「桜は花の王、侍は男の中の男、
しかし、花の命は短く、侍の命も短い。」
~参考~
〔「一時の国利と100年の国害」(朝河貫一氏)~志醜くければ、その行き着く先もまた同じ。〕
志醜くければ、その行き着く先もまた同じ。
「3千年、いや、4千年生きたい。 しかし、人は死ぬ。 しかし、国は生き続ける。」 吉田茂
(邦画【小説吉田学校 (1983/日)】)
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帰りなんとて家(うち)もなく
慈愛(じあい)受くべき 父母(ふぼ)もなし
みなしご書生の胸の内
みなしご書生の胸の内
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「一時の国利と100年の国害」
福島が生んだ知られざる巨人・朝河貫一が今、問いかけるもの。
有史以来、最大かつ最悪の原発事故を起こしてしまった
日本人、その国民性への辛辣な指摘をどう受け止めるか?
(1873年(明治6年)12月20日 - 1948年(昭和23年)8月10日)は、 日本の歴史学者。 イェール大学では“Historian”、“Curator”(キュレーター)、 “Peace Advocate”(平和の提唱者)として評価されている人である。 福島・二本松市生まれ・立子山育ちの歴史学者・朝河貫一は、 明治から昭和にかけて活躍した封建制研究の世界的権威で、 日本人として初めてイェール大学の教授になった人物です。 ルーズベルト大統領の天皇宛親電の草稿を書くなど、 日米開戦の回避に奔走し、 3・11への警句ともとれる卓越した歴史観と世界観は、 今改めて注目されています。 |
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〔「朝河貫一著『日本の禍機(かき)』の今日的意義」〕
(2009年6月14日 朝河貫一博士顕彰協会・古川会長)
朝河博士を顕彰するために、 2004年5月に、朝河貫一博士顕彰協会が設立されました。 5年目を迎える2009年5月23日(土)に 福島・郡山市で総会が開催されました。 総会終了後、 古川会長が 「『日本の禍機』の今日的意義」という題で 講演をされました。 伊藤博文が暗殺された時、懐に偲ばせていたと言われ、 多くの政治家の座右の書となっている、 名著『日本の禍機』の講演。
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〔朝河博士の思想継承を~福島・郡山市で集い「復興の教訓に」〕 (2015年6月22日 福島民友ニュース) 二本松市出身の歴史学者・朝河貫一について考える集いは 21日、福島・郡山市で開かれた。 朝河に関する書籍の著者や母校・安積高の生徒らが、 原発事故後に再び注目を高めた朝河の哲学や功績を語り合い、 若い世代など多くの人への伝え方に意見を交わした。 を昨年発刊した著者の武田徹さん、梅田秀男さん、 佐藤博幸さんらの出版委員会が主催し、 朝河の学びやだった安積歴史博物館を会場に開催。 著者3人と花伝社の山口侑紀さん、 安積高2年の西村知真さんと山田耕太郎さん、 朝日新聞編集委員の駒野剛さんがパネリストを務めた。 朝河について パネリストらは 「地域の偉人にとどまらず、真の民主主義のあり方など 現代的なメッセージを投げかけている」 「原発事故後に何を教訓に生きていくかについて 朝河の警告は重要な示唆を与えてくれている」 などと語り、 その思想が現代社会にも重要な意味を持つと指摘。 * 朝河が再評価される中、 さらに啓蒙を進める手段として 「小さい子どもでも分かるような絵本をつくってはどうか」、 「朝河がしたように連帯や話し合いが大事。 草の根的に民主主義を育て、 朝河の生き方を知っている人を増やしていくことが大事」 などの声が上がった。 朝河に対し 山田さんは「偉大な先輩」というイメージの一方、 「遠い存在」に感じてしまっている生徒が多いことを報告。 西村さんは 「正しいものは正しい、 悪いものは悪い としっかり見極める力があり、 日常の生活でも大事にしたい」 と述べた。 朝河は 日露戦争後の1909(明治42)年、 海外進出を志向する母国を憂い「日本の禍機(かき)」を出版、 「一時の国利と100年の国害」 を見定めるべきと 訴えた。 原発事故の国会事故調査委員会の報告書で この「警鐘」が引用されるなど、 朝河の思想が再び注目を集めている。 |
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「一時の国利と百年の国害」
福島が生んだ知られざる巨人・朝河貫一が問いかけるもの
有史以来、最大かつ最悪の原発事故を起こしてしまった
日本人、その国民性への辛辣な指摘をどう受け止めるか?
日米開戦阻止に奔走した世界的歴史学者の生き方と哲学を追った、
ポスト3.11時代の必読書!
武田 徹、梅田秀男、佐藤博幸 著 ●内容● 福島県立安積高等学校卒、福島大学卒。 元福島県立高等学校教員。 「福島国際交流の会」を1987年に結成、現会長。 福島県立安積高等学校卒、茨城大学卒。 元福島県立高等学校教員、高等学校長。 福島県立川俣高等学校卒、福島大学卒。 現福島県立喜多方高等学校教員。 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 (国会事故調)の報告書には、次の一文が記されています。 「100年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、 朝河貫一によってなされていた。 朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように 警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著し、 日露戦争以後に「変われなかった」日本が 進んで行くであろう道を、正確に予測していた。」 (「はじめに」より) 明治から昭和にかけて活躍した封建制研究の世界的権威で、 日本人として初めてイェール大学の教授になった人物です。 ルーズベルト大統領の天皇宛親電の草稿を書くなど、 日米開戦の回避に奔走し、 3・11への警句ともとれる卓越した歴史観と世界観は、 今改めて注目されています。 10年来、朝河の研究を進めてきた著者陣が、 初出の資料も含め「100年前からの警告」を詳しく解説。 知られざる巨人・朝河貫一の入門書としても最適な一冊。
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~参考~
「歴史では 一つの時代から次の時代へ転換するのに 少なくとも200年程度の時間が必要であり、 長い時間をかけて 一つ一つ難題を解きほぐすなら、 今日絶望的にみえることでも 将来的には解決しうるものである。 そこで我々は決して絶望してはならない。 今日は不可能でも、 今日の努力が明日の可能性を生み出していく。」
[東海大学教授・謝世輝著 『人類への警告~生命を蝕む科学文明の実態』(昭和46年・潮出版社刊) |
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「志醜くければ、その行き着く先もまた同じ。」