独身の頃は暇を見つけては長期にわたって海外へ旅行することがよくあったのだけれど,
結婚し子供をもうけてから,
めっぽうそういう機会がなくなっていた。
どうしても元々持っている冒険心に収まりが付かず,
夫と母を説得し,
子供を産んで5年くらい経った頃の30代の半ばに
ニューヨークに10日ばかり滞在した。
ひさしぶりのため,外国の治安が心配だったので,
人生初のホームスティを経験した。
ホームスティは,
十代の若者達のためで,
30代のミセス向けでないのは実経験から学んだ教訓ですが,
今回私が言いたいのは,
その話題ではなく,
ニューヨークのバスケット試合の観戦場所でも有名な,Madison Square Gardenの真ん前にあるペンシルベニアホテル内にある語学学校での出来事。
語学学校の最初のレベル分けで,私は上位クラスに入れたのだけれど,
そこでの授業は議論形式のハイレベルのものだった。
そこにいた学生は.20人程度で,
出身国はほぼ全部異なっていた,まるで世界を凝縮した教室だった。
アジアからはもちろん韓国の方も中国の方もいたし,アフリカや中東の国,北欧の国。 とにかく国籍は皆バラバラ。
議論に際してはその人の国民性がよく出ていて,周囲との和を重んじる
慎ましい日本人なんかは,黙っていたらすぐ餌食にされそうな場所だった。
だから積極的に発言せざるを得なかったし,
よく分からないような質問をふっかけられても,
どうにかこうにかして反応していかねばならなかった。
それは英語の運用能力以前に,
いかに普段日常生活を観察し頭を使って考えているかを問われるようなことだった。
今現在,わたくしが日本で暮らしている間は,
蟹工船に乗り,自由時間はほとんど無いのですが,
そういう面倒さからは守られて暮らしているわけです。
つまり訳の分からないような質問攻めで苦労させられることはあまりないのです。
内田先生がスイスのラジオ曲から受けている質問の内容は,
そのことを思い出させてくれるものです。
下をクリック下さい。↓
こういう内容が語れないと,
海外ではある程度の意識を持った方々との交流は出来ないということになります。
だから,挨拶や買い物が出来たり,なにかトラブルがあったときに対応できたりするような簡単なことではなくて,
もっと高度なこと,
社会をよく見て観察しそれを自分の言葉で述べられるようになることが要求されるわけです。
それは日本語ですらとても難しいこと。(以下内容を一部引用抜粋)
・戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
・個人主義は日本では敵と認定されたのですか?
・民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
私が読んだものの中で、日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう?
・意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?
この質問に君たちは答えられますか?
英語の上手い使い手は,
こういうこともさらりと言える人なんだよね。
いい大人でも難しいのでは?
それこそ,大学の教授だってまともにこたえられるのか分からないわ。
言語運用能力の向上って,
どういうことか,
わかっているのかしらと,
お空の遠くを眺めている私。