長女が『約束のネバーランド』を見てみたいというので、

まずは映画の方を借りて一緒に観てみたら、

 

脱獄系知性バトルだけでは無い、面白さを感じ、

コミック全巻を借りて読みました。

 

楽園のように平和で美しい孤児院では、ママと呼ばれ孤児たちみんなから慕われているイザベラのもと、誰もが家族のように幸せに暮らしていた。そんなある日、天真爛漫で身体能力に優れたエマと頭脳明晰なノーマンは、ひょんなことから施設の恐るべき秘密を知ってしまう。2人は冷静沈着で物知りなレイに全てを伝え、協力して一緒に脱獄しようとする。
   ―映画のあらすじ―

 

 

 

(以下、ネタバレも少し含みます)

 

現代の閉塞感…見えない檻に閉じ込められている?
 

映画『約束のネバーランド』では孤児院が舞台ですが、

それは現在の社会において、
何かによって統御・監視されているかのような見えない檻(狭い世界観)を象徴しているようで、

自分の置かれている状況になぞらえて
この作品をみることもできます。

 

脱獄サスペンスドラマで有名な
『プリズン・ブレイク』との大きな違いは、

『約束のネバーランド』では、
エマたち主人公が孤児院で
"誰もが家族のように幸せに暮らしていた"にも関わらず、

ある秘密を知った為に、
その場所が脱獄を図る場となったというところです。

 

つまり、その環境で生まれ育つと気づきにくい檻に、
実は閉じ込められていて…

自由が限られた運命が待ち受けているのです。
果たして、そこから脱出できるのか?
先に光はあるのか?

 

現代の閉塞感…例えば、

 

・能力主義で競争社会
・誰かのイメージ像や理想の姿、
 こうあるべきを自分を当てはめてしまう
・〇〇しなければいけない、してはいけないという思い込み



といったことを連想しながら読めるので、
作品の展開がドキドキハラハラで。

(そして映画で扱われているストーリーは、コミックの前半のみ。
後半こそ大人に読んでほしいです)

 

 

エマの言葉「変えようよ世界」
―望む未来を―

「変えようよ世界」という主人公エマの言葉とともに、
運命づけられた境遇から抜け出して、

望む未来へと道を切り開いていく姿は、
とっても勇気づけられます。
 

 

 

 

現状を打破するキーとなったのは
①知恵と②愛?

「ないならつくろうよ外に 人間の生きる場所」
「争わない選択肢を探したい」
「考えてみたの あなただって あなたの正義で この世界を守ってきたんでしょう?」
   ―主人公エマの言葉―


この作品の設定で興味深いのは、
孤児院の子達に高い知性分析力を身に着ける教育が

なされているところです。

 

実は、孤児院を運営する管理者側の都合で、

優れた脳の発育を遂げられるような環境にしてあるのですが、

その知性こそが

エマ達の置かれた現状を打破するキーとなります。

 

冷静にリアリティを観る力になるのです。


 

 

もう一つ、キーとなるのが、仲間を想う気持ちなのかと。

特に、エマは、種をも超えた友愛の気持ちも出てくるし、
敵の置かれている立場についても思いやる気持ちがあります。
 

それは、自分と同じ境遇の仲間への思いだけでなく、
もっと俯瞰的に世界をみつめて、
他の立場(敵)の人にも思いを馳せることができる能力。

こうした愛に付随する力があったからこそ、
望む未来へ向けて「世界を変える」ことができたんじゃないかと感じました。

 

みなさんは、どうでしょうか?

 

 

 

秘教学からも学ぶ
~イリュージョン(誤って解釈した想念形態)~

さて、『約束のネバーランド』では、
孤児院という物理的な場所からの脱出でしたが、

現代社会の閉塞感は、
目に見えない檻に包まれているかのようで、
その際立ったものとして

想念形態(メンタル的な思考や想いがカタチづくられ現れたもの)
 

があるのじゃないかなと思います。

イリュージョン
人間をメンタル界に閉じ込め、
人間が作った想念形態で取り囲み、

より高位の認識領域への脱出の道を塞ぎ
低位の世界での愛ある奉仕を意識的に行う道を塞ぐ
ということを覚えておいてほしい

   ―秘教本『グラマー 幻惑と錯覚の克服』より―

 

 


ここでいうイリュージョンというのは、
アイディアの誤った理解であり、誤って解釈した想念形態」のことです。

「情緒的というよりもむしろ知的なマインドの態度に特有」のもので、「新たに接触したアイディアの世界に対する未熟なマインドの反応を意味」するのだそうです。

例えば、〇〇すべきという思い込みを持ってしまって、
それを相手にも押し付けてしまうようなものを指します。

本来のアイディア自体は良かったのに、
それを誤用して使ってしまうような感じのことです。

 

 

イリュージョンの正反対のものである「直観」

さて。イリュージョンの正反対にあるものは直観なのだそうです。

直観とは魂の特権である総合的な理解である。
直観とは普遍性の原理の包括的な把握であり、直観が作用しているとき、少なくとも一時的に分離感は消え去る。その最高点において、それは普遍的な愛として知られる。

そして、イリュージョンを直観に置き換えつつある4つのタイプの人々というのが…

4つのタイプの人々が直観の目覚めを通して啓示を受けやすい。

①世界の救済者の線にある人々。
預言者の線にある人々。
③真の聖職者である人々。
④実務的な神秘家もしくはオカルティストである人々。

これらがイリュージョンを直観に置き換えつつある4つのタイプの人々である。これは相反する対をなるものの最初の解消である。なぜなら、知性の助けなくしてこのような解消はなく、知性が―分析、識別、正しい推論を通して―何を行うべきかを示すからである。


※この本には、4つのタイプの詳細も載っています。
 

『約束のネバーランド』のエマは、

上記4つのタイプのうち4つめ

「実務的な神秘家もしくはオカルティスト」が近いんじゃないかなって私は思いました。

 

4 実務的な神秘家もしくはオカルティスト
これらの人は、鍛えられた人生、燃えるような熱誠、訓練された知性という美徳によって直観を呼び起こすことに成功しており、そのため聖なる知恵の真の源に個人で接触する。

これを解釈し、一時的な知識体系に系統立てることが彼らの仕事である。このような人は多く存在し、今日世界で、無思慮な人々には認められず探し求められずに忍耐強く働いている。彼らに今日必要なことは、この世界的な困窮の時期に「集合して」、自らの声を明瞭に発することである。

これらの人は二重性の感覚を既知の統一へと解消しつつあり、リアリティーへの専心と人類への深い愛が直観を解放させた
この解放が起こったとき、壁は感じられず、知恵の啓示の結果として、
真の知識が彼らへの贈り物になる。これは人類と時代に与えるために与えられたのである。


なので、約束のネバーランドで壁の先の光を感じられたのは、
知恵と愛がキーだったのかなっていう考察でした。
(秘教本で大事なキーワードから→漫画を読んでみた)
 

また、「集合して」というのも大切な要素なのかと。

難しい本なので、また頭マッサラにして、読んでみたいです。

『約束のネバーランド』は、
人類の進化の道のヒントがあるような気がしました。

漫画って奥が深くて面白いですね。