5-a ルリカケス族 | 蛇のスカート   

5-a ルリカケス族

    

赤羽の男は、羊歯の道を登った。腰の辺りまで草木が襲ってくる。湿った枝が折れて横たわっている。足元に気をつけると、紅い花が木の下で仄かに咲いていた。亜熱帯の植物、ヘゴが好奇心をくすぐる。地面に付いている羊歯が、黒い幹の上でしなっている。緑の命が花火を散らし、天高く揺れている。

「動くにゃ!」赤羽の男が突如声を張り上げ、ソテツの側で静止させた。腹の太いソテツは天辺で羊歯の葉を放射状に広げている。視線を黒褐色の茎から、草の茂った根元へと移す。倒木の陰で蛇がとぐろを巻いてる。細い体には暗褐色で雲形のはん紋がついている。三角の頭で、赤い紐のような舌を、出しては引っ込める。

俺の尻は凍りつく。赤羽の男は槍を逆さにした。丸い針金の輪がついている。剣術師のように身構えた。「やぁ!」と掛け声を上げ、突きを食らわすと、一瞬にして頭を輪の中に仕留めた。「気を付けるんだにゃ。今がシーズンなんだにゃ」

頭を固定された蛇は空中でくにゃくにゃ上下運動をして抵抗している。早くもこの時点で島を取材する勇気が萎えた。ルポライターとはかくも危険な職業なのか。

死がそこらじゅうに転がっている。地雷を撤去する兵士のように五感を集中させ、慎重に足を進める。きょろろろろろ。森の奥から野鳥の声が届く。本土と違う森。樹木は真直ぐではなく、よじ曲がっており、二、三本合体している感じがする。視界を遮る人間大のシダ類が、緑色のムカデの大群に思える。

赤羽の背中を追い、森の道を進んでいくと上り坂が酷くなった。草の良く刈られた坂道を進むと階段になった。赤土がコンクリートで固められてある。階段を上ると高くなったので後ろを振り返る。浜の全景が見渡せた。じーじーじー。森で鳥が五月蝿く鳴いている。蛇に気をつけながら上り詰めると、黄色い建物が姿を現した。黄色に囲まれた広場には芝生が張ってあり、砂が混じっている。風に吹かれた紙切れのように、青い蝶がひらひら舞っている。

「ここだにゃ」赤羽の男は立ち止まり、捕まえたハブの息の根を止めようと踏んづけた。

疲れてしゃがみ込む。黄色いテント村。戸が開いている。骨組みは太いドーム型。面白いことに、黄色の住居にはそれぞれ「雑貨屋」、「レストラン」といった一枚板が掛かっていた。観光客が来るわけないし、やはり映画の設定なのか。

リズミカルな機織と、巻きを割る音が聞こえてきた。黄色の家は夕日と一体化し、仄かに燃えており、細長い影がこっちに伸びていた。

磁石を見る。黄色い家は島の南にあり、それもピッタリ真南。島の中腹を開墾して平らげ、家で広場を囲んでいる。芝生で覆った広場に記念碑のような、人間大の石像が立っていた。テント生活三年は長過ぎないか。台風や雨漏りを防ぐため、黄色いビニールシートで覆っているのか。派手な黄色には意味が隠されている気がする。丸いテントには四人は住めそうだ。

開いた窓から観察されている気がした。高く茂ったソテツが森を塞ぎ、鋭い西日が射してくる。手帳を白黒の縞模様に染めた。羽根を被った男女が木陰で仕事をしている。色眼鏡をつけた女がいた。シートに赤や青の羽飾りが並べてある。鳥の羽を絵の具で丁寧に染色している。隣の男が、女王様を祀り立てる様に、うちわで女を扇いでいる。

「あれが酋長ですか」尋ねるとハブを始末し終えた赤羽は「違うにゃ」と笑った。日沈が近い。ポケットをまさぐったが時計が無い。安物だがないと困る。赤羽の男は、海風にさらされた三つの家のうち、真ん中の前で、待つよう言う。紹介状を握り緊め、扉を叩いて入る。その家は「病院・美術館」となっている。奇妙な組み合わせだ。左側の家を見ると「釣具・建設」。その家の前で、白羽の男がカンナで大木を削りながら、こちらを見ている。自然と頬が緩んだ。反対方向では、羽飾りの職人女が歩いていた。手には孔雀を髣髴する扇子を持ち、「雑貨屋・衛生所」と銘打ってある家に入った。その家の前では若い女が座って洗濯をしていた。ポニーテールに白い羽冠を付けた女もこっちを向き、白い歯を出して笑っている。

船では黄色い家は三つに見えたが、向こうにも三つあった。六つの家はサークルを描いている。森を壁にした三つの家を観察する。右側は「レストラン・市場」。確かにテーブルが表に張り出してある。真ん中は「踊り場・劇場」。建設を途中で放棄したような家で、ドアが無く、がらんどう。左端は「倉庫・ライブラリー」。荷上げした木炭の箱などを入れていた。

家々の隙間を埋めるように、緑のネットが覆われた畑があった。砂浜から一丈伸び上がっていた道は、「病院・美術館」と「雑貨屋・衛生所」の間に繋がっていた。俺は戻りたい気持ちに引かれ、そこに戻り、再び海を見下ろす。展望台からの光景に胸を打つ。夕陽は海を赤く染め、幾重もの波が泡を立て、渚を打ち付けている。

