19-c | 蛇のスカート   

19-c


じい様が「ハブ族の新入りだ」と紹介する。

「物好きな奴もおるねん」

勉は力なく答え、薄ら笑いを浮かべた。精気がない。

「今日は暑いが、大丈夫かの」

じい様が心配そうに言うと、

「池じい、頭がふらふらする。もう長くないかも知れん」

「何言うとる。残されたわしらや晶子ちゃんはどうなるんじゃ」

勉は目やにが浮かんだ顔を上げた。長い髪は乱れ、無精ひげが生えている。紫の鉢巻をした土色の顔を観察すると、やはり兄弟だ。あの郵便屋の面影がある。この男が噂の近藤勉だ。が、想像していた半分も覇気がない。

蒸し暑さに耐え切れなかったのか、護衛隊長と池じいは「また来る」と部屋を出た。

勉は枯れた木のような手の平を差し出し、「草を見せてくれ」

ポリ袋を渡すと、勉は棚から小切手と領収書の束を取り出した。天秤を用意し、俺の持ってきたポリ袋を量りはじめる。

「百グラムか。相場が一グラム一万円として、五千円に勉強してもらっているさかい、これで五十万円や」

近藤勉は息切れをしながら、小切手と領収書を千切った。手際よく五十万と書き、はあっと判子に息を吹きかけて押し、

「これを先生に渡すんや」

こんな葉っぱに価値があるのか疑問に思いながら胸ポケットにしまう。知らぬ間にドラッグの売人になっている事実に恐怖を覚えた。勉は天秤を出す時、カチャカチャと音を立ており、変だなと思ったが、仕舞う手は、やはり震えていた。

それにしても五十万とは大金だ。仲間全員で使用すれば量も増えるから当然なのだろうが、払えるのか。あまり突っ込んで事情を聞くとロクなことはないと思い、嵩張った手紙を三通出し、順番に説明する。

「会長、ここに手紙が三通ありますが、まずこれは大阪のお兄様から言付かったものです」

勉は怒ったように吐き捨てた。

「あの堅物の兄貴は、裏切り者やねん」

「でもお兄様は蛇島での暮らしを思い浮かべ、夜な夜な踊っていますよ。恥もなく公園で」

「安定した職にしがみ付いてやがる。何もかも捨てて島に来るのが怖いんや。あんな兄貴、リストラか病気にでもなっちまえば良いんや」

投げやりなことを言いながら、勉は手紙を開けた。とたんに「おお! あの元気な親父が死んだのかよ~」と酷く驚きはじめた。口を開け、天井を向いたまま、微動だにしない。男は放心状態になっていた。兄が気軽に書いた嘘が、弱っている弟にはカウンターパンチのごとく効いたようだ。発狂するのではないかと、心配になっていると、勉は四次元方程式でも解くような難しい顔に変わり、

「おお、背中から聞こえてくるようや。この親不孝もんが、勝手に蒸発しやがって、こんな所で何をしとるんやって」

「考えすぎじゃないですか」

「わいは霊感が鋭いんや。最近おかしいとは思ったんやが、やっぱし、親父のせいやったんか。死ぬ直前まで気にしとったやろうから、ああ~、憑かれてしもうたんや~。それで頭がふらふらしてしもうて……」

近藤勉は頭を抱え、怯えていた。不安は次第に怒りに転じ、俺に八つ当たりし始めた。

「もう何週間もたっとるやんけ! 何で早よう来んかったんや!」

「そ、それが、お兄様に言われ、会長に面会する為に、この島に遥遥やって来たわけですがルリカケス族に捕まりまして」

勉は細い目を押し広げ、「捕まっただぁ? 遊んどったんやないか?」

「い、いえ、まあ」

今さら叱っても仕方がないと思ったのか、勉の怒りは収まった。

「まあええか。あんたに責任はない。引き止めたケイコのせいや。あの女は能天気で、自分は大地の女神であると心底信じてんやで。へっへ、ただのお嬢様やんけ。ままごとや」

変わりやすい性格に驚きながらも、神妙にうなずく。

「うちの酋長も現実逃避だとか言っていました。自分もあの、ぬるま湯に耐えられなくて、ハブ族の所へ逃げ出したわけですが、その飛び出す直前、ひょんなことに、本土から唐沢なる病院理事長の秘書がやって来まして」

