4-a 蛇島へ | 蛇のスカート   

4-a 蛇島へ

高速バスの座席を倒し、カーテンを閉める。昨日、髭男がアパートに現れた。あの夜とは一変し、真面目なヘルメットを被った郵便局員に化けていた。現金書留で二十万円を渡され、励ましに肩を叩かれた。その瞬間は舞い上がった。が、時間が経つに連れ、波の荒い海の飛び込むような不安感に襲われた。が、己を鼓舞し、蛇島の情報を入手するため、図書館へ向った。拡大版の地図を見ると本当に存在していた。髭男の書いた通りの丸い円形の島が。

人口七千二千人を擁する奄美大島は、鹿児島から南に三百八十キロも離れており、沖縄本島の半分はあろう程大きい。目的の蛇島は更にそこから南にかなり離れていた。地図上では、奄美諸島からのけ者にされたような場所に孤立した、米粒。道も名称もない。サシで測り直径四キロ、円形をしているということだけ分かった。

高速バスは岡山界隈で休憩所に入った。トイレからバスに戻る際、上空で飛行機が白い線を引いていた。男には「六月二日大阪→奄美大島の飛行機直行」と伝えたことを思い出す。だが領収証を請求されていないし、急ぎの取材旅行でもない。高速バス、フェリーで奄美大島に行けば半額で済む。鹿児島見物のおまけまでつく。もっとも飛行機なら奄美大島にはとっくに着いているだろうが。

眠れない。カーテンを開ける。高速道路のナトリウムランプを反射し、俺の姿が窓に映っている。黒いハットを被り、やつれた顔には刈られていない髭がごま塩のように生えていた。ホームレスのようだ。笑い事ではない。そうなりつつあるのかもしれない。格好だけは出張サラリーマンだが、内面から滲み出る現在の心境は隠せない。ネクタイを外し、海水パンツや下着、食料などが詰まったボストンバッグに入れ、A4の封筒を出す。

失業した俺はどうなるのだろう。もはや山田には頼れないなら、応募者の殺到する求人に挑戦するか、新たなコネを探すか。だが縁故は良いものばかりとは限らない。現に得体の知れないバイトを引き受けた。犯罪の発端はこんな所かもしれない。気がつけば刑務所にいるのかと、末恐ろしくなり、仰け反って何度も溜め息を吐く。六時間もバスで不安を膨らませたせいか、神経衰弱した。持参した封筒を紙袋にして口に当て、呼吸する。薩摩某と書かれた道路標識を通過した。窓の外には目も眩む若葉が大群をなしている。太い緑に包まれている。

正午、大型バスは鹿児島の市街地に入った。バックを抱えて降りる。フェリーは午後五時の出航で、まだ四時間ばかり暇があった。繁華街の天文館でラーメンを食べ、気分転換に城山公園へ登った。急勾配の細い坂道を辿り、展望台へ着くと、霧に包まれた桜島と市街地が眼前に広がっていた。

鹿児島見物も日沈までには終えた。港へ行き、切符を買ってフェリーに乗る。奄美大島までの直通便ではなく、喜界島経由だった。身を屈め、靴を脱いで二等客室に入ると、自分の他、四人しかいない。左手の隅に荷物を置いた。

突き当りの窓の隅で、サングラスの男が胡坐を組んでいた。シャムネコと見紛うクリーム色のスーツで決めている。揉み上げから顎にかけ、威嚇する頬髭を蓄えている。暴力団幹部か。近寄りがたいオーラが発散されている。風邪なのか咳き込んでいた。

やり手の実業家で、高級車を即金で買う客にも見えた。ネクタイの結び目あたりに隙がない。残り二人は学生で親元に帰省しているようだ。薄暗い船室の壁にもたれ、本を読む振りをして男を観察する。どっかり構えたサングラス男は蛇革のカバンから焼酎の小瓶を取り出し、お猪口に入れ、ストレートで飲んだ。脇に赤い花束と大き目の箱があり、そこに手をやる。続いて蛇革の鞄を開け、新聞をとり出し捲る。目を閉じ、天井を見上げていた。新聞を持って立ち上がり、咳をしながら客室を出て行った。

