21-c | 蛇のスカート   

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ボソッと漏らした言葉に驚いた。

「え! 藤本さんだったのですか」

「面白いだろ。最初は映画化を志すほどロマンを求めていたからなぁ。ユカタン半島まで遺跡を発掘しに行ったことがあるが、全く、考古学者など銭儲けの墓掘り人だよ。事実から仮説を組み立てて認識する。発掘して調べるのだが、骸骨の何処にロマンがある。たとえ骸骨に肉付けしても、人形の領域を出ない。真のロマンとは大昔の人間が何を感じ、どう行動していたのか知ることだ。演じてみなけりゃダメだ。そうして俺はこうなった」

「へー、それで考古学者から役者に転向ですか」

藤本の咥える紙束はちびていた。唇は美味しさで震えており、目から涙が潤んでいる。

「俺も昔、考古学のロマンは凄い遺跡でも発掘して執筆し、テレビ出演することだと思っていた。与那国島にある巨大海底遺跡。一万年以上大昔前、我々と同じ遺伝子を持った人々がどんな生活をしていたのか。今では温暖化で水位が上昇しているが、あの遺跡が顔を出していた頃は寒かった。新生代第四紀の氷河時代は海が氷結し、水位が下がっていた。ベーリング海峡も北東シベリアと陸続きだった。アジアの狩猟民族はマンモスなどを追いながら日本やアメリカ大陸に散らばって行った。それが彼らだ」

藤本は壁の写真を指差した。

「見てくれ。アメリカ先住民だ。あの顔つき。我々と同じ蒙古人種。血清タンパク中の遺伝子分析によると、古代日本人の遺伝子は、インディアン、ポリネシア、中国江南人と同一であると判明している。インディアンのズニ族の言語は、日本語と同音同義語が多いらしい。例えば、『厳つい』のことを『イカチー』、『辛い』のことを『カリー』、『大きい』のことを『オキー』と言うらしい」

虹の羽飾りを揺らす教授の説得には力があった。

「では、与那国島の海底遺跡もインディアンの祖先に関係するのですか」

「さあね。もうどうでも良いことだ。俺は墓堀人を辞めた。君は死んだ後、家や骨を拾って組み立ててもらいたいかね。アホくさいだろ。もっとロマンある人生を体験しようじゃないか。遺伝子を目覚めさせるのだよ。遺伝子には大量の経験が蓄積されている。俺は自然に身を任せ、インディアンになってみることにした」

藤本は火をもみ消し、僅かに残った大麻を大事そうに木箱に収めた。

「これが面白い。荒唐無稽な夢ばかり見るようになった。ワシのような鳥に化けたり、ミミズのような虫にさえなっている。昼間ですら、何かしら夢を見ている心地だ。本を読んだり、映画を観たりするのが馬鹿らしくなってくるくらい」

マリファナを吸えばおかしくなるだろう。

「ただこの島では当初、映画を作る予定ではなかったのですか。あの映画はどうなったんですか」

藤本は「映画か」と横臥し、羽飾りを外した。頭の天辺は薄くなっている。

「やろうと思えば出来たし、最初はやるつもりだった。特に君のボスは、金になると意気込んでいたね。君のその格好、靴やズボン、帽子までわざわざ全部蛇革で作った。悪役を演じるつもりだったんだろ。船で沢山の獣を運び、狩りが出来るようにした。俺たちも東西南北に赤黒黄白の集落を作り、衣装や小道具が整えた。だが、やらんかった」

「何でですか」

藤本は眠そうな声で、

「怖くなったんだ。シナリオ的に面白過ぎたから。映画を作って大ヒットしたらどうなる。生活が台無しになる。大自然での暮らしが、刑務所暮らしだ」

杞憂だろうと思いながら内容が気になる。

「どんなシナリオだったのですか」

「異質なもの同士の激突だ。東京で生活していた男が、嵐のためインディアン島に漂流するという話。男は船がなく、島から出られない。仕方ないので友好的なルリカケス族に混じって踊りながら生活しているうちに、他の三部族のことを知る。男は島の抗争に巻き込まれ、命を狙われるという筋書きだ」

