このところ、古典を読み耽っており、ブログをサボった。
で、古典を読んでて実感したことは、智慧に東西の違いなしということである。
以前、人間の自我意識のどうしようもなさについて述べた禅語に
「自屎臭きを覚えず」(『碧巌録』)
(自分のウンコは臭く感じない。
それは同時に他人のウンコだと臭く感じる、ということでもある。
臭気の成分にそんなに違いはないはずなのだが、
自愛はこんな幻覚を生じせしめる。)
とあると書いた。
で、モンテーニュの『エセー』にもこうある。
「われわれがおたがいに加えあう非難の言葉だけではなく、
討論の材料に持ち出されるわれわれの論拠も、
普通はわれわれのほうへはね返ってくるもので、
われわれは自分の武器で自分を刺すことになる。
これについては、古代はわたしにいくつもの重大な例証を残してくれた。
こういう文句が、実に巧みに、適切に、
それを思いついた人によって言われている。
誰にとっても自分の糞はよく匂う」
(『エセー』―意見をかわす技術について。
「よく匂う」は「とても臭い」の意味ではなくて「いいにおいがする」
の意です。為念。)
こちらはエラスムスの『格言集』からの引用だという。
言い争いで腹を立て合うのは、糞の嗅ぎ合いをしているようなものか。
モンテーニュのほうは文中で用いられているので、意味が限定的であるが、
禅僧と人文主義者が似たようなことを言っているのがおもしろい。
新井白石のごとく東西の思想を比べてパクリだなんだの言うのは
愚行だと気づいた。
しかし、どうでもいいが、みんなウンコが好きだなあ。