しんみりとした部屋に残された花束と寄贈品のような箱。祝いの式に行くのだろうか。これも何かの縁だ。地元なら何か知っているだろう。蛇島について何でも良いから聞いてみたい。後を追って靴を履き、船室を出た。

バーの香りが漂う休憩室には、おやじたちが群がっていた。衛星放送を見上げながら、数人の男がビールを飲み、談笑していた。髭男も立ったままニュースを見つめている。売店は閉まる寸前で、男はカマボコを買う。金を払うとトイレに入ったようだ。追いかける。男は船室に戻っていく。少し間を置き、客室のドアをくぐると、サングラス男はつまみのチーズかまぼこを弄っていた。ビニールが取れないで格闘している。千載一遇のチャンスに見えた。ボストンバッグから折り畳みナイフを出し、サングラス男の傍に近寄る。

「取れないのですか」 刃を出し、さっと切ってやった。

サングラス男は礼を述べて笑った。何かしら通じるものがあり、直ぐに打ち解けた。

「花束ですね。見舞いにでも行かれるのですか」

「いや、商売の帰りだ」

第一印象がこれで成り立つビジネスマンがいるのか。地元ヤクザの会社だろうか。とにかく、この男が会社のビジネスに行ったのだと分かった。では何の商売をしているのか。

好奇心に胸を膨らませていると、見透かされたかのように、「うちは珍しい商品を扱っているからね」と釘を刺された。ただ、鹿児島市内からの帰りだ、奄美大島の名瀬に住んでいると語った。界隈の人だから詳しいだろうと、蛇島について聴いてみると、男の口が重くなった。黒眼鏡の奥にうっすらと浮かぶ眼の色が、一瞬白く光ったような気がした。

「蛇島? 珍しい名前だね」

「あれ、知らないのですか。無人島で、未開人の映画を作っているらしいですよ」

「ふ~ん、宣伝も聞かないし、無人島とは、さぞ、安上がりの映画なのだろう」

「でしょうね。三年かけて、まだ完成していないらしいですよ」

「ふ~ん、完成しても売れるとは限らないからね。で、君はそこに何か用事があるのかね」

「ええ、まあ、どうなっているのかと……」

言葉を濁すと、男の首は値踏みするかのように前後左右に動いた。頬ひげの掛っていない所が酒で赤く染まっている。

「今はハブが多いから気を付けるが良い」

警告する態度が少し余所余所しく、慎重になったような気がした。これではいかんと俺はバッグから紙コップを取り出し、焼酎を少し頂いてみた。相手は気前良く注いでくれた。話題が出たので、ハブについて尋ねて見ることにした。すると相手はこの手の話が気に入っているらしく、再び饒舌になった。

「ハブとマムシの違いは何だか分かるかね」

「やっぱりハブの方が酷いんですか」

「毒自体はマムシの方が強いが、ハブは体が大きい分、打ち込む毒が大量だ。それにマムシは大人しいがハブは獰猛で、自分より体温の高いものなら何でも飛び掛って行くからね。ハブは胎生ではなく卵だ。卵の中でも既に猛毒を持っている。五年で最低一メートル半には成長するから、二メートル以上のハブは珍しくないよ。夜行性だが、昼間でも気を付けるべきだね。そこらじゅうにとぐろを巻いているから」

男は高音で「くっくっく」と、肩胛骨が寒くなる薄ら笑いを浮かべた。袖をまくり、実際に咬まれたことがあると腕を見せる。水溜りが出来そうなほど肉が抉れている。へこみ具合の酷さは、生死をさ迷ったのだと衝撃を受けた。