俺は話に既視感を覚えた。

「藤本さん、それ、現実に起こっていますよ。自分は何とか助かりましたが、そういえば、唐沢という秘書が生け捕りになるという話を聞きましたか」

「聞いた」

「場合によって、殺されると言うことはあり得ますか」

藤本は体を起こし、胡坐を組んだ。襲い掛かるほど目をギラつかせ、

「それは十分にあり得る。というより、それが映画のストーリーだ。迷い込んだその東京の男を、白い家で犠牲にする。人身供犠は神に近づく最高の儀式になっている。実際、古代アメリカでは何十万人もの生贄の心臓が捧げられた。映画では危ない所でルリカケス族が救う。正義が勝たないと受け入れられないからね。現実はどうかな。君のボスが麻薬で部族を操っているし、ピストルで脅すことも出来る。最後の一線を踏み越えるかもしれん」

平然として言う藤本に苛立った。

「藤本さんはそれでいいのですか。この島に正義はないんですか」 

「正義ね」藤本は薄ら笑いを浮かべ、

「あるけれど、種類が違うんだろうね。倫理学にボートの理論がある。救命ボートの定員は決まっている。皆が乗れない。だからリストラするわけで、これが現実だ。自分が降りてやるから、代わりに乗れとは誰も言わない。博士号とか切符があっても乗れない場合がある。俺はたまたま担当教授に力があって、運よく大学のボートに乗れた。でないと、食い詰めて高校のボートにでも割り込んだだろう。その分一人押しのけられる。俺はそのボートに乗って、高校生に民主主義や正義を語る。俺に押し退けられた者は正義を語る前に、別の人をボートから引き摺り下ろして乗らねばならない。全員乗れないのが現実だ。全員乗れるようにすべきだと語る者は、何で人を殺してはいけないのか答えられない」

藤本の顔に皺が刻まれた。切羽詰っている。俺は楽観的に、

「一応、正義はあるのではないですか。現実には殺してやりたいほど憎くても、殺せば死刑になるから、殺さないとか。でも何で殺しちゃいけないんでしょうかね」

「俺は六十過ぎだがまだ死にたくない。俺を死に追い詰める者があれば殺すだろう。殺すほど追い詰められていないから人を殺してはいけない、これが俺の答えだ。まったく甘かったよ。大学教授に踏ん反り返っていた間、俺は世の中を甘く見ていた。厳しい競争に勝ってボートに乗ったわけだから、自分で自分を正当化できた。努力しないのが悪いのだとか、自分なりの正義があったわけだ。だが俺の正義は俺だけもの、俺と同じ側にいる者のものでしかなかった。違うかね……。ボートが丸ごと沈没する時代だ。今まで以上に突き落としあうだろう。残った者が正義を語るが、人間味が薄いね。昔は酷い戦争に遭って色々考えたのだろうけれど、今は健康や豊かさが当たり前、ボートに乗れないのは頭の悪い奴。同情するにしても、見下す態度。弱みを見せたら、つけ込まれて落とされるだけ。虚勢を張っていないといけない。もう厭になったよ、年をとり過ぎて、情に脆くなった。女房に死なれ、強烈に孤独感の襲われたよ。ああ、あの時、突き落とされたんだろうね。ああ、死を意識するようになった。定年まで大学にいる気力も無くて、譲ってやった。子供でもいたら違ったかもね。やはり、長年連れ添った女房に死なれたのが痛かった……」

藤本は熱くなり、次に弱弱しくなり、最後には鼻をすすり始めた。

胸を熱くして涙を流している。俺は三十年後の自分を見た気がした。

騙し蹴落としあう世界。勝ち残った者でさえ、孤独や虚しさと闘う。勝ち犬も、寄る年には勝てない。俺はそっと背中を抱いた。