~人間も他の生命体と同じく、
大自然[天地の摂理]の一部にすぎない~
五大(ごだい)とは、
宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする
地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素のこと。
<五つの要素>
地 - 大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質。
水 - 流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質。
火 - 力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す。
風 - 成長、拡大、自由を表す。
空 - 虚空。
<「五つの要素」を基盤としての独自の解釈>
地 - (抽象的)「静」
水 - (抽象的)「動」
火 - (具体的)「動機」
風 - (具体的)「行動」
空 - (包括的)「悟り」
<沿革>
中国の五行思想(木・火・土・金・水)と数が同じで、
一部共通する物もあることから混同されやすいが、
両者は全く別個に成立したものである。
この思想は、古くからインド哲学(六師外道・六派哲学の思想など)
にあり、
古代インド思想では、火・水・地を「三大」、
または地・水・火・風を「四大」とする。
これらに「虚空(ア-カーシャ)」を加えて「五大」とする思想が現れ、
さらに第六の要素として「識」(意識)を加えて「六大」とする思想が
のちに出現する。
だが、インド思想家と仏教徒との教学論議を経るうち、
これらの思想がその時々に応じて仏教の思想体系中に
取り込まれていったのである。
そして原始仏教や部派仏教に暫時取り入れられたのを契機に、
仏教思想として東アジア一帯に広まった。
仏教の一派である密教では
五大を五輪(ごりん)と呼び、
この思想に基づく塔婆として五輪塔を造立する。
西洋では、宮本武蔵の『五輪書』によって五大が知られたことから、
五大は日本で生まれたものと認識されている。
地(ち)
揺るぎないもの。 物の土台であり、万物の基礎となるもの。 固(かた)く全てを保ち、宇宙とともに常に存在する。 命の無限性を象徴。 起こるを「生」と名付け、帰るを「死」と呼ぶ。 死生の別れは、ものの大樹(自然の摂理)なり。 人は一生を終えると地に帰り、また新たなる命がこの世に生まれる。 |
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水 (すい)
その存在こそが象徴。 色や形を説明することのできない「水」は、 仏の姿が言葉で表すことができないことに通ずる。 時には限りなく人を癒(いや)し、 そして時にはその力で全てのものを浄化し、 人に愚かさや儚さ(はかなさ)を伝える。 「水」は空から下り、地を潤(うるお)して、やがて空に帰る。 潤(うるお)し、全てを受け入れる。 命の源(みなもと)。 |
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火 (か)
己(おのれ)も相手をも焼き尽くすことで、融合へと導く。 全てを温(あたた)め、熟成させる。 穢(けが)れをも焼き清めるという性質も備える。 「火」は、熱情。 仏は内外からの穢(けが)れに染まることなく常に正常。 「火」こそ正常の象徴。 様々な形をみせる炎。 地獄をも想像させる「火」を凝視すると、 その中心に仏の姿が現れるとも言われる。 |
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風 (ふう)
どこから吹き、どこに行くのか分からない。 存在という意識を超えた象徴。 「風」には二つの側面があると言われる。 一つは、現世に吹き、 一つは、久遠(くおん)の世に吹くとされ、 ともに滞(とどこお)ることはない。 「風」は雲を呼び、雷を呼び、嵐をも呼ぶもの。 「風」がなければ、雨の恵みさえない。 |
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空 (くう)
無限の広がりをもつ世界。自由の象徴。 「空」は無(む)にみえて全てを包容(ほうよう)する。 何ものでもなく、全てである。 無限、それこそが「空」なのである。 |
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<太陽系>
~参考~
⇒地球上の「生命体」が、
更にミクロレベルでは、
「小宇宙」と言われる所以。
「大宇宙」⇔「小宇宙」が
双方向に、連綿と際限なく続くのが
「宇宙」の本質(実相)であり、