男は俺を黙らせた後、思い出したように蛇革のカバンを開けた。栄養ドリンクぐらいの大きさの筒を取り出して見せる。最新のハブ毒吸い取り器だという。性能が抜群に良く、万は下らない所を八千円にまけてやろうと、実演して手を吸い付けた。欲しかったが高いので渋っていると、男はスーツを脱いで畳んだ。ベルトまでが蛇革であったのには肝を抜かされた。てかてか光る蛇のカバンを見つめながら、この男はハブのグッズか、毒吸い取り器を製造し、販売しているのであろうかと察する。

箱の中から「きゅぅん」とか弱い声がしたので、何かいるのか尋ねると、男は箱を開け、茶色い子犬を抱き上げた。頭を撫でながら可愛がる。子犬は髭の頬をぺろぺろ嘗めて応えていた。赤子を扱うようなほほえましい姿を見とれていたが、貸してもらい遊ぶ。

「飽きたら入れといてくれ」

男は仰向けになり、布団を敷いて包まった。子犬は手足をばたつかせている。限がないので俺も寝ることにした。財布を枕にし、横になる。が、揺れる船内でなかなか寝付けない。映画島が近辺の島人に知られていないとは不安だ。だから偵察に行く価値があるのだが、弧島は元来、流人が牢屋の変わりに押し込められた場所であると聞く。映画撮影など娯楽業で、無名ならば単なるアウトロー集団ではないか。そんな無法の輩のはびこる島へ行っても大丈夫なのか……。考えているうちに、いつの間にか意識は消えた。

翌日、太い声の船内放送を目覚ましに起きる。裏街道で進むフェリーは喜界島に到着しようとしていた。明かりを嫌うのかサングラスをつけたまま男は悠々と眠っている。窓の外はみるく色の靄がかかっていた。喜界島からは家族連れが続々と船室に人が押し寄せてきた。がらがらの席が埋まり、今度は窮屈になる。サングラス男は消えていた。

トイレで髭をそった後、自販機でコーラを買おうと思ったが二百円と法外だ。もう少しで到着するから降りてから買おうか。躊躇していると背中から声が飛んできた。

「どうかしたのかね」

後ろを振り返る。サングラスをした男が立っていた。

「ここは高いですねぇ」

サングラス男はポケットから財布を取り出した。これも蛇革だった。コインを自販機に入れた。「好きなのを押しなさい」と言って去る。奢ってくれるとは、良い奴だ、やはり金には困っていないのだろうと呟きながらコーラを飲み干した。

ハッチを開け、ふらっとデッキへ出た。しけた海がうなっていて足元がぐらつく。機嫌が悪そうな朝で、小雨が降っていた。

雨はすぐに止んだ。せっかくだから海を眺めようとデッキを伝う。男がいた。足元に花束と箱を置き、新聞を脇に挟み欄干を掴んでいる。白いスーツが風でばたばた音を立てている。時化た大海原を、感慨深そうに眺めている。サングラスの隙間に見える眉が深刻に歪んでいる。首を下に落とし、渦巻く淵を食い入るように見つめ始める。リストラ自殺を考えている中年男と重なった。近づき、ご馳走様でしたとお礼をいう。

言い訳がましく、「やっぱり都会から島へ行くのは、おかしいですね」

サングラス男は「くっく」と妙な笑いを浮かべた。それは人間の発する音ではなく、七面鳥か何かの鳴き声であった。

「おかしくない。お金はある所にはある、島にだって宝が埋まっているものだ」

「え? 宝島があるのですか」

その意味を考え、じろじろ見る。サングラスと目が合った。男は再び奇妙な笑いをした。

「毒吸い取り器は買う気になったかね」

「八千円ですからねぇ。これはもう、今の俺にとって十日間分の食費ですよ」

男は咳をした後、「くっく」と笑い声を上げる。

「食べ物が優先か。確かにこんなもの、今の状態では役に立たないから、誰も買わないだろうね。でも馬鹿にならない。あれは皆が欲しがる可能性を秘めているのだ」

「どういうことですか」

「誰かがハブを大量に養殖し、本土に持って行ってばら撒いたら、この毒吸い取り器は爆発的に売れるとは思わないかね」

「そ、それは、ヒットするでしょうが……」

悪い冗談だろう。笑顔を作って戸惑っていると、男はハコから子犬を抱き上げた。一緒に花束も手にしている。幾度も「くぅん」と首を動かす犬は、何か喋りたがっている様子で、思わず手を伸ばし、頭をさすった。

