He was hash.(英語スピーチコンテストの矛盾) | 女王様のブログ

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ある女性教師の日常のこと,悩みや課題を率直に書いた,ぶっちゃけ話。

先日スピーチコンテストがあり,審査員の酷評にALTが,

“He was hash.”と述べていた。

残念なことに,私も同じ感想を持ったので,

スピーチコンテストの裏事情と,

気をつけなければならないポイントを押さえるために書き留める。


スピーチを終えた後に,

審査員(県の学校教育課の先生だと思われるが)の方が,

英語で「最初に質問を投げかけるスピーチは,その内容の整合性を保たねばならない。最後にはその質問とかけ離れたものにならないようにすること。導入と本題とそして最後の締めをそれぞれの役割を際立たせて構成しなければならない。最初に質問を投げかけるとしたら,文中にはその質問と関係のあること持ってこなければならない。」っと,だいたいこのようなことだと思う。

もっともな意見に思われるが,最初に聴衆に投げかける質問という時点で,どの人のスピーチを指しているか明白で特定され,もしそれが当の本人だとしたら,聞くに堪えないものであると感じたのだ。


スピーチは担当の先生やALTの目が通っていて,本人の表現したものとは全く別のもので改造されている可能性が高い。

以前からALTと話題になるのだが,英語のスピーチコンテストは,高校生のコンテストではなく,ALT及び担当教員のコンテストになってはいないかということだ。

生徒が英語で書いてきた英文をそのまま使う形でスピーチをさせれば,当然こういう足りない部分が出てくるものだ。

高校生が作文した,述べたいとおもっていることをそのまま出すと酷評され,

そうではなく,担当教員やALTで大改造を行ったかもしれないものを評価するのであればそれは違うのではないだろうか。


しかも、明らかに誰かと分かるように発する時点で,スピーチコンテストの危うい部分をもろに出してしまっている酷さ。審査員の先生がたは,スピーチコンテストの危うい部分をもっと知っておくべきである。


それは.高校生が自然に英語を言葉にすることを否定すること。

すなわち,英語で話せ表現しろと言いながら全否定しているのではないだろうか。スピーチコンテストが担当教師とALTの戦いになってしまうのはいけない。


He was hash. (彼こそ支離滅裂でしょ)私もそう思った。

*追記

hash とhush(静寂に)は随分と意味が違うので要注意。

hash とは「支離滅裂」だけでなく,俗語で「(言葉に不注意な)愚かな奴」っていう意味があるとです。

ていうことは,

He was hash.とは,「あの人は(あんなことを言うなんて)愚かなバカ者だ。」っという意味もあるわけでごんす。

マックスの罵りに取るとそういうこと。つくづく英語って難しいですね。


英語より,日本語の弁論大会が行われていないことの理由はなんだろうか。

その生徒が本当に述べたいことを担任教師や別の力で捻じ曲げられて言わせられたり,その時代のウケの良いものを世間の顔色を窺いながら子供たちが書かされるのであれば,それはとても危険である。


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今回の弁論大会で,出場資格に海外生活の有無は関係ないという文言があって,むしろ以前の学校にあった弁論大会の方が平等で出場者も参加しやすいものであると感じた。なぜなら,英語を母語とする国での海外生活を6か月以上おくった者は,出場できなかったからである。


弁論の中には,堂々と海外生活を述べる者もいて,まぁそれはそれでいいのだけれども,ここで大半の高校生が送る高校生活の弁論は,いったい何なのだろうか。特殊な環境で,恵まれている者だけに特化させるような出場資格および評価の仕方なら,とても酷である。そして,それを評価して世間様が取り扱うのであればなんて世の中は弱い者,不利な者に厳しいのでしょう。


普通に学校英語だけで頑張ってきた子供たちに不利になるような弁論大会なのだなぁーと感じるとともに,今回はどうしても参加したいと子供の側から申し出てきたため引率したけれども,こんな大会ならこちらから遠慮すべきだったと思ったのだ。


時間がない中一生懸命頑張ってきた生徒が可愛そうだよ。


実業系畑で頑張っている間に,いろんなものが変わってしまい。なんだかやりきれない気持ちになった。


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しかし,今回一つだけ良いことがあった。


参加者に中に,母親が末期の乳癌にかかり闘病生活をしている中,宣告から今までに至る彼女の率直な気持ちの変化と,母親を支える日常を弁論にしたものがあった。

そのスピーチの間,

私の席のお隣で,熱心にその生徒のビデオを撮る保護者がいて,

この方は実はこの発表者の母親で,

そのことに気付いた私は涙が止まらなくなった。


スピーチの終盤にかかると,すすり泣く声が聞こえ,このお母さんが涙をいっぱいにして,愛おしい娘を見つめる姿を見て,わたしはまた号泣してしまった。


その生徒のスピーチの内容は本当に素晴らしく,とても感動した。


舞台の真ん前の,聴衆の最前列に審査員席が設けられていたので,

彼らにはこの親子の姿は見えていない。

(残念なことにこの生徒は上位に入賞できなかった)


スピーチコンテストには,その裏に見えない多くのドラマが隠されていて,

様々な思いを抱えて皆集ってきている。


審査員には,そのことをもっとわかって欲しかった。

少なくとも私は,こんな感じなら次は出ないよっと思ってしまった。


英語での会の進行や,講評の仕方も,高校生にはほとんどわからないだろうけど,少なくとも私たちには分かるのだから。

一位になった生徒は悪くはなかったけれど,私の中の一番は彼ではなかったし,審査員の好み,主観で審査されるのもなんだか納得いかない。

スピーチコンテストなど,そいいうものなんだろうけど,

やはり変だよなぁーと思わずにはいられない。