~参考~

 

「鏡」の相対世界に宇宙の本質が隠されている

「鏡の中の自分」から見れば、自分そのものは仮想現実である。

肉体と魂が共存している限り「鏡」を透過できないが、

仮想の宿「肉体」の消滅(いわゆる「死」)とともに、

一瞬で透過できる多元的(別)宇宙の世界と往来共生]

 

 

 

 

量子力学の謎や解釈の研究まとめ

 

■粒子は"波"なのか? - 二重スリット実験の持つ意味とは

■一般的だが意味不明なコペンハーゲン解釈 - 量子力学の波はただの波じゃない

■観測問題 - 解釈が複数存在する理由はこれにある

■実は奥が深い多世界解釈 - コペンハーゲン解釈のライバル

■ボーム解釈(パイロット波理論)- 量子力学の第三の解釈

■量子エンタングルメントは現実を揺るがす 

- アインシュタインも真っ青になった驚きの性質とは

■量子消しゴム実験 - 未来の出来事が過去に影響を与える?

■量子の重ね合わせ - その裏に控えている無限の可能性

■量子トンネル効果 - "裏の世界"の存在を仄めかしている?

■最後のまとめ

 

■粒子は"波"なのか?二重スリット実験の持つ意味とは

早速だが「波」それとも小さな粒である「粒子」のどちらか知ってるだろうか。

一体どちらなのか確かめる為に実験をしてみる。

ライトを二つの穴が開いた板(二重スリット)に向けて発射してみると、

向こう側の壁には波模様(干渉縞)が浮かび上がる。

このような模様は光がでないと説明ができない。

ビー玉のようなならほとんどの粒子は単にスリットの裏側に辿り着くはずである。

(普通の粒子として考えた時に浮かび上がる模様)

 

という事は光は波なのだろうか。

しかし光とは光子という粒子で出来ているはずである。

波ではない粒子がなぜそのような模様を浮かび上がらせるのか?

そこで気づいた。

一度に大量の光子を発射しているから干渉縞が浮かぶのではないかと。

考えてみれば

海の波も水を作る粒子が大量に集まってできたものなのでそれはあり得るわけである。

というわけで一度に1個ずつ光子を発射してみる。これで問題は解決する。

と思いきや、何度も撃ち続けるとまたもや壁には干渉縞が浮かぶ。

ただし1つの粒子の結果だけを見ると波と判断することは出来ない。

普通に粒子がどちらかのスリットを通って壁に着いただけにしか見えない。

だがその過程が積もると波のような特性が浮かび上がってくる。

これは一体どういうことなのか?

ちなみに光子に限らず電子などを使っても同じ現象が確認される。

さらにバックミンスターフラーレン分子(バッキーボール)という光子などと

比べると非常に大きな分子でもこの実験の成功が確認されている。

(60個の炭素原子で結合されている)

というわけでここまでが二重スリット実験の基本である。

昔は光は波だと思われていたが近代になると科学の発展で粒子だと認識された。

だが二重スリット実験により

昔とは違う意味で光に限らず微小の物体(粒子)が何なのか分からなくなった。

一体この実験結果はどう解釈すればいい?

そこで量子力学の解釈の登場である。

 

■一般的だが意味不明なコペンハーゲン解釈

量子力学の波はただの波じゃない

ある人は考えた。

粒子は観測されていない時物理的形状を持っていないのではないかと。

だから波のように振舞うのだ。

しかし話はそれで終わらなかった。(後述)

そしてさらに考えた。

その波は現実にすら存在していないのではないかと。

これが現在のところ最も支持されているコペンハーゲン解釈である。

物理的形状がないという部分はまだ分かる。

干渉縞を浮かび上がらせる以上波のように振舞っていると考えられるから。

しかし現実に存在していないとはどういう事なのか?

