We passed upon the stair, we spoke of was and when

Although I wasn't there, he said I was his friend

 

階段を上ると奴がいて

ぼくらはしばらく昔の話をした

ぼくはその場にいなかったのに

奴はぼくのことを友達だと言った

 

Which came as some surprise I spoke into his eyes

I thought you died alone a long long time ago

 

それはぼくにとって青天の霹靂だった

ぼくは奴の瞳にこう語りかけた

君ははるか昔にひとりきりで死んだものだと思い込んでいた、と

 

Oh no, not me

I never lost control

You're face to face with the man who sold the world

 

いや、それはおれじゃない

おれの頭もいかれてなかった

お前の目の前にいるのは、ほかならぬ世界を売った男なんだぜ

 

I laughed and shook his hand and made my way back home

I searched for form and land for years and years I roamed

 

ぼくは笑顔を作って奴と握手を交わし、家路を辿った

人影と安らげる場所を探し求めた

休みなくさまよい続けたんだ

 

I gazed a gazley stare at all the millions here

We must have died alone a long long time ago

 

この地でぼくはずっと、数多の人々を眺めていた

ぼくらはきっとはるか昔にひとりきりで死んでいたんだ

 

Who knows? not me

We never lost control

You're face to face with the man who sold the world

 

誰も知るわけがない

少なくともおれは知らない

おれたちの頭もいかれてなかった

お前の目の前にいるのは、ほかならぬ世界を売った男なんだぜ

 

 

 

【参考】

冒頭の歌詞は、William Hughes Mearnsの詩"Antigonish"("The Little Man Who Wasn't There"としても知られる)の次の一説から。

Yesterday, upon the stair,
I met a man who wasn't there!
He wasn't there again today,
Oh how I wish he'd go away!

 

きのう、階段の上で
そこにいなかった男を目撃した!

奴は今日もまたそこにいなかった
ああ、奴がすぐにでも消えてくれれば!

 

また、David Bowieが後に述懐したところによると、

この曲を書いたのは、私がもう一人の自分を探し求めていたからだと思います。自分の人生の生き方や精神状態その他諸々に安らぎを感じられるようになったので、今はたぶんある種の統合性を感じている気がします。私にとってこの歌は、若い時分や自分自身をまだうまくまとめられないときに湧き上がってくる感情を表現したものです。自分が本当は誰なのか、探し続けて見つけ出すしかないのです。

本曲の主人公「ぼく」が出会ったのは、ぼくの別人格やドッペルゲンガーのようなものだと解釈できる。

 

なお、Nirvanaによる同曲の有名なカバーでは、

I gazed a gazley stare at all the millions here

We must have died alone a long long time ago

 

この地でぼくはずっと、数多の人々を眺めていた

ぼくらはきっとはるか昔にひとりきりで死んでいたんだ

の箇所は変更され、

I gazed a gazeless stare
We walked a million hills
I must have died alone a long, long time ago

 

ぼくは目をつむって眺めていた

ぼくらは数多の丘を乗り越えてきた

ぼくはきっとはるか昔にひとりきりで死んでいたんだ

と歌われている。