先週行われた体育祭の振替休日で,
世間様が仕事の時分に休みなのが久しぶりで,
ちょっと嬉しい気分でここに来ている。
こちらの体育祭には,僕たちの学校にはなかった「フォークダンス」という珍しい演目が3年生のみにあり,
3年生担当なので,わたしも参加した。
異次元の感覚ってこんな感じなのかもね。
未だに新鮮な体験をしておりまする。
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先日,大津先生が「学習英文法を見直したい」という研究社から出版されたご著書で,JACET賞を受賞された。
こちらの内容は,2011年に慶應義塾大学で行われたシンポジウムでの様子と,英語教育に従事する専門家が何名か寄稿している。
英語教育関連の学会は小学校から大学まで少人数の団体も含めれば,相当な数があるが,それぞれの団体がそれぞれの主張,利害関係,金銭的なものも含めたものが,けん制し合い上手く機能していた時代からそうではなくなってきたことから,変な英語教育の方向,あぶない主張がまかり通るようになったのではないだろうか。
世の中は網の目のような複雑な構造で成り立ち,うまく機能するために皆が働きかけているもの。
それまで保たれていた均衡が一気に崩れ,
一つの団体の見方,考えに対して,誰も「それって,ちょっとおかしいのではないか?」という人や団体を全部無視してそぎ落とした結果,とんでもない方向へ進んでしまったのではないかと,私も思っている。
受賞に際して,先生が述べられた内容が,大津研Blog に書かれている。
以下,私が心に残った部分を抜粋させていただく,
(本文内容の途中から)
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MITで学位取得後の80年代、JACETの大会には毎年のように参加しました。しかし、当時のJACETの活動は長老の先生がたが先導されており、本来、学会活動を支えるべき学部生や院生、それに、若手教員たちは運営の下働きをしている姿が目立ちました。その状況に危機感を覚えたわたくしは若手を刺激すべく、数年続けて、ワークショップなどを企画し、若手の積極的参加を促しましたが、多くの若手の参加は得られたものの、自ら、学会の在り方に対して意見を述べる若手は育ちませんでした。
そうした状況と対照的であったのが、日本認知科学会や日本英語学会でした。わたくしは国内での学会活動の拠点をそちらに移し、認知科学会では会長を、英語学会では副会長を務めました。
その後、日本の英語教育が妙な方向へ動き出す(わたくしたちの認識では「破綻」へとまっしぐらに向かう)なか、JACETの一部地方支部に若手を中心とした新たな動きがあることを知り、とても心強く感じました。
そんななかでの今回の受賞はこのうえなくうれしい。
JACETに対する、わたくしなりの考えを率直に述べさせていただくと、今後、JACETは体制を支える学会から、英語教育を健全ではない方向に向かわせようとする力と闘う学会へと脱皮していただきたい。そのような努力に対してはわたくしも及ばずながら力になりたいと思います。
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(以下は私の文)
先生が,「闘う学会」になってほしいと言われたことは,
英語教育関係者に,もっとしっかりしろ!と,
どうして別の分野の専門家が出てこないと分からないのか!
情けないにもほどがある!と,
ある人はその場だけで瞬時に出てきた言葉だと思ったかもしれないが,
先生にとっては,15年以上前からずっと闘ってこられた怒りの叫びを含む,万感の思いだったのではないか。
そうまでしないと,論理が破綻した,だいこん役者達ばかりが美味しい思いで小躍りするような危険きわまりない状況を打破できないからなんだと思う。
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私自身も,異なった生活環境の中にいながら,目の前の子供達の英語力を限られた時間と場所の中で最大限伸ばして武器となるようにしてあげたいし,そのために相当な時間を費やしているのだけれども,
中にいながら,危機感を感じている点で大津先生と私は合致する。そこに私は惹かれているのだと思う。
同じ英語教育関係者の中には,
「大手の日本の企業,○○銀行(都銀)でも.優秀な外国人を多く採用していて,そういった中でこの子供達も英語の力をつけて対等に戦えるようにしないとならない。」?(言っている本人は論理的な飛躍があるとは気づかないし,外国人のほとんどが中国や韓国といった同じアジア人なのに変だなぁと思われるような内容なんだけれど)っというようなことをおっしゃって,
どこか誰かが述べていたことをテープレコーダーのように,
ただ周囲や子供達に述べる思考停止で紋切り型の現場の方々があまりにも多いと感じている。
自浄作用が出来ないくらいの団体なのであれば,
他分野のもっと高尚で知的な人々に入っていただくより仕方ない。
自身の愚かさにあまりにも気づかない盲目さを打破してもらう。
中に入いると,
何が正しくて何が間違っているかすらわからなくなる。
わたしにはそれが悪の元凶に思えてならない。
これがハンナの言う,悪の陳腐さ,凡庸さでなくてなんであろうか。
悪は「根源的」ではなく,深いものでも悪魔的なものでもなく,菌のように表面にはびこりわたるからこそ,全世界を廃墟にしうる
ハンナの言うとおりに私には見えるし聞こえているんだよね。
結局何が言いたいかというと,
大津先生が受賞されたことで,流れが変わることを切に願っている。
JACETには全然関わっていないのだけれども,
JACETを見直している一人。感謝申し上げる。