その事を説明する為に二重スリット実験に戻る。

観測されていない時は

粒子はエネルギー波のような波になっていると単純に考えることはできない。

なぜなら

粒子として観測された後、辺り一面に広がっていたはずの波の痕跡

現実世界で見つけることができないからである。

つまり

もしそれがただのエネルギー波のようなものなら

一つの粒子で壁に干渉縞がうっすらと浮かび上がるような事にならないとおかしい。

だが実際は

二重スリット実験というのは粒子を何度も撃ち続けてその結果が見えてくる。

単独の粒子だけじゃ粒子がどちらかのスリットを通り壁に辿り着いただけにしか見えない。

これが何を意味するのかというと、

波を本物として扱ってしまうと非常に厄介な問題が起きるということ。

観測された地点から離れたところにある波が

どういうわけか一瞬で消滅したとなれば、

相対性理論の光より早く情報が伝わることはないという"局所性"が破れたことになる。

だがもし波を現実に存在しないと勝手に定めれば

その点の問題は一応クリアできるわけである。

粒子として観測されると同時に波が消滅する現象を波動関数の収縮と呼ぶ。

言い忘れていたが先ほどから言っている"波"は正式には波動関数と呼ばれている。

そして別名確率波とも呼ばれている。

なぜ確率波と呼ばれているのか、

それはその波が意味するものは観測される確率の高さなどを示している

考えられているからである。

かなり掴みづらい概念だが、それは無理もない。

なぜなら波動関数の状態は定義できない曖昧なもの

というか人知を超えてて誰も完全に理解できないものだからである。

どういう事かその人知を超えた"一端"を説明する為にここでまた二重スリット実験に戻る。

(全容は後述)

二重スリットを粒子(波)が通る際、実際のところどうなっているのか気になる。

そこで片方のスリットの前に観測機を置いてみた。

これで本当はどちらを通っているのか分かる。

だが不思議なことに

観測機を置くと波の性質が消えて壁には干渉縞が現れず、

野球ボールなどで実験を行った時のような跡しか着かない。

波動関数を観測しようとすると波が消滅してしまうから

具体的にどうなっているか分からないわけである。

そしてここでポイントになるのが

「観測」とは目で見る意識で感じ取るという意味ではないということ。

だったら

観測とは何かとなるが具体的な定義は現在のところハッキリしていない。

しかし

あるシステムが波動関数と相互作用した時に起きるとか

そういう感じで考えられている。

たとえば

ある物体を見るにはそれに光が当たり反射しなければならない。

図にするとこのような感じである。

これは量子デコヒーレンスと呼ばれる概念である。

これで波動関数の謎が解けたように思えるだろうが、それは大きな間違いである

量子デコヒーレンスを知っただけで

量子力学の謎が解決すると勘違いしてはいけない。

どういうことかそれを今から説明しよう。

 

■観測問題

解釈が複数存在する理由はこれにある

まず先ほども言ったように

量子デコヒーレンスが起きる具体的な条件というのは現在のところ判明していない。

さっきのはあくまでイメージ図にすぎない。

しかし観測の定義は現在ハッキリしていないと言っても、

波動関数と"観測システム"との相互作用

波動関数の収縮が起きるのは間違いないように思える。

二重スリット実験はそういうものだから。(人がその場にいなくても結果は同じ)

だがちょっと待った。

だとしたら、なぜ最も近い観測機で粒子は毎回観測されないのか?

波動関数は計算上辺り一面に広がっているはず。

にも拘らず、

波と相互作用し量子デコヒーレンスを起こせる

最も近い左のスリットの観測機で粒子が観測される確率は

普通に粒子を飛ばした確率と同じ50%である。

残り50%は右のスリットを通り壁に辿り着く。

(正確には壁に当たる確率などありどちらも50%ではないが、話を分かりやすくする為1/2にした)

そこで波動関数は現実には存在しないという話の出番だが、

それでも"何が"量子デコヒーレンスを起こすか起こさないか決めているのか

という問題が残り続ける。

というかそもそも、

現実に存在しないものが現実の存在と相互作用するとはどういう事なのか?

基本的だがあまりに単刀直入すぎるのかこの疑問は逆に聞いたことがない。

そしてこれは勘違いしそうになるが

量子デコヒーレンスが起きる具体的な条件とは種類の違う問題である。

これも勘違いされやすい。

それはこちら側の理解力不足による問題。

なのでミクロの世界の情報がマクロの世界に移ったその事を「観測」と呼ぶなど、

本当に正しいかどうかはともかく推測することができる。

それが真実かどうかは今後の研究次第である。

だがこれは具体的な量子デコヒーレンスの条件が判明しても

残り続ける解決困難な問題。

なぜ解決困難なのか、

それは相互作用する条件が整っているにも関わらず、

その時々でそこで相互作用したりしなかったりする謎という中途半端なものだからである。

ちなみに解決困難だと言ったが

コペンハーゲン解釈を支持する限りこれはおそらく解決不可能な問題である。

なぜならコペンハーゲン解釈というのは確率論(ランダム)を中心として成り立っている。

つまり相互作用する確率すら運が決めていることになる。

(だとしたら運が全てなので解決は不可能という事になる)

しかもこれにはまだ問題がある。

ただ観測機が波動関数の収縮を起こしたり起こさなかったりするだけじゃなく、

起こさない場合その部分の波動を消す効果が付いていること。

観察者効果、または観測者効果と呼ばれる現象。

なので観測機を両方ではなく片方のスリットだけに用意しても

干渉縞は生まれないのである。

この"観測問題"コペンハーゲン解釈の持つ最大の弱点

今の部分がとても納得できない人はこの解釈を支持しない。

ではどうすればこの解決が不可能と思える方の観測問題を解くことができるのか?

