うちのわんこが亡くなって50日。
喪が明けたので 先週は神社へお参りに行ってきました
うちのわんこと 生きていく中で、1つ 決意していた事があります
『この仔と向き合うことで自分が悲しむことはあってはいけない』
家の中にウェブカメラが置いてあって、常時 様子を録画しているのですが
亡くなった日の動画を見る度に
悲しくて仕方がありません
立つのもままならず、
歩いては寝て、歩いては寝てと
家の中をうろうろしたり
台所の真ん中まで行って
カメラから見えない位置で横になり、そのままずっと・・・・
自分に何かできなかったのか
また 何かできたんじゃないかと
そんなことばかり考えてしまいます
今までは
何かあれば
手を出したり
何かを考えたり
手を打ったり
いろんなことができたのですが
もう何もできないことに、さらに悲しんでしまう
クッシング症候群で、朝も晩も薬を手放せなくなった時も
歯を抜かなくてはいけなくなり、3回も4回も全身麻酔で手術した時も
脱毛症で、こまめに洗う必要ができた時も
カントンで腸が出てしまい、手術を受ける時も
何回も下痢が ひどくて、その度ごとに薬を飲んだり、色々 手を打ったことも
右目が見えなくなった時も
右目がつぶれてしまった時も
南区の眼科専門病院へ通うことになった時も
立つのに難儀するようになって散歩には確実な支えが必要だと思った時も
いよいよ 左目が見えなくなって、視力を完全に失った時も
立ち続けるのがままならず 食事するのもへたり込むようになった時も
肺に水が溜まって半分は覚悟してください と医者に言われた時も
できる限りの努力と
拙い頭で考えて、手を打ったり
生活を変えたり、
道具を買ったり
自分で作ったり
食べ物を変えたり
いろんな事をして、
乗り切ってきたつもりです
なぜなら
この仔はいろんな事を経験するのが 修行
そして
自分は、この仔とともにいろんな事に立ち向かっていくのが 修行
と強く思って
その度に
悲しんでいることに時間を費やしてはいけない。この仔と伴に歩む修行に当てないと。
そんな風に自分を 奮い立たせてきたつもりです。
それができたのは、目の前にあの子がいたからです。
悲しい事は悲しい。
でも、
ただ悲しんでいる事だけでは 修行をサボっていることに他ならない
と思ったからです。
でも、今はもう目の前に居ないから、できることはありません。
でも ふと思いました
目の前にいなくても、
やはり、あの子のために何かをするのが 修行 なのだと
行き詰った時はゼロに戻る
今まで生きてきて 強く持ってきたことです。
それならば
あの子と向き合うことで悲しむことがあってはならない
ここに立ち戻ることにしました
今できることは何か
あの仔のことを思って悲しむ時も、あの仔の幸せを祈ること
具体的には、
御神霊をイメージして天の気があの仔に流れる様に想う事ですが。
なくなった後、天に還ったか どうなのか
その後は分かりません。。
少なくとも あの仔の幸せを祈ることはできる
できる事をしましょう
そこに行き着きました
あの仔の幸せを祈ることが何になるか
結果を得るかどうか分かりません
でも1つだけ言えることは
あの仔と向き合うことで悲しむことがあってはならない から
自分の心の中を変えることができる
これは確実な事実です
カメラに撮ったデータを 削除することもできません
しばらくは置いておくのかもしれません
ただもう
それを見る回数は確実に減っていくと思います。
少なくとも ビデオを見て哀しむよりは
天の気が、あの子に降り注ぐように 祈念して幸せを祈る
それが、
何かに到達する為の道を旅する事
だと思うからです
また、旅を続ける事になりました。