二週間くらい前に,
わたくしめの今の学校に,
急に以前の男子校で受け持っていた卒業生が訪ねて来た。
試験前ということもあり忙しく手が離せなかったため、
生徒が放課になる頃にまた来てほしいと事務に伝言を伝えてもらったのだが,
その日は七時半くらい(いつも帰りが大体このくらい)になっても来なかった。
その時は,
何かの用事でこちらの方向に来て(今いる職場は市内からは四〇分ほどかかる),私を訪れたかったのだと思っていた。
彼から,先週月曜日に学校に電話があり,
明日の火曜日に学校にいる私に会いに来ていいかどうかを訪ねられたので,
どうしたのかしらん?っと思っていた。
彼の高校三年時の進路相談のことを思い出してみる。
彼は,高校卒業後直ぐに,地元のマツダ自動車株式会社にディーラーとして入社したかったのだが,その当時高校からの求人は,広島の本社での製造の仕事以外はなかった。
しかも,マツダでは20歳以上でないとディーラーとして働くことが出来ない。
求人がないのもその理由からであった。
ディラーとして働く,彼と同校の大先輩(三十代)の話を聞くと,
高校卒業後,マツダでアルバイトをして,20歳過ぎてからそのまま正規雇用となったということを言われ,彼も卒業後同じようにアルバイトをすると言っていた。
その大先輩と,最近の経済事情の日本は,えらい違いがあって,
在学中に就職が決まらず,彼が宙ぶらりんでフリーターになることに不安があった私は,彼に自動車整備工の専門学校に学び,2年後再度マツダの試験を受けてみてはどうかとアドバイスした。
そこで,彼は地元の専門学校に進学することを決心した。
そして二年が経ち,
順調にいけば今年の四月から会社勤めをしてるはずの彼から電話があり,
私はとても胸騒ぎがしていた。
そこで,彼に電話をして,
私の学校に来て話をするのではなく,今直に電話上で話が出来ないことなのかとか,今何をしているのかとかいろいろ聞いてみた。
すると彼は,
・今マツダでは働いていないこと。
・整備工の免許を取ったのに,地元で一番大きいスーパーの○○ヨーでバイトをしているということ。
・火曜日が休日だということ。
を述べてきた。しかも,どうしても私に会いたいと言うではないか,15分やそこら辺で終わると意味深な話もされてなんだかちびっと怖かったのも事実。
彼の状況を聞いた私は,
その日の晩,前の同僚に電話をして,
生徒指導部の主任の先生が今誰かを聞いて,
早速仕事を斡旋してもらおうとしていた。
彼を専門学校へ行かせたのは間違いではなかったのだろうかとか,いろいろな気持ちが交錯して,一晩あまり寝れずに過ごした。(ここが大事)
翌日,彼に電話をし,以前の学校の進路指導の先生に連絡をとろうかということを伝えたら,
急に.
「先生,本当のことを言います。実は今年の4月からマツダに入社して働いています。」
って述べるではないか。
そこで私から思わず出た言葉が,
「馬鹿野郎!」
「しかし,よかったね,本当に嬉しい。よかったね,よくがんばったね。」(これも何度も)
「しかし,本当にばかやろう!」
私がどれほど君たちの言葉に振り回されてきたか,君たちには分かるまい。
あの,あの8年という日々が走馬燈のように思い起こされてきた。
君たちに,私の言っていることが,一体全体,ちゃんと伝わっているのだろうかどうなんだろうかと,私が出来る事って何なのかしらと,模索しながらの日々が,思い出された。
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受話器を置いた後,
ここだけの話,涙が出てきたよ。
今,進路室(今の学校で)にいて,
わたしの馬鹿野郎発言も,何もかも,周りの進路の先生が聞いていて見ていて,多少恥ずかしかったけれど,
「大丈夫です。大丈夫です。」いいながら。
きっとそれは,喜びと安堵と,確信の涙。
そこで,
結果オーライなのだけれども,
ちょっと一言っておきたい。
私の前で喜ばせようとか驚かせようとかの意図であったとしても,
特にそういう場合は,
変化球を入れず,直球で述べていただき鯛。
心臓に悪いです。(寿命が縮まるのは勘弁です。)
もう一つ,
男子校の卒業した僕たちももちろん大切なんだけども,
私は今,受験戦争でまっしぐらなはずの現役の僕たち私たちの世話があって,あれなので,
嬉しいニュースは回りくどくせず,直球で頼みます。(二度)
しばらくして,間違いなかったんだ,良かった。って言う気持ちがふつふつとわいてきて,生徒には,必ず私の気持ちが伝わるんだなぁーと確信できた出来事だった。