そこでコペンハーゲン解釈の次に有名なエヴェレットの多世界解釈が出てくる。

(むしろこっちの方がSFでよく登場するから有名かもしれない)

 

■実は奥が深い多世界解釈コペンハーゲン解釈のライバル

多世界(パラレルワールド)と聞くと

SFをイメージし現実的じゃないように思えるだろうが、

今まで説明したように主流であるコペンハーゲン解釈も充分非現実的(な印象)である。

波動関数は現実の存在じゃないという意味不明な定義にもあるように言うなれば

これは幽霊(ホラー)である。

だがSFである多世界解釈には

ホラーであるコペンハーゲン解釈の弱点を埋める大きな強みがある。

先ほどなぜ最も近い観測機で粒子は毎回観測されないのか?

という波動関数の収縮の謎を取り上げたが、

コペンハーゲン解釈だとそこは説明を丸投げするしかなかった。

なのでコペンハーゲン解釈はそもそも解釈とは言えないという意見もあったりする。

しかし多世界解釈を正しいと仮定するとその不可解な謎がなんと簡単に解ける。

なぜなら、実際に粒子は毎回そこで観測されていると説明できるから。

(そのための多世界です)

図にするとこうなる。

観測前の宇宙はコペンハーゲン解釈の時と変わらない。

だが観測が起きると、

宇宙はその結果に合わせ分裂する。

つまり波動関数が不気味に消滅したように見えるのは

あくまで"こちら側"から見た場合であって

"宇宙的"に見ると波動関数は消滅せず

観測がその地点で起きる度にその結果に合わせ世界が

宇宙的な波動関数から分かれているのである。

それがコペンハーゲン解釈では

謎であったその部分の波動を消す効果(観測者効果)の真の正体ということになる。

波動関数の収縮を起こさず不可思議に消えたわけじゃなく、

コピー宇宙ごと別の次元へ行ったわけである。

(その世界では波動関数の収縮が起きたように見える)

さらにこの理論が正しいのなら波動関数を本物扱いしても問題ない。

というのも波動関数の収縮は実際は存在していない事になるので、

この場合観測によって空間に広がっていたはずの波が

一瞬にして消滅したことにはならない。

あくまでそれはこちら側から見た錯覚でしかない。

つまり別の次元(世界)に波はまだ残っているので

本物扱いしても局所性の問題などに引っ掛からないわけである。

宇宙内の出来事ではなく宇宙外の出来事だから

相対性理論などの問題は適応されないということになる。

ちなみにこの理論の問題は証明方法がないことと言われているが、

しかし多世界解釈を証明する事が不可能という証明もまた

存在しないのも頭に入れておかなくてはならない。

さらに証明されていないのはコペンハーゲン解釈も同じである。

多世界解釈というのはSFチックに思えるが、

むしろ波を本物扱いしている分コペンハーゲン解釈より現実的である。

実際これは純粋な数学的解釈である。

というのも観測による結果は量子力学的に可能な限り全て起きうるので、

コペンハーゲン解釈のように運(ランダム)のような数学以外のよく分からない要素

そこに一切何も存在していない。

そもそも"純粋なランダム"とは一体何?

無秩序のこと?

しかし二重スリット実験を見ると一定パターンの分布(干渉縞)を示すように

そこに"何らかの秩序"は存在している。全くのデタラメではない。

ではその"何らかの秩序"の正体とは?

そして結局何が運を決めているのか?

など疑問は尽きない。

だが多世界解釈だとそれらの疑問は"数の力"で解決される。

つまりコペンハーゲン解釈に存在した中途半端さがないわけである。

可能な限り全てありだから。

だからこの理論は運命は決まっているという決定論に属する。

というわけでこうやって見ると

エヴェレットの多世界解釈はコペンハーゲン解釈よりも万能のように思える。

ミクロ世界の観測イベントが起きる度にそれに合わせ宇宙全体が

無数に分裂するという人間の想像が及ばない部分と、

証明方法が少なくとも今のところ存在しないという部分以外問題点は何もないように見える。

だがこの理論には、哲学的な大問題が一つある。

それは意識の存在

多世界解釈によると

量子力学的な多元宇宙の中にそれぞれ別の歴史を歩んでいる「自分」がいるとの事だが、

それはそもそも「自分」なのだろうか? 

