3-a 映画島の取材旅行 | 蛇のスカート   

3-a 映画島の取材旅行

   「君は良くこんな所に住んでいるなあ。何もないやんけ」

髭男は部屋に入るやいなや感嘆の声を漏らした。実際、ちゃぶ台と本棚以外、何も無い。半ば自慢げに弁解する。

「近くに二十四時間の激安スーパーがあるんで、冷蔵庫は要らないんです。料理しないし、風呂もないからガスもつけてません。テレビはありませんが、僕は見ない主義なんです。でも電話やノートパソコンはありますよ。……それよりバイトの件ですが、何をどうすればいいんですか」

俺と髭男は六畳に腰を下ろし、面と向かって胡座をかく。 髭男はタバコを出して火を付けた。灰皿代わりに台所から皿を取ってきて台に置く。

やがて髭男は落ち着いたのか煙を吐きながら「君、紙はあるか」と切り出して来た。本棚の上にレポート用紙と筆記具があった。契約内容を書くのだろうと予想し、ちゃぶ台の上に紙とペンを用意して置く。男は何やら記入し始めた。

島での映画撮影だったなと、本棚から地図帳を引っ張り出す。出涸らしの茶を捨て、玉露の一番茶を入れた。小まめに書いている手元に、湯飲みを置く。

しばらくして髭男は細い目で振り向いた。

「出来た。仕事のあらましや。俺は『近藤慶』って言うんや。ここに名前と判子をくれ。前金はな、明日の昼にでも配達の途中にここに届くように手配するから」

「書留めですね。畏まりました」 頭の中で、札束が踊る。株の大損で、今は家賃すら払うのが辛い。二十万円に魂を奪われたまま契約書を眺める。

レポート用紙には文字が事務的に書かれてあった。何だか思ったよりも仰々しい。




 雇用契約書

 ① 職種 ルポライター

 ② 報酬 四十万円 (前払い金 二十万円)

 ③ 場所 鹿児島県 奄美諸島の蛇島

 ④ 期間 平成十六年六月から一ヶ月程度。


 (雇用主)近藤慶


  大阪市 東住吉区 田辺 一丁目 **六七*


  電話・FAX 十六*八七六三‐*九八七



  ※なお、仕事中に起きた事故については保障しません。


 (雇用者)氏名


    現住所            電話番号     


確か事件でもあった時に記者が現地に赴いて取材することだ。あの島で事件でもあったのか。しかも注意事項として「仕事中に起きた事故は保障しない」とある。


俺は紙切れを凝視する。職種はルポライター。

ょとして命懸の仕事か。サインをためらっていると、髭男はもう一枚の紙を見せて説明した。

「これは弟の勉に当てた手紙や。映画を邪魔されちゃいかんと、あそこは極端に排他的になっとるねん。何処の馬の骨とも知れん人間が突然やってきたら胡散臭がられ、追い出されるに決まっとる。君があの島でちゃんと生活できるように配慮した、一種の紹介状や」

既にサインするものと決めつけている。生活ぶり見れば金に困っていることは一目瞭然。だが、俺は懐疑的だった。高い報酬にはリスクが付き物。危険と報酬を天秤に掛け、危険の方に傾くのではないかと眉間が歪む。今度は紹介状を眺める。


 拝啓 近藤勉 様


初夏の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。

さて父 近藤租一が五月二八日午後一時三十分、心筋梗塞のため、永眠たしました。七八歳でした。生前は大層お世話になりながら、ご恩がえしもせずに逝ってしまい、まことに申しわけございません。すぐにお知らせをと思いましたが、ご心労をおかけしてはと思い、心ならずも連絡を控えさせていただきました。どうかお許しください。


生前のご好誼を深く感謝し、謹んでお知らせ申しあげます。
                            平成一六年六月一日 近藤慶

  敬具




 髭男は念を押すように、「この紹介状ではな、親父、租一は死んだことになっているけど、実はまだ生きとるんや。でも心臓病で非常に苦しんでいるから、どうなるか分からんわ。勉はどうせ戻って来んやろ。ただ近づくための口実や。これを持って行けば、あいつは酋長であって監督でもあるさかい、あの映画島にすんなりと溶け込めるやろ」