ジェーン・スーは日本人です というタイトルのブログの
という記事が妙にぴったり私に落ちてきて,
私だけじゃないんだなぁーと思える感覚だった。
誰かと共有できたらと思っていたら,案外多くいることに気付いて嬉しかった。
東京に憧れる地方出身者が東京を形成しているという話だ。
神奈川とか東京近県は全て東京とされる地方にとって,
私の実家のある神奈川も東京の一部とみなされる,だから,こちらでは私も東京の人間と言われている。
私みたいに関東に生まれ育ち,地方に住んでいる人間には,上記のブログにプラスし,ちょっとまた違った感覚・見方があるのだけれども,それはここでは伏せておこうと思う。
私自身,東京からこちらに帰省する地方出身の東京在中の方々とは真逆の飛行機便に搭乗していたので,お盆なのにいつも空いた座席にゆったりとリラックスして座れていた。
今年は盆の時期に,同じ方向で地方便に搭乗しなければならなかったため,
満席でギュウギュウの寿司詰め状態の中での搭乗で,乗る直前まで座席指定していなかったため,中央の座席の,男性陣に囲まれたど真ん中で,とても居心地が悪かった。多分先方もそうだったと思われる。
手荷物を預けたり,受け取る時間を省かせるため,
荷物は機内持ち込み可能ギリギリのスーツケースを持ち込んだのだが,
満席の中で,このスーツケースを上にある荷物棚に入れるのは相当大変で,ほとんどの人がすでに座席についている中,一人で格闘する羽目になった。
それもこれも,搭乗チケットが直前に無くなり,探している間に入るのが一番最後になったことが原因なのだが・・・・。
東京からこちら便に乗る時の,皆さんの一種晴れやかな,同じ目的を持った強さと団結力は,こういう時に発揮される。私の荷物は近くにいた男性が軽々と持ち上げ,優しい言葉で座席に誘導していただけた。多分,私が同郷であると思われてのことだ。本当は違うのに・・・・。
お盆の時期に,帰るべき場所がないというのは,都会だろうが田舎であろうが,地元に暮らす人間なら誰でも経験していることで,その比率が高いか低いかの差。
東京は,お盆の時期はガラガラで,地方は都会に出た人間を迎い入れるところ。私の連れ合いの親族は珍しいのか,みんな地元に残っているため,そういう面倒には全く合わないのだが,迎え入れる側もとても大変そうなのを,周りの方(ママ友)によく聞く。
一度都会に出て帰ってきた人間を見る目も,結構,いや,かなり厳しい。
だから,地元に帰ってきたときに,手ぶらじゃ恰好がつかないがゆえに,ジェーン・スーさんが言われるような東京での地方出身者の光景があるのではないかと一部付け足しておく。羨望だけでは説明のつかない,地方出身者の貪欲さとか執念への説明である。
生粋の江戸人である,東京に住む友人や先輩や後輩が,もっと大きな顔が出来て,住みやすい都会になるといいなぁーと私は思ってる。
私は快適に幸せに過ごせているからだ。