たとえ「別の自分」が「この自分」とほとんど同じ歴史(人生)を歩んでいたとしても、

記憶(経験)が完全に一致していない限り

それは自分そっくりなだけの別人ではないのだろうか?

つまりエヴェレットの多世界解釈は運命は存在するという決定論にもかかわらず

「なぜこの自分なのか」を説明する事ができない致命的な欠陥を抱えているのである。

もし宇宙に意識が存在しないと仮定すれば

確かに可能な限りの結果がそこにあるだけと説明することができる。

同じ"観測機"が別々の結果を別々の世界で受け取っただけという具合に。

だがそれは神の視点で考えた場合のみに当てはまる。

もっと正確に言うと現実は神の視点のみしか存在しない場合だけが当てはまる。

しかし見ての通り、現実はそうじゃない。

個人の視点わずか一つでも存在すればこのように話は妙なことになる。

ちなみに"こちら側"という言い方を何度か使ったが、

あれは基本的には個人の視点(意識)という意味です。

というわけで万能に見えた多世界解釈だったが

この解釈の弱点は意識の存在というわけである。

だが意識を無視すればこれは中々良いアイディアだと思う。

ただし、意識の問題を無視しても実体のある宇宙が

ミクロの世界の結果に合わせてこうも簡単に無数(無限?)に分裂できるという点は

冷静に考えると妙である。

たとえば上の図では世界は2つにしか分かれていないが、

観測機を1億個用意すれば少なくとも1億通りの世界に分かれる事になる。

たった一つの粒子の波動関数の為に)

しかも天然の観測(量子デコヒーレンス)も考慮すると、その数は数えられるのだろうか。

なので量子力学的な多元宇宙の数は無限という主張もある。

質量保存の法則とかそのようなのは一体どうなっているのだろうと純粋に不思議である。

宇宙の外の出来事だから何でもありなのだろうか)

ご覧の通り量子力学の二大解釈にはそれぞれ独自の問題があった。

では他にその二つの代わりになるような解釈はないのだろうか?

意識と関係した解釈を知ってるのだが、

このタイミングでその話を取り上げるとややこしくなるので一旦飛ばします。

代わりに通常の量子論の考え方から大きく離れた解釈を紹介しよう。

 

■ボーム解釈(パイロット波理論)

量子力学の第三の解釈

この理論だと粒子は普通に考える感じで物質としてそこに存在し、

波はガイド波として別に存在し宇宙に広がっている。

そして粒子はその波に乗って動く。

簡単にいえば波が粒子の動きを決めているので

粒子が波のように振舞っているとこちら側は感じてしまう。

(イメージ図)

なので普通じゃ考えられないような変な軌道を通っても問題ない。

だから粒子が常に粒子として存在しても

二重スリット実験の結果を説明できるわけである。

さらにこの理論は決定論に属するので全ての状況が分かれば

コペンハーゲン解釈と違い未来予知も可能になる。

つまり純粋なランダムのようなよく分からない要素が必要ない。

にもかかわらず多世界解釈と違い宇宙の数は一つで済む。

つまり意識の存在を考慮しても何も問題がない。

今の話だけを聞くとオカルトでもSFでもない普通の考えに聞こえる。

しかもコペンハーゲン解釈と多世界解釈の持つ弱点が存在していない。

これで決まりじゃないかと思えるが、支持率の低さには理由がある。

通常の量子力学の方程式には存在しないガイド波の為の式を加えなければならない

というのが一つ。

そして相対性理論との相性が非常に悪いというのが専門的な理由として大きい。

さらに他にもまだある。

その理由を説明する為に二重スリット実験から一度離れる。

ここから量子エンタングルメントの説明に移る。

 

■量子エンタングルメントは現実を揺るがす

アインシュタインも真っ青になった驚きの性質とは

粒子を二つに分裂させると双子の粒子が生まれる。

双子の粒子には面白い特徴がある。

粒子にはスピンという回転運動が存在するのだが、

双子の粒子は片方がを向けばもう片方は必ず下を向く性質がある。

その詳しい理由は置いておいて、

要するに

元は1つだったのでプラスマイナス0にならなければならない

という風に思っておけばいい。

(正確には"角運動量保存の法則"という)

通常の量子論が正しい場合粒子は観測前はよく分からない状態になっている。

 

結果は上向きであった。

という事は

先ほどのプラスマイナス0の理論を当てはめると

もう片方の粒子は下向きでなければならない

実際に観測してみるとやはり下向きであった。

これだけ聞くと何てことない話に思えるが、

ポイントは双子の粒子の距離がどれだけ離れていても同じ結果になること。

たとえ1光年離れていても、

片方の粒子の観測が行われれば一瞬にしてもう片方の粒子の状態が決まる。

光より早く情報が伝わることはないという"局所性"を途中で取り上げたが、

波動関数の収縮の時と違いこれは普通に局所性が破れてるように見える。

(その事は非局所性という)

これはどう解釈すればいい?