「これを預かってきました」

二通目を差し出す。

「何や」

疲れ切った表情で勉が紙を取った。目を通す。想像していたより長たらしくて色々と書かれてあるようだ。勉は一瞬、鬼の顔に変貌したが、読んているうちに、鼻で笑い、次第に穏やかになると、「親を看取りに行く……晶子を渡せ、だってよ……」

「ダメですか」

「当たり前や。俺が翔太を頂くっていったら、ケイコは『ダメだ』って言うやろが。それと一緒や。……で、その秘書はこの島で俺の返事を待っとるんか?」

「さあ、それは……」

誤魔化しながら、三通目の手紙を出すのを躊躇した。

「先生は何や言うとった?」

勉の視線が三つ目の手紙に注がれていた。仕方なしに渡すと、勉は真剣な表情で読み始めた。手紙を読んだ勉は渋い表情を浮かべて溜息をついた。

「今から会議をやるんけ」

「本当に、唐沢という男を殺してしまうのですか」

「分からん。そやが、そいつを放って置けば、しつこく迫ってくるやろう。草の事が明るみに出たら、ヤバイやんけ」

「しかし会長。唐沢なる人物は、南に逗留しているわけですから、ルリカケス族が立ちはだかるかも知れませんよ。現にジャガー族を『畜生』呼ばわりして嫌い、槍を持って練習していましたし……」

勉は不敵な笑みを浮かべて言葉を遮った。

「畜生か。その割には手に負えない仲間ばかりを押し付けてくるやんけ。都合の良い女や。独善的や。自分の気に入らん奴は追い出すか、見殺しにするつもりなんや」

「そうかもしれませんね」

「ケイコは何してた」

「ほとんど毎日踊っています」

「へっへ、相変わらずやな。翔太は強い子供になってたか」

母親が太鼓を叩き、それに合わせて踊っている姿が脳裏を過ぎる。

「踊っていました」

「情けねぇ。男のカスになるやろう。男はふつう、暴力で、相手を支配しようとする生き物やねん。なあ、あんたもそう思うやろ」

勉は人情味のある喋りで、同調を求めてきた。

「そうかもしれませんが、あの山田兄弟は危険ではないですか」

不満をぶちまくと、勉気は頭を落として溜息を吐き始いた。

「力を誇示したがっているだけで、あの兄弟も実は臆病なんや。全体として血の気の荒いから、草でもやらんと統制が難しいねん。肉の食いすぎか知らんが、心臓や頭が病気になって、気分まで弱くなっちまった」

「本当に大丈夫ですか。東京へ戻って、一度病院で治療を受けられるのは如何でしょうか」

罵倒されるのを覚悟で言ったが、勉は意外にも、

「夜中苦しくなって、救急車を呼びたいことが何度もあった。収まれば今のままでええと思う。草も体に悪いんやろうが、手術が必要な状態かも知れん。俺は今、酋長を辞めたいと思っとるんや。そやが、言い出した張本人やからな。これだけはどうしても言い出せんのや」

本音に後悔が混じっていた。

「辞めたいのですか。そういえば、会長は以前、作家だったと聞きましたが」

勉は吐き出すように、

「ああそうや。そやが作家なんて、まともな仕事やない。書けば書くほど頭がおかしくなっちまう。自然に戻って農業でもして暮らすのが一番健全やろ。そう考えてインディアンをやってたんやが、一筋縄にはいかん」

「映画撮影はどうなったのですか。表にはアカデミー賞みたいなタイトルがありましたが」

勉はへらへら笑って、「今、上演されて、皆で見とるやんけ。なんや、あんたの格好は。唐沢がのこのこ来て島が揺れる。どうなるやろか。その先は誰にも分からん。とりあえず、会議や」

近藤勉は左胸に手を当てたたま、よろめきながら立ち上がった