私は今,ロンドンに来ている。
これは,有名な二階建てバス
っというのは嘘で,
ここは英国のものを展示したり売っている店。
二階建てバスが入り口にある。
ここでショートブレッドを買ってきた。
イギリスの食べ物はたいていまずいのだけれど,
スコーンとショートブレッド,フィッシュ&チップスはうまい。
でも,ほんとにそれだけ。
どうしてここを通ったかというと,
このお店の近くにある,鹿児島の知覧特効平和会館に行ったからだ。
坊主と私で「永遠のゼロ」を以前観たとき,えらく感動したので,
特攻隊のことを肌で感じるため,行って来た。
観音像の奉ってある神社のすぐ隣に,
三角兵舎と呼ばれる,特攻隊員が寝泊まりした場所を復元したところがあった。ここは,1.5メートルほど掘った地面に屋根だけが地面に出るような形にして建っている。その当時は外から目立たないように,屋根には木々がかぶせられていた。
中は,こんな風になっていて,風通しも悪いし,夏は暑く,冬は寒かったにちがいない。一人につき冬は毛布4枚だけが配られていたそうだ。
そして,ここで自らの必死(必ず死ぬ)の覚悟で自身の出動を待っていた。
旅立つ前夜に壮行会が開かれた模様。
平和会館の中には,
多くは十七歳から二十歳前後の若者(男子)が,
母親や兄弟,妻や恋人に向けて書かれた遺書が多数展示してあった。
ちょうど,高校生ぐらいの青年達が何人も亡くなったことを思うと,
平和な世の中である今に感謝せざるを得ない。
わたしは同い年くらいの青年達(特に男子)を多く見てきたし, 今も見ているから,この人達と同い年の若者が特攻隊として出陣を命じられることを考えただけで恐ろしくて震える。
他から未来をたたれることの非情で残忍な行為は,決してあってはならない。だから,政治はきちんと監視されるべきだし,大人として監視していく義務がある。同じ過ちを二度と繰り返さないように。
こちらは外から撮影した零戦(ゼロせん)。
その当時はどうすることも出来なかったそうだが,ある特攻隊員が海面に不時着したであろう場所を特定し,地元の企業の協力を得て,30年後に引き上げに成功し展示しているということだ。
機体は腐食が進み,胴体部分は崩れて無いのだが,
引き上げた時のそのままの形である。
後ろから見ると,操縦席があって,
小さい座席の鉄がむき出しになっている。
現在,平和会館には老若男女,多くの人々が訪れているが,
開館当時は,来訪者はほんのわずかだったらしい。
この事実も,戦後,日本人がいかに戦争で失った若い命を軽んじていたかの証拠なのではないだろうか。その当時は,生きるので精一杯でその余裕もなかったのかもしれないが,
それにしても,戦後何十年も経った今も忙しいと言い訳して過去を振り返らず,何が間違いだったかを知ろうともしないで,日常を送れるのなら,相当愚かなことだと思うのだ。
一つ一つ分析して,どうしてそのようになったのか,なぜなのかを考え議論することの重要性は,日常のあちらこちらに見られ,
忙しさにかまけて,振り返りさえしないことは危険な兆候であることに,今更ながら気づかされる。
過去から学ばない者は,未来をも語ることは出来ない。という有名な言葉がある。
今一度,過去を振り返り,己を知り,未来に向かうことは大事かと思う。




