NHKの視点論点でアーレントに関するフェリス女学院大学の矢野久美子さんの文 が興味深かった。
それまでは,ハンナ・アーレントは名前だけは知っていたが,
特に彼女に興味があったわけではなく,詳しく知ろうとも思わなかったのだけれども,
50年以上も前の大論争で,
彼女が勇気をもって訴えたことにより,彼女自身も大変苦しい思いをされていたこと。
彼女の言う「悪の凡庸性」は,できるだけ快適に安全に知的に生きたいと思う人たちにとって,ある意味知っておくべき真理だ。
先見の明があり,大変に興味深く好きになった。
ハンナはユダヤ人で,ナチスの蛮行に対しては当事者としての怒りと悲しみを感じていたに違いない。
ナチス政権下の官僚であるアドルフ・アイヒマンがイスラエル諜報機関に逮捕され,彼の裁判を傍聴する際,同胞達に対する虐待と殺戮に対し酷い怒りを持ってその席に着いたと思う。
傍聴席で,ナチスが,ユダヤ人を大量殺戮場へ搬送する際に,
ユダヤ人リーダー達がその効率をはかるため,
ユダヤ人のリストを作成したとアドルフが供述したことや,
ナチスの中に重要なポストを与えられたユダヤ人リーダーがいたことを知ることとなる。
また,最初,アドルフ自身は何か恐ろしい怪物のような悪魔の様相した人物が連想されたが,彼が紋切り型の決まり文句や官僚用語を繰り返し,
誰かの立場に立って話をすることの欠如,自身で思考することの欠如をした,ただの官僚であることがわかり,彼女はそれをレポートのほんの数行に報告した。
その当時,彼女の述べたかったことはそういうことだけではなかったと思うが,
ユダヤ人社会では,ハンナがナチスの蛮行はユダヤ人のせいでもあるかのように述べたとして,ハンナを裏切り者扱いし,彼女は,実質,ユダヤ人社会から追われてしまう。
ハンナは,悪は「根源的」ではなく,深いものでも悪魔的なものでもなく,菌のように表面にはびこりわたるからこそ,全世界を廃墟にしうる と言う。
「悪者の敵とならなければ善人の味方になり得ない。」は,日常生活の中で常々私も思ったり感じたりするけれども,
悪者と善人の線引きは,所属した部署や組織,どうしょうもない社会的な階層だけで説明が付かず,またその取り巻きの人々のこと。何気ないことが極悪で非道な結果をもたらしかねないこと。情報の交錯,勘違い等も。
弱者と言われる人の中にも,狡猾に善人をおとしめようとする人もいるし,
逆に正反対の立場にいるであろう人々の中に,善人がいたりする場合もあり,
明確な一つの答えなどない。
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今日は,獨協大学で4人組称する会が催される予定だけれども,英語教育界だって,ハンナのそれと全く同じなのではないか。
(私からの応援メッセージ)
私は,大津先生をはじめ,玖美子ねーさん,ロッカー兆史,江利川氏を応援しています。特に玖美子ねーさんのことを誇らしくすごく楽しみにしてます。
新刊の中の玖美子ねーさんと内田樹先生との対談も,楽しみです。
ずっと前から,内田先生の文章に惹き付けられている私にとっては早速手に入れたい書籍です。
講演もきっと成功するはず,楽しみに待っています!