速須佐之男命、櫛稲田比売命

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住所: 埼玉県比企郡吉見町御所1

交通: 東松山駅、鴻巣駅、北鴻巣駅からそれぞれ徒歩約1時間。

     「久保田」のバス停から徒歩20分ほど。

公式ホームページ: なし

 

伊波比神社から東南方向に300m、歩いて10分足らずのところにあります。

ペアになっている印象ですが、メインはやはり伊波比神社の方でしょうか。

 

神社入口

なかなかスマートで新しい鳥居ですね。以前は赤い両部鳥居だったようです。

社号標には延喜式内 郷社横見神社とあります。

 

参道

赤い神橋が印象的です。

水は流れていませんでしたが、後で調べてみると、農期だけの用水路のようですね。

 

拝殿

伊波比神社と同じように、大変シンプルな御姿。お堂と間違えそうキャー

だけどどこか威厳ピカッを感じます。

 

御本殿

拝殿背後の一段小高くなったところに鎮座。古墳の上に建っています。

このあたり一帯は古墳や遺跡が豊富です。

 

飯玉氷川明神社と称されていた時代もありますので、ご祭神は納得ですね。

古墳の上にある神社なので、結構古い年代に何らかの祭祀が行われていたかもしれません。

でもこのあたりは慶応年間の大洪水長音記号1で流されたので、詳細はおそらく不明でしょうけれど。

 

三峰神社が裏手にあったようですが、見逃してしまいました汗

いつもながらツメが甘いです。

 

稲荷社(稲荷塚)

神社入口の左手にあります。稲荷塚という古墳の上に建立。

かなり呼応して頂けたようですおんぷ

 

延喜式内社としての横見神社は、他にいくつか論社あるようです。

代表格が、吉見町久保田にある「横見神社」。熊谷市横見にある「吉見神社」。

どちらもここから比較的近い距離にあります。

特に久保田の横見神社は、当社(吉見町御所)から1.5kmほど南に位置しており、慶長年間の大洪水でご神体の流れ着いた先とも言われています。

 

 ※久保田の横見神社、熊谷市の吉見神社については、別途掲載予定

 

 

神社 高負比古根神社(たかおひこね) / ポンポン山

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創  建 : 社伝では710年

御祭神 : 味耜高彦根尊、大己貴尊

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住所: 吉見町田甲1945

交通: JR高崎線「吹上駅」下車 徒歩60分

     東武東上線東松山駅から東武バス「熊谷」行き東平下車徒歩40分

公式ホームページ: なし

 

ウォーキングコースの北端にあるため、かなり遠いのですが、八丁湖の奥から原伏見稲荷神社狐お面を通って、そのまま当社方面へ抜けられます。素敵な散策路が続いていました。

社殿背後にある玉鉾石(ポンポン山)をお祀りしている神社ですが、神社よりポンポン山山の方が有名*王冠みたいですね。

江戸時代は、玉鉾氷川明神と呼ばれていた神社です。

 

神社入口

重厚さと威厳を兼ねた鳥居。でもどこか不思議な感覚。

ありそうでなさそうな、この独特感!!は何でしょうか。

 

拝殿

やっぱり何か独特の雰囲気があります。

どうにもうまく言葉にできないのですが、単なる象徴だけではなく、実質的なお役目があったのでは?

 

そして、またしてもお寺のような造りの社殿。このあたり一帯、代々同じ一族の宮大工さんが手がけたのかと思うくらい、お社のの雰囲気がそっくり。

端正で素敵。ほとんど飾りがないのに、近づくと何故か見入ってしまう。

こうやって見ると、やはりお寺ではなく神社らしいのですが・・・

 

ご祭神の味耜高彦根尊(アジスキタカヒコネ)は、大国主命の子どもで、農耕の神、雷の神様です。

神話では、死者と間違われたことにキレて、建屋をぶっ壊すんですね。そのあたりが雷神ピカッとも言われる所以らしいですが。

キレてぶっ壊すあたりは、素戔嗚様にも似ています。

 

【ご由緒】

延喜式内社で昔は玉鉾氷川神社とも称した。祭神は、味耜高彦根尊・大己貴尊とされるが素盞鳴尊ともいわれる。
社記によれば、和銅2年(710)創建と伝えられる古社で宝亀3年(772)12月19日の太政官符に「案内ヲ検スルニ、去ル、天平勝宝7年(755)11月2日ノ符ニアグ。武蔵国幣帛ニ預ル社四処」として、その一つに「横見郡高負比古乃神」と記してある。
社殿の後方の巨岩に近い地面を強く踏むとポンと音を発する。そこでこの山をポンポン山ともいう。巨岩の直下20mの平地は古代荒川の流路であった。
吉見丘陵の東端をめぐった荒川流域に式内社3社が存在したのはこの地域が早くから開発が進んでいたことによるものと思われる。

(境内の説明板より)

 

背後に大岩、岩の上に乗っている神社のせいか、大地の気が強い感じですね。

かつ、どこか個性的。(失礼ながらクセがある)

水の気は全く感じないのが不思議。かつてはこの岩の下を荒川が流れていたはずなのに。

 

そういえば、横見神社2社(流れ出した御所の神社も流れ着いた方の久保田の神社も)も伊波比神社も、みんな水の気配がほとんどなく、大地系の乾燥気味風の空気でした。

 

御本殿

覆い殿で中は見えません。でも何故かオープンな気がしています。

古い気と新しい気がミックスされているのでしょうか(笑)

 

三峰社

少し大き目の石祠。左側の小さな石祠はお稲荷さんのようですね。

摂社はこちらだけのようです。古いわりには摂社末社も少なく、境内がスッキリ。

 

獅子封じ塚

どことなく不自然に土が盛られています。

かつて悪疫退散のため獅子頭をかぶって家々を廻る風習があったそうですが、ある時、痢病(赤痢や疫痢か?)が多発し死者も多くなったため、産土神のお咎めと考えた村人たちが境内に獅子頭を埋めて柊の木を植えたそうです。

 

ポンポン山

神社背後の巨石に近い地面を踏み鳴らすと、ポンポンと音を発することから、ポンポン山山と呼ばれているそうです。

御本殿のすぐ背後にあり、正式には玉鉾山。磐座ですね。

 

ネーミングからしてインパクトがあります。

みなさん、神社を素通り涙して、御本殿背後のこちらへ直行~~~旗

 

神社背後の坂を登っていくと・・・

 

ゴツゴツした岩山に突き当たります。

 

左側に見えるのが、登り口にある広場のベンチ。こうしてみると結構な高さです汗

 

右手の石像は庚申塔らしいです。なかなか絵になります。

見晴らしは良好風

写真が今一つで申し訳ありませんが、広々としてきれいな風景です。

この岩山から下を見ると、平地が広がり、ウォーキングコースを歩いている人たち歩くの姿が結構遠くまで見渡せます。かつてはこの岩山の下も、旧荒川の流路だったようで、この平地のど真ん中にあった横見神社がずっと南にある久保田まで流れて行ったのも、ここから見れば納得です。

 

でも、音おんぷのする場所、結局よくわからなかったんです。

その場所の写真まで掲示してあるのに見つけられず、あちこち歩きまわっては、一人でドスンバタン行くやってました(笑)

誰かに聞こうにも、神社の撮影をしている間にみんないなくなってしまい、陽は傾きかけてくるし、だんだん空しくなってきたトボトボので、諦めて山を下りました。

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三社とも小さいながらも、それぞれ個性のある古社でした。

伊波比神社はもとより、他二社も元は氷川神社だったことから、やはり出雲色が強いようですね。

 

⇒ 次回に続きます