ここで何をしているのだ。映画で臨時にテントを建てた感じではない。がっちりと柱を根に落とし、生活の匂いで満ちている。インディアンの役というより、そのものである。本当に映画を作っていたのか。四週間とはいえ、あの態度からして調査は難航しそうだ。仲間割れしているようだし、インディアンに混じって聞き込みに専念するのが賢明だろう。

赤羽の男がなかなか戻ってこない。広場に向かって歩く。肥えた地味に芝生が根付き、白い砂が混ざって浮かび上がっている。芝生は本土から、砂は海岸から運んで被せたのだろう。長靴を脱ぎ、裸足で砂をならし、芝生の頭を押さえる。極め細やかな砂も踏み心地が良い。ただ広場の中心が気になった。石膏で固められた蛇の化け物が、海に向かって立っている。目を凝らす。蛇の顔をした像は腹の真ん中で髑髏を抱え、猛獣の足で立っている。その足元には三方があり、台には干物が御供えてあった。毒蛇を神様に仕立て祀り上げているのか。映画のセットなら肯ける。でないならカルト集団か。訝しがっていると、赤羽が戻ってきた。

「あわあわ、あわあわ、酋長が呼んでおられる。入ってよろしい」

好奇心を膨らませ、真ん中の家に向かう。「病院・美術館」の他、一回り小さな表札が掛かってある。

【ルリカケス族 酋長 ケイコ】

壁には幾つもの画が貼ってあった。半裸で腰を崩した女がうっとりとしている画が目に付いた。黒い巨大な渦がカタツムリを破壊しているような混沌としたのもある。大蜘蛛のような巻貝も掛かっており、動物を象った彫刻品が置かれていた。

半裸画の掛かった壁をよく見ると、取っ手が付いていた。ドアは二つある。この丸い家の構造はテントウ虫の形で、三箇所の仕切りによって出来ているのではないか。鼻で笑って両方ノックした。声がした扉を引張る。

薄暗い空洞にキャンドルライトが揺れている。香の匂いがすうっと鼻腔をつく。段差を踏み外したように、頭がくらっとした。網戸が開いているのに蒸し暑い。香木の煙が霞をかけるように伸びてくる。テーブルに塗られたニスが、鈍い光を放っている。荒い造りのテーブルが、侵入者を塞ぐように縦長に延びている。三本の蝋燭が三角に配置され、鳥の形をした香炉を中心においている。

テーブルの奥に女が座っていた。ゆらめく蝋燭の炎で、ケイコの容姿が仄かに浮かんでいる。ブルーや瑠璃の大きな羽飾りが、ウサギの耳のように飾ってある。黒髪は束ねられ、前に垂れ下がっている。昆虫の触覚、あるいは黒い蛇のようにぶら下がっていた。顔料はなく、肌が白い気がした。茶色い地味な服を着ていた。風通しが良さそうで、大島紬に似ている。琥珀のペンダントが首にぶら下がっている。

丁寧に挨拶をし、出入口に近い場所にあった椅子にちょこんと座った。香木が煙を立て、魂の抜ける雰囲気を醸し出している。年は三六だと聞いているのに、俺より若く見えた。日中はあまり外出しないのか、白い蘭を思わせる。生き生きとした瞳は少女のもので、その眼差しを浴びると全てを見透かされた気がした。

しばらく間があった。ケイコは厳しい視線を手紙に落としている。

やがてケイコの表情は緩み、手紙でひらひらと白い頬を仰ぎはじめた。

ケイコは溜め息交じりに、

「あの義父さん、ついに死んだの。あの人、会わず仕舞いね。親不孝だけれど、人のこと言えないわ。私も親の死に目に会えないのかな」

力のある声だった。手紙はケイコにとっても痛い所をついていたらしい。

「あのぅ、勉さんは何処にいらっしゃるんですか」

「西にいるわ。ただの山猿になってね。畜生よ!」

ケイコは涼しい目をし、語尾を強めた。軽蔑と怒りに、嘲笑が混じっている。

「はぁ、僕良く分からないんです。みんな勉さんのことを言うと挑発的になるんです。でも大阪にいる慶さんは、彼がこの蛇島の酋長だと言ってましたよ」

「それは三年前の話よ。今はあの時と全然状況が違うわ。昔は大酋長でも、今はけだものだから、相手にしないほうが良いのよ。争いになるわ」

「あ、争っているんですか!そういえば勉さんはジャガー族の酋長だとか。ひょっとして夫婦で争っているんですか」

「なかなか鋭いじゃない。そう、この島は今仲間割れした状態なの。まだ殺し合いはしていないけれど、もうすぐ血の雨が降るかもしれないわ」

唾を飲み、その表情を観察した。小さな口は引き締まっており、戦いの決意が窺えた。

「何が原因で争うわけですか」

尋ねると、女酋長は二十センチぐらいのキセルをくわえ、吹かし始めた。

「それは教えられないわ。島の秘密が絡んでいるからね。知ったら最後、あなたは生きて返れないわね」ケイコの瞳は熱線を帯びていた。命にかかわる秘密が眠っているのか。

慌てて話の矛先を変える。

「ところでケイコさん、いや、酋長、僕、インディアンになろうかと思っているんです。というより、なろうかどうか今迷っているんです。一ヶ月間ほど体験させて頂けませんか」

ケイコは冷淡な口調で、「それは無理ね。あなたは会員ではないし、ここに住んでも私たちには何のメリットもない。秘密だけ知られて逃げられたら堪らないからね。意志も弱そうだし」

「いえ、大丈夫です。何でもやります」

「帰りなさい。向こうにまだ未練があるんでしょ。顔つき見れば分かるわよ」

急所を突かれ、返す言葉がない。