実際に存在する双子の粒子の繋がりなので

コペンハーゲン解釈ですらこれは幽霊扱いすることは出来ない。

なのでコペンハーゲン解釈だと"条件付き"で非局所性は存在するという扱いになっている。

条件付きというのはミクロの世界限定という意味である。

コペンハーゲン解釈だと観測結果を決めるのは"運"なので、

こちら側が観測と量子エンタングルメントを使って遠くへ一瞬で情報を送ることはできない。

なぜなら

観測結果を相手側に知らせるには普通の通信手段を結局使わなければならないから。

観測結果(たとえば上向き)を自在にコントロールできるのなら

一瞬の情報のやり取りは可能だがそれは運がコントロールしている以上不可能。

なので気味の悪い遠隔作用ではあるが、

それを使って送れるのはランダムな情報のみなので

非局所性を認めても何とかセーフという事になっている。

では多世界解釈だとどうなのか。

コペンハーゲン解釈と同じように非局所性は存在すると思うのだが、

どうやらこの理論だと局所性が守られるらしい。

これは未だにハッキリ完全に掴めないのだが

相関関係と因果関係は違うということらしい。

以前の説明だとその結果に合わせて

宇宙全体が分裂するから局所性には当たらないと言った。(そう解釈した)

しかしそれ以外にも別の考え方があり、

宇宙の分裂はその地点から光速で行われても問題ないとのこと。

(紙に付いているシ-ルをペリっと剥がす感じで?)

観測結果を確かめるには

光速以下で情報のやり取りを行わなければならない。

つまり可能な限りの可能性が裏に控えてる以上、

その結果と関係した宇宙(相関関係にある宇宙)だけが

光速で最終的に繋がりを持っても問題ない。

宇宙全体がその観測ポイントに合わせて一瞬で分離する必要がない。

なので

量子エンタングルメントが存在しても

それが非局所性の存在を意味するとはならない。

との事だが本当にそれで辻褄が合ってるのか正直よく分からない。

何となく分かる気もするのだが、どうも腑に落ちない。

だが何であれ重要なポイントは

普通の概念で局所性が守られているわけじゃないということ。

なので結局量子エンタングルメントの持つ気味の悪さに関しては

コペンハーゲン解釈と大して立場は変わらないと言える。

(だからエンタングルメントの存在が多世界解釈の証拠にならない)

ではボーム解釈だとどうなるのか。

二重スリット実験は日常的な感覚で捉えることが出来た。

だがやはりこのエンタングルメントの件はそうはいかない。

ちなみに本当にエンタングルメントが存在するかどうかだが

量子エンタングルメントについて(EPRパラドックスとベルの不等式の説明)

で詳しく説明しているように疑いの余地はないと思っていいだろう。

なのでボーム解釈はオカルト要素0の理論と見せかけて、

宇宙に広がっている波が何らかの理由で一体化しているという

宇宙の波動関数という奇妙な概念が必要になる。

多世界解釈にも宇宙の波動関数の概念はあったが

あれとは種類が違いこの場合宇宙内での繋がりを意味している。

粒子と波は別々の存在なので

波をエネルギー波のように捉えれる感じだったが、

エンタングルメントの存在を考慮すると

結局他の解釈と同じようにただの波じゃないとなる。

双子の粒子をコントロールしているガイド波が、

もう片方の粒子をコントロールしている別のガイド波に観測が行われると

即座に影響を与えるという具合に

言い方が違うだけでコペンハーゲン解釈と要領は同じ。

一体"何が"その波を宇宙規模で同時にコントロールしてるのか?

という疑問があるので、これはマイナーな理論なわけである。

なのでこの理論は喩えるなら超能力といえる。

ちなみにまとめるとこうなる。

コペンハーゲン解釈:ホラー

多世界解釈:SF

ボーム解釈:超能力

(どのジャンルがお好み?)

では基本的な3つの解釈を押さえたのでここでまた二重スリット実験に話を戻す。

説明していなかった人知を超えた波動関数の全容の話はここからである。

 

■量子消しゴム実験

未来の出来事が過去に影響を与える?

 

■量子の重ね合わせ

その裏に控えている無限の可能性

 

■量子トンネル効果

"裏の世界"の存在を仄めかしている?