[「マクロ」⇔「ミクロ」双方向の相対的世界]
すなわち、
その混沌(カオス)化した
エンドレスな規則性が、
いわゆる「神」の正体である。
つまり、
超マクロレベルでは、
我々の存する太陽系<銀河系も、
端的に言えば、
我々の想像を絶する
巨大生命体の特定臓器&器官の
細胞内の1つに過ぎない。
また、逆もしかりで、
超ミクロレベルでは、
我々、生命体の特定臓器&器官の細胞内にも、
我々の想像を絶する「超ミクロ宇宙」が存し、
「超ミクロ生命体」が、我々同様、
「宇宙」の本質(実相)に気づくことなく、
普通に生活しているのである。
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★森羅万象★
「生命の神秘の力で偶発的に生じた 1つの生命体としての人間の体内を観察すると、 遺伝情報に基づいて全60兆個の各細胞内で、 極めて緻密な同期的&同調的作用を断続的に営んでいる。 このミクロの世界をそのまま、 マクロの世界たる宇宙の世界に超拡大解釈すれば、 我々の住む地球⇒太陽系⇒銀河系も もしかすると、我々生命体の体内と同じく、 我々の想像をはるかに超越する大生命体の 1つの細胞に過ぎないのかもしれない。 とすれば、銀河系と同じような宇宙領域は、 銀河系の外に確実に無数に存在しており、 我々と同じ生命体も存在している可能性が高い。 (⇒更に言えば、ミクロ&マクロともに、その延々と続く連鎖が 大宇宙の本質かもしれない。) もしかするとパラレル・ワールドもSFの世界に留まらず、 現実的に存在しているのかもしれない。 そういう趣旨で映画マトリックスシリーズ 【マトリックス (1999)】 【マトリックス リローデッド(2003)】 【マトリックス レボリューションズ(2003)】 をあらためて見直してみれば、 また新たな重大な発見があるかもしれませんよ^^; 何れにせよ、既存の価値観に縛られ続けていれば、 死ぬまで、更に死んで以後なお、 魂が永久に解放されることはないかと。 特に生きているうちにその事に気付けば、 生という真の尊さが分かってくると思いますよ。」
⇒仏教で言う「悟り」というのは、 単にその事の確認作業に過ぎない。 単細胞的&杓子定規的な絶対的解答を求めるのではなく、 相対的価値観を前提とした思考が、 人間として本来あるべき姿である。 また「人為的正義」でなく「自然的正義」というのは、 本来そのような相対的世界である。 単細胞的な絶対的価値観を自他ともに不自然に要求するから 特に人間の世界に古来より争いごとが絶えないのである。 (⇒自己の感情に翻弄されたり縛られたりするのもしかり。) 互いの価値観を認め合う相対的価値観こそ、 神が人類に求める真の悟りである。 その事に全人類が気付いた時点で、 (神が終局的に望んだ)地球の隅々まで真の平和が 訪れるであろう。 そして、その事は 不条理な&混沌(カオス)とした(不調和)な現世から 真の調和のとれた現世に生まれ変わる事を意味するであろう。
「迷ったら好きな方をとれよ。 お前は人間は優しいものだと思いたいんだろう。 ところが、残酷なのか優しいのか分からなくなる時がある。 そしたら、お前の思いたいように思えばよい。 それがお前には必要なんだ。 神様はいないかもしれない。 だが、根津権現に行ったら、そこに神様がいるかのように、 きちんと頭を下げればよい。 いつも俺と散歩に行った時のようにな。 神も正義もないと、やけを起こすのが一番つまらん。 今、お前に必要なのはハチミツ入りの温かいミルクだ。」 (NHKドラマ【玉と砕けず~ある森鴎外伝(1987)】より)
その意味でも、 「生」に執着しすぎることはもとより、 「死」を過剰に怖れることもないのである。 「死」は (「生(有)」の起源) 「空(無)」の世界への回帰に 他ならないのだから。
ただ、ひたすら、 宇宙のリズムに従った「生き方」こそ、 神の御意思(「天地の摂理」)であって、 その「宿命」に一切逆らうことなく、 素直に受け入れることが、 無難な生き方(次なるステップの契機) という帰結になる。
「人生」に異常に固執し、 (思考オナニーの如く)悩みすぎることは 金輪際、やめなさい。 その大部分が自虐的徒労に過ぎないのだから。 (「空想壁」に浸りすぎるのと同趣旨で) 現実に埋没しすぎるのも、 自滅(不幸)へのルートを 確実に辿っているのである。 よほどの(自虐志向の)マゾヒストという 例外を除き、 くれぐれも、無意識的にせよ、 (程度差はあれ社会的に不可避な 「仕事上の奴隷化」は別論として) 好き好んで「人生の奴隷」とならないように。
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