3-b | 蛇のスカート   

3-b

「はあ、でも、少々嫌みったらしい文章ですよ。その映画島ですが、一体どんな映画を製作しているんですか」

髭男はとぼけた口調で、「それが分からんから調べてきて欲しいねん。五十四人の仲間が出し合ったから、資金はあるんや。ふつー、計画してから映画を作るやろうが、連中は計画しながら映画を作ってるんや。もう三年経ったんやが、何の音沙汰もあらへん」

「まだ出来ていないのですか」

「わからへん。とんでもない長編を作るいうても、映画に関して、勉は素人同然や。映像の勉強し取るか、抜け出せんくらい嵌まっとるんかも知れん。きっと毎晩踊っとるやろ」

掴みどころの無い調査を引き受けていいものか。

「近藤さん、僕思うんですけれど、こんな結構な条件ですともっと適切な人がいるのではないですか。本職のルポライターが。求人誌に出せば、応募者が殺到し、優秀な人を選べますよ。僕、自信がありません。やっとたことないですよ」

「はっは、さっきやったやんか。公園で。『大地の踊り、大地の踊り』を。島であれをやりゃええんや。三年ほど前、俺はあの島に行ったことがある。有給休暇を全部使ったんや。とんでもない島やった。でもあの頃から年月経ったから相当変わったやろな。最低でも一ヶ月はおらんとあいつらのしとることは掴めんやろ。この壮絶なルポに耐えられる奴は早々おらんやろ」

髭男はいやらしい目つきをして笑った。その眼差しは、俺とその未開の島を重ね合せて想像しているようだった。俺ならあの島に耐えられるというのか。

「そんな恐ろしいルポ、僕耐えられるでしょうか」

「君なら耐えられる。君には才能がある。この仕事は天分が必要なんや」

近藤は湯飲みに口ひげをつけて啜った後、仰け反った格好でポケットをごそごそし、財布を開けた。拳骨でちゃぶ台どんとを叩いて決心を促す。

「これは誰にでも出来る仕事とちゃうで。言って見りゃ、俺は公園で君をスカウトしたんや。やってみろ。毎日踊れるんやで。奄美大島への飛行機代は前金とは別でやる。これこの通り」髭男はトランプゲームの切り札のように一万円札を四枚、ちゃぶ台に並べた。

息の根が止まる。現金が想像力をかきたてる。

「あ、奄美大島って……、何処ら辺にあるんですか。本土から遠いんですか」

尋ね方が興味を示した感じだったせいか、髭男は更に二万円追加した。

「近い近い。鹿児島のすぐ下や。飛行機でも片道三万円あれば奄美まで余裕やろ。そこの名瀬市には知り合いの漁師がおる。ほれ、これで連れていってもらえや」

髭男は更に気前良く二万円追加し、ちゃぶ台には八万円も並んだ。

住宅ローンに苦しむ男の財布から景気良く金が出るのを見て、逆に怖くなった。

「やけに気前が良いですね。ひょっとして、この島には相当危険が付きまとっているのではないですか」

「ああ、この但し書きか。これはな、君が毒蛇にでも噬まれて死んでしまったら、責任が取れんという意味や。沖縄や奄美の界隈はほんまにハブが多いからなぁ。だから蛇島なんて物騒な呼び名がついたんやろ、はっは」髭男は笑いながら更に一万円追加した。

「可愛い弟の存在が気にはなるが、どうしようもないんや。勤務の詰っとる俺が一ヶ月も仕事を休んで調査する訳にはいかんやろ。なあ、頼むわ」

目の前に九万円並べられ、俺は落ちた。一ヶ月間、島で遊んで四十万。養う女房子供がいるわけでもない。

気合いを入れて叫んだ。

「やります。任せて下さい。ここに地図がありますから、場所を詳しく教えて下さい。三年前は一体どういう状況だったんですか」

「気が利くな。どれどれ、奄美大島、徳之島……。載ってないやんけ。これの拡大図があれば良いんやが。この奄美大島の名瀬市の海岸から出航してな、南に向かって三時間ぐらい行った場所に、問題の島があるんや。もう六月やから暖かいでぇ。泳げるでぇ。五年前俺も漁船をチャーターして行ったんや」

男はあるはずの島の場所に丸い印を付けた。さらに手帳を取り出し、案内してくれる漁師の住所を書き始めた。

「多分、今もあるやろ。勉の一家はな、この蛇島で嫁の恵子さんと息子、娘の四人で住んどる。あと、大金を叩いてまでインディアンの映画を作りに参加した物好きな仲間が一緒や。リアリティを出すために、ほとんど自給自足をやっとる。ありゃぁ日本人やない、インディアンや。でもあれから三年も経ったんや。相当変わっとるやろな。そこで君に『ルポライター』を頼んだんや。はっは」

欲に駆られ、雇用契約書にサインしている間、近藤は「変だ、変だ」と何度も強調した。映画の進展を調査するのかと聞くと、

「いや、島の状況や。特に俺の親族、四人について調べてくるんや」

現金欲しさで、ふんふん頷き、最後に百円判子を押して、近藤に渡した。

「どれどれ……。片山英徳。片山君って言うのか。明日、前金渡すから、さっそく明後日にでもこの蛇島をルポしてや」

近藤は再びペンを握って、右斜め上を見て思い出しながら、知っていることを紙に書き殴り始めた。調査対象である弟家族の四人。

近藤勉(三九歳)、妻の恵子(三六歳)、長女の晶子(一五歳)、長男の翔太(八歳 )。

さらに髭男は絵描き歌でもするかのように円形の島を描き、見慣れぬ亜熱帯系の植物が生えていたと枝葉を足す。N字型の毒蛇を付け加える。中央は山で、西側は崖や岬があったと角のようなものを描き、南側がサンゴ礁の白い浜辺だったと記す。あまりに大雑把なので、島の大きさを問うと、直径が四キロ程度ぐらいだろうと言う。ホテルや海水浴場みたいなリゾート施設はないのかと問うと誰も来ないと笑った。映画製作のため無人島を探した末、蛇島があった。スタッフは五十四人。そのうち四十六人が暮らし始めたと書く。

近藤は、帰り際、保証人か担保を求めてきた。確かに取引相手の状況がこんなのでは、逃げられる不安があるだろう。俺は運転免許証を渡す。

確証を得た近藤は不敵な笑みを浮かべ、残りの金と引き換えに返すと約束した。