突如、サングラス男が花束を海に放り込んだ。知り合いが海難事故で死んだのだろうか。あっけにとられていると、今度は可愛がっていた子犬までも海に放り投げてしまった。子犬は、大海の渦巻く泡に消えて行った。最初から存在していなかったかのように。

「何てことをするんですか!」 非情な行いに叫ぶ。

「捧げものだ」

「でも、めちゃくちゃじゃないですか!」

男は低い声でなだめるように、「賽銭と同じだ。商売には、神の助けが要る。背に腹は代えられない。事業に失敗したら、今度は私が海に飛び込まなければいけない」

腑に落ちなかった。「神頼みですか? 確かに事業は博打でしょうが……。まあ、雇われ人の方が気楽ですね。リストラがありますけど。自殺までは考えませんし」

男は強い意思を押し付けるように断言した。

「君は甘いね。板子一枚、下は地獄。死はすぐそこまで迫っている」

どろどろとした空気が、胸の中に膨らんでくる。男は続けざまに低い声で語った。

「私はよく魚釣りをしながら、商売を考える。釣ろうとしても、なかなか釣れない。用意周到な仕掛けがいる。賢い魚は易々と食い付いて来ない。創意工夫の仕掛けを極めて、やっと釣り上げることができるのだ」

男はスナップを利かせ、ブーメランのように新聞を海に投げ落とした。新聞は大きく翼を広げて舞い落ちていく。男は両手を広げて欄干を掴み、海を覗き込んでいる。

「釣りをしながら、神のことも考える。私は釣ろうとしているのだが、逆に釣られる機会を狙われているのではないかと」

「それは、ちょっと考え過ぎではないですか。それでは死神ですよ」

男は「くっく」と鳴き声を発した。

「その通り。死神なのだ。釣りをしたり、泳ぐのは楽しい。そのうちヨットに乗ったり、スキューバーダイビングをしたくなる。しかしそうやって海に嵌まり込んだ先にあるのは、危険や事故、死だ。この深い海は、強力な磁力を発し、我々を呼び寄せ、殺そうとしているのだ」

溺れて死に掛けたことでもあるのだろうか。男の言葉は重く、強い響きがあった.

石垣島でスノーケルの事故で友人が死んだこともあって、胸に届くものがあった。

「確かにそういう面はありますね」

サングラス男は声を高くフェリーの下で白い渦を巻いている海を指差している。馬鹿らしいと思いながら見る。男は手の平で海の景色を撫でながら、

「この海。まるでハエ取り草だ。芳しい香りでおびき寄せ、一瞬にして仕留め、飲み込んで行く。この渦は大量の唾液か、胃液である。そこに浮かんだ小さな島など……。君が何をしに島へ行くのか知らないが、引き返した方が賢明だろう」

どうやらこの男は俺が蛇島へ行かない方が良い様なことを言っている。だが都会にいても交通事故で死ぬかもしれない。自然が怖いのは当然だが、この男は、勝手な妄想で何倍にも膨らませているようである。 

フェリーは泡をたてながら上下左右に揺れている。既に鹿児島から三百キロ以上離れている。今さら手ぶらで戻れない。島の事情を掴んで来るだけで、残りの二十万円が手に入るのだ。

「用事が済んだら、さっさと大阪に戻りますよ」

「それがいいだろう」

最初の取材相手は、神様はフェリーが難破するのを待っている思想の持ち主で、ハブの情報しか手に入らなかった。もう一人くらい聞きたいものだと客室に戻るが、他に見当たらない。そのうちフェリーは奄美大島の湾に入り、ぶ厚い窓を通して、陸の光景が見えてきた。サングラス男は身支度をし、蛇革のカバンを抱えて客室を出た。