母ではなく、特別なものになりたいと思っていた。
小さなお孫ちゃんが居るパート先のお姉様たちと、お孫ちゃんの話やお子さんの話をしていて、ふと気付く。ああ、私が長男を産んだ頃の「母」と同じ年頃の女性と、今働いてるんだなと。私が30代初めの頃は、50代半ばやいわゆるアラカンの人なんて何というかすごくすごく年上というか、大人すぎるというか、自分とは違う人間のような気がして畏れ多かったけど。今こうやって毎日のように接していると、何も変わらない。ただ単に自分も年を取りアラカンもアラフィフも年が近くなっただけかもしれないけど、アラフィフと言う人間や、アラカンと言う人間はいない。自分が娘の頃から感じる心が変わらないように、目の前にいる女性たちも同じように色んなことに心がそよいでいる。自分と何も変わらない。この延長線上にアラフィフやアラカンがあると感じる。日曜日の夕方遅く、公園へ💓私が大学生のころ、母は私の大学の学費を稼ぐためにフルタイムの仕事とは別に、土日も近所の旅館で清掃のバイトをしていた。すごいな、と思ってはいたけど、自分が改めてその時の母の年齢に近づき改めて、すげーーな!!!!と。👀母は、自分がシングルマザーなことで、子供たちに「お金」を理由に何かを諦めて欲しくないって気持ちがあったからほんとに頑張ったんだと思う。オヤツや食べ物は「ダメ!」と好きなものを買うのを我慢させられたけど、好きなことを追いかけるための課金は我慢したことはなかった。きっと私たち子供のためならと踏ん張れていた。自分が幼少期に寂しかったから、家族が出来て、子供が出来て嬉しかったと思う。だから家族一番だったように思い返す。私はやりたいことを我慢されられなかったおかげで、良い高校に行き良い大学に行き、思えば沢山の「やりたいこと」を追いかける女性たちと出会えた環境にいた。でも11歳で父を亡くした私の心の中に、爛々とただ子供らしく、青年らしく「やりたいこと」だけが育っていく訳がない。寂しい思いをさせられた覚えは全くないが、私の心の中で「やりたいこと」と同じように育ったのは「寂しさ」。それは子供らしい、青年らしい友人たちの心の中にあるものとは少し、というか、すごく違っただろうなと大人になってから分かる。私はその寂しさから、周りの友人たちよりも早くに「結婚」を考えたり、子供が欲しいと思ったりした。「やりたいこと」が皆んなと違ってあまり浮かんで来なかった。周りの雰囲気に引っ張られて色んなやりたいことやなりたいものが浮かんだけど、「結婚」ほど周りがしてなくても、「する🙌」と決めたものはなかったし、子供を産んだことのある友人なんて一人もいなかったけど、たた一人、まっすぐとその道に行きたいと決められた。そして、今、「もし、もう自分の夢が叶ってるとしたら?」と自分に問いかけるとしたら、叶ってる夢は間違えなく、「家族を持てたこと」と「お母さんになれたこと」。これ以外、自分で選んだ覚えはないもの🤣(潜在意識で選んだんでしょうが😭)特に「お母さんになれたこと」を、自分の中では「やりたいことの夢が叶った」とカウントすることをすぐ忘れて、外へ外へと意識が向いていくのは、ただの女性性の否定だった。お金にはならなくて、とても献身的なことだから、誰も「やりたい」「なりたい」ものではないなんて。疑うべきはそこだった。ただのオンナの身体そのものの働きを「母」というだけなのに、こんなものいらないと思ってしまうような余計な働きとくっつけているから、嫌う。「なりたくない」「やりたくない」がもうオンナで居たくないになってる。私は女の人に幸せなお母さんになれる人が増えればいいと思ってる。皆んなが手を挙げてオンナでありたいと思えたら幸せだなと思う。女性性の否定の戦いの歴史みたいなものが、最近自分の中で終了していく音が静かに聞こえる。自分が嫌っていた、お母さんの役割が尊くしか映らなかったり。私は間違えてた。母ではなく、特別なものになりたいと思っていた。今は経営者になりたいって思ってるけど、母のまま経営者になれるし、母だから経営者になりたいと思った。子供のやりたいことを応援してあげられる母に私は憧れてるし、なりたいものだから。お母さんをやりたい人は沢山いる。私もそんな一人だった。それがお金に繋がらないから苦しくなる。でもね、なりたい人ややりたい人がいるんだから、どこかで「お母さん」であることはお金に繋がるよ!私はだから、ここから発信している。だからと言って、今、自分の夢が叶っていないってことにはならないなぁと気づけてよかった。長い間、そのテーマでの戦いをしていたから今拍子抜けして何をしたらいいのは分からないくらい記憶喪失。ここから、どこに繋がるのか。もう既に叶っているものをしっかり見つめながら味わいながら人生を歩みたいな!