靖国神社の起源は
【靖国神社の御祭神】
靖国神社には、
靖国神社に祀られているのは
このように多くの方々の神霊が、
【靖国神社と日本人】
我が国には今も、
靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、
「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、
当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていた
2006年7月19日、
昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、
理由は明らかにしていなかった。
昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、
史料としての歴史的価値も高い。
(靖国神社は3面「きょうのことば」参照)
その発言を書き留めた文書が見つかったのは初めて。
「昭和天皇が参拝しなくなったのは
との見方が裏付けられた。
富田氏は
日記は同庁次長時代も含む1975~1986年まで各一冊、
手帳は1986~1997年の二十数冊が残されていた。
靖国神社についての発言メモは1988年4月28日付で、
手帳に張り付けてあった。
昭和天皇はまず
「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、
その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
と語ったと記されている。
「松岡」「白取」は
A級戦犯の中で合祀されている
松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、
「筑波」は
さらに
「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。
松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、
親の心子知らずと思っている。
だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」
と述べている。
この部分の「松平」は終戦直後に
最後の宮内大臣を務めた松平慶民氏(故人)と、
その長男で1978年にA級戦犯合祀に踏み切った
当時の松平永芳・靖国神社宮司(同)を指すとみられる。
同日付のメモの前半部分には、
天皇誕生日(4月29日)に先立って行われた記者会見で、
戦争に対する考えを質問されたことへの感想も記されていた。
会見で昭和天皇は
「何といっても大戦のことが一番いやな思い出」と答えているが、
メモでは一部の政治家の靖国神社を巡る発言にも言及しつつ
「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現したかった」
と話していた。
昭和天皇は靖国神社を戦後8回参拝したが、
1975年11月の参拝が最後となった。
参拝しなくなった理由については
これまで、
「A級戦犯合祀が原因」
「三木首相の靖国参拝が『公人か、私人か』を巡り
政治問題化したため自粛した」
との二つの見方があった。
現在の天皇陛下も
富田元長官の日記、メモを見ると、
昭和天皇の信頼を得た虚飾のない律儀な人柄が感じられる。
富田氏は政治的な動きをつつしむ気配りの人だったようだ。
それだけにメモの信頼性は高いと思う。
昭和天皇の靖国神社不参拝問題は関係者の証言が乏しく、
憶測で議論が続いてきたが、
今回、決定的とみられるメモが出てきたため、
今後はこの「事実」を踏まえた議論になるだろう。
故松平宮司は遺族の了解をとらず、
天皇の内意も確かめず、
必要な手順を踏まずに
▽…1869年(明治2年)、
戊辰戦争の政府側戦死者を慰霊するため、
東京招魂社として創建。1979年に靖国神社に改称。
祭神は近代以降の戦争での政府側戦没者などの「英霊」。
約246万6500柱(2004年10月現在)がまつられている。
▽…合祀(ごうし)は
戦前、陸海軍が審査し、天皇の勅許で決定していた。
戦後は厚生省引揚援護局(当時)が
戦地などで「公務死」とされた人の名簿を靖国神社に送り、
合祀が行われた。
戦犯の合祀は
厚生省は1966年、
死刑あるいは公判・服役中に死亡した
A級戦犯14人の祭神名票を送付し、1978年に合祀された。
【昭和初期(昭和元年~昭和16年)~悲劇は繰り返す〔歴史的カルマ〕】
↑関東大震災当時、自警団による朝鮮人虐殺の場面。
日本権力の流言飛語で騙され、朝鮮人を虐殺している村の自警団。 日本官憲では、虐殺した朝鮮人達を、身元を分らないように、 地震に因って死亡した日本人たちの中に混ぜておき、 火に燃やしてしまうなどで証拠を隠滅した。 生き残った在日同胞たちは、 極度の恐怖と不安感に震え、数日を送らねばならなかった。 この時、およそ6661名(上海臨時政府調査記録)の 在日同胞・移住労働者達が、集団虐殺された。 |
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アジアの「ガン細胞」が、我々日本民族
日本民族は例外なく地獄の裁きを
延々と受け続けなければならない。
呪われた、穢れた民族性を完全浄化する趣旨でも、
日本民族は自主的に滅亡するのが歴史的&民族的宿命
神の裁きは素直に受けなければならない。
PS
〔「日本は過去の清算を」=北朝鮮 〕
(2017年8月15日)
朝鮮中央通信によると、
北朝鮮の「朝鮮日本軍性奴隷および強制連行被害者問題対策委員会」は
2017年8月15日、報道官談話を出し、
「日本当局は今からでも、自ら(北朝鮮への)敵対政策を転換し、
われわれとの過去の清算に臨まなければならない」と訴えた。
報道官は「日本がわが国の『脅威』について大げさに騒ぐなどして、
極度の敵対感情や憎悪を助長しているのは、
われわれとの過去の清算をどうにかして回避することを目的としている」
と主張した。
〔韓国“慰安婦の日”各地で行事 プラスチック製の像乗せた路線バス運行、
広場では500体のミニチュア展示も〕
(2017年8月14日)
韓国で市民団体などが「世界慰安婦の日」と定めた
2017年8月14日、各地で慰安婦像設置などの行事が行われた。
ソウル市内ではプラスチック製の慰安婦像を乗せた路線バスが運行。
車内では、慰安婦を描いた昨年公開の映画、「鬼郷(クィヒャン)」に
音声として登場した民謡「アリラン」が流された。
バスには朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長も朝から乗り込み、
慰安婦像に手を添えるなどし、
慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意に代わる
「新たに国民が納得できる合意」が必要などと強調した。
“慰安婦バス”は9月いっぱい、運行される。
略
鬼畜の日本国家によって
強制的に植民地化され
奴隷的(&非人道的)扱いを受け続けた
北朝鮮、韓国、中国、台湾等の周辺アジアは、
正論を述べているのに過ぎない。
常軌を逸しているのは、昔も今も、
我々日本民族なのであって、
(真摯な反省はもとより)
そのことに滅亡するまで気づかない
徹底した(自民族にとって都合の良すぎる)
神風志向「自己愛(ナルシズム)史観」の
馬鹿民族。
自民族の戦没者の慰霊は後回しにして
(あまりにも理不尽な形で)
日本の生贄とされた
周辺アジア諸国の名もなき大勢の御霊を
半永久的に真摯に慰霊継続するのが
人道的&道義的にも本筋だろ!
時に、穢れた&呪われた
日本民族の一員であることに、
猛烈な嫌悪感をもよおすことがある。
本来であれば、
民族的連帯責任として、
日本民族は(天皇&皇族も含め)
一人残らず集団自決をすべきであった
と言っても過言ではない。
今後は民族に魂の奥底まで染み付いた
エゴで排他的なナショナリズム
を、徹底的に